学級開きの際、

どの学年でも共通して言っていた言葉があります。

 

「全員椅子をしまって、キチンと挨拶ができる!

こんな素晴らしい皆さんがいるクラスを担任できて、とても嬉しいです!」

 

 

起立して椅子をしまう、挨拶をする、当たり前ですね笑

これをわざわざ言語化して伝えるのは、

 

①先生は自分たちを見ている。

②良いところはちゃんと評価してくれる。

③好意を持ってくれている。

 

と思わせること以上に、

「君たちはキチンとした子たち、このクラスは素晴らしいメンバーだよ!」

というある種の洗脳をかけます指差し

 

キチンとしていると言われれば、

自分たちはキチンとしている子だと思う、だからキチンとしようとする。

子どもたちは本当に素直です。

 

 

 

基本的に子どもたちに対して、何でも褒める!

というスタンスでした。

 

褒めるというと、

褒めるそやす、おだてる、と誤解される方もいらっしゃるかもしれません。

 

言い換えると、褒めるではなく肯定する、でもいいです。

 

 

「名前を丁寧に書けているね。」

「ロッカーを整頓できていて、みんなのお手本になるね。」

 

と言われれば、名前を丁寧に書くことが良いことだと学習するし、

身の回りを整頓することは正しいことと学びます。

そして、それが常にできるようになります。

 

つまり、些細なことでも大人からの肯定的な声かけによって、

子どもはより良い言動を学んでいくのです。

 

(褒めることなんてないけど?という場合。

大人が思う当たり前のハードルを下げれば、いくらでもあります。

上記の椅子をしまって挨拶も、入学時にはできない子もいますよ。)

 

 

 

じゃあ、日常的に貶めるようなことばかり言われていたら?

 

「馬鹿、馬鹿、言われるから、私は馬鹿だ。」

「馬鹿だから、出来なくても仕方がない。」

 

自己肯定感が下がるだけではなく、出来ない理由づけにまで発展します。

そして馬鹿になろうとしてしまう、、、?!

 

 

 

どうせ子どもを洗脳()するなら、

子どもの自信に繋がるようなことを言おうぜ!爆笑

 

もちろん事実と異なることはダメですが、

(特に高学年女子になるほど、大人の足元を疑ってかかります。)

 

「扉を押さえててくれて、ありがとう!」とか、

「帰ってからすぐに連絡帳を見せてくれて、助かるよ。※」とか。

 

(※最近すっかりメジャーになったIメッセージですね。

昔は教員指南書によく書かれていました。)

 

 

ホンットーに小さなことでも良いので、肯定的な言葉かけをするだけで、

「お父さん、お母さんは私を信頼して見てくれている。」

と子どもに安心感を与えられる上、

大人があって欲しいと思う姿に子どもは自然と近づいていきます。

 

 

そんな理由で、

私は子どもを貶めるようなことは一切言いません。

(元々、悪口陰口が苦手というのもありますが、、。弱っちいので、ワタシえーん)

 

もし言うのが我慢出来ない!という場合は、

一瞬の発散を優先するのか、子どもにどうなって欲しいのかを考えてみてください。

 

 

 

 

 

おまけ。

もう一個、子どもに言わない方がいいよテーマ。

 

「めんどくさい彼女になっていない?」問題!

 

 

「仕事の方が私よりも大事なのね!?」

(私が大事と言って!)

 

「遊んでばかりで、やる気がないんでしょう!?」

(本当はやる気があると言って!)

 

 

どっちも似てますね。

質問しているようでいて、相手に否定して欲しい気持ち満載!

 

 

結局、自分の不安を子どもにぶつけ、

子どもに助けて欲しいという願望がダダ漏れです。

 

これは私もよく陥りがちなので、発言する前に、

「これ、否定して欲しくて言いたいんじゃない?自分が安心を得たいだけじゃない?」

と自問自答して踏み止まります。

 

 

 

色々書きましたが、まだまだ親業は私も勉強中です。

大変なときは、上野千鶴子先生の名言を思い出します。

 

「子育ては20年かけた暇つぶし。」

 

肩の荷がおりる〜!フゥ!