http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160129-00000584-san-soci


クリニックで働くスタッフ、NPO法人さなぎ達の職員、旅行に行けない家族。

みなさんのおかげで戴きました。

代表者として受賞に行ってきました。


各ドクター表彰直前冒頭の1分紹介ビデオの最後に、先日なくなった、「冬は厳しい。立て続けに3人」の三人目のHさんの在りし日の顔が流れた。

予測しなかったビデオ。


スピーチはHさんのことからスタートした。

まん中は ことぶき で医療を始める決心に至った話。

後半は列席した医学生達に

「木を見て森を見ず」の話。

地域医療医は一本一本の木を虫の目でみている。

ひとりひとりの患者さんの顔色 息づかいを近接にみてる。

さながら、天皇陛下が、被災地のひとりひとりに、戦争の後始末を自身の命をかけつつ、フィリピンの元兵士に50cmの距離で声をかけられるように、声をかけておられる。 まさしく虫の目。



国家のリーダーである安倍晋三さんは、とても忙しくオーラのある人だった。

やや遅れて来室。みなが表彰式の進行を中断してご来臨を静かに待つこと数分。

SPに付き添われ疾風のごとく入室登壇。

まえもって台上に置かれた書き物を拡げて早口で朗読。

医師会長にご挨拶され、退席前に係の人に私どもに握手を促されて気づき、ひとりひとりに握手。

SPに付き添われて疾風のごとく退席。


安倍さんのお父さんは安倍晋太郎さん。

総理を嘱望されつつ1991年ころ、私の母校順天堂の特別室で亡くなっている。

息子さんの安倍晋三さんと私は同い年。

昭和29年生まれ。

37歳の時に父を病院みとりしたことになる。


病院で看取られる時、家族へのメッセージ力は低下する。

なぜなら、本人の残されたエネルギー、ろうそくの炎の力はつけられた管、酸素マスク、心電図モニターと病室天井の煌々とした照明に のこりのわずかな力を削がれていくから。

ホスピスでも同様。

ホスピスに入るとき、患者は「よろしくおねがいします」と頭をさげ、残りのエネルギーを新しい人間関係も構築に使う。

だから、晋太郎さんの息子へのメッセージ力は残っていなかったと想像する。


もし、晋三さんが自宅で父をみとっていたなら、今の安倍政権はなかったと思う。

人を虫の目でみる経験の乏しい人は、木も見えなければ森も見誤るのでは??



そんなことを考えながら、壇上の時間を過ごしていた。