せわしない派は

 

オルフェウス室内管、バルビローリ、ラインスドルフ

 

バーンスタイン、カラヤン、アバド、ワルター

 

と多勢を占めておりますが、

 

一方ゆったり派は

 

クレンペラー、リヒター、ベームとやや少なめでした。

 

なんのこと?

 

申し遅れました、モーツァルトの29番第1楽章のことです。

 

それではせわしない派代表演奏を聴いていただきましょう。

 

カラヤン指揮、ベルリンフィル演奏

モーツァルト作曲、交響曲第29番

 

一方、ゆったり派代表はこれ

 

ベーム指揮、ベルリンフィル演奏

モーツァルト作曲、交響曲第29番

 

どちらが好きかと問われれば、間髪入れず後者と言います!

 

しかし・・・作曲者の意向を汲んだ演奏がどちらか?というと・・・

 

おそらく前者の方なのではないかと思います。

 

以前こんな記事を書いたことがあります。

胎教にいいとは思いません(笑) | 音楽あれもこれも=ただし偏りはあると言えよう= (ameblo.jp)

 

そう、モーツァルトの頭の中にある焦燥感というか

 

降りてくる音楽を書き留めなければならないという強迫観念のような

 

常に追い立てられるような感情を抱かせることこそ

 

作曲者の意図に沿う演奏なのではないかと、言えよう!(大爆恥)

 

・・・・・・

 

子供の時あまりにも練習しないので、先生がせめて有名な曲を課題にしたら

 

練習するのではないか、と与えてくださったK545第1楽章だったのに、

 

殆どさらっていないのにレッスンの日だけが近づいてくる・・・

 

モーツァルトのAllegroにはそんな焦燥感の印象が、

 

幼児体験としてあるからとちゃうんかい?!(再大爆恥)

因みにこの演奏、大好きです!