………………
先週、乗ったこともない電車に乗り、降りたこともない駅で降り、歩いたこともない町を歩いて、いちばんはじめに目に入った産婦人科に飛び込んだ。看護師もお医者さんも白髪だった。おめでただよ、お嬢ちゃん、と白髪の先生は女の人みたいな口振りで言い、にっこりと笑った。緑のきれいなころにうまれるねえ。
おろそうと思っていた。だって不可能だ。父親もいない、両親に言うこともできない、私はまだ学生で、ちゃんとした収入すらない。岸田さんだってきっと困る、手術のお金だけ借りておろそうと決めていた。けれど、緑の季節に生まれると聞いたとき、その気持ちが一瞬にして吹っ飛んだ。今ここにいるだれかは私ではないんだ、と思った。この子は目を開けて、生い茂った新緑を真っ先に見なくちゃいけない。
………………
どうしてそんなに親切にしてくれるのか、という私の問いに千草が答えたのは、食事を終えて洗い物をしているときだった。
「親切にしてるかどうかわかんないけど、私はあんたといっしょに出ていきたいんだと思うよ。閉じこめられたような場所から、もっと違うところに出ていきたいんだと思うよ」
皿を洗っていた千草はいきなり言い、なんのことか一瞬わからなかった。
「どこを出ていくの?」
ようやく千草の言葉の意味を理解し、そう訊くと、濡れた皿を私に手渡しながら、
「今、いるところ」と千草はぽつりと答えた。
「そういう意味では、あなたのことを利用しているのかもね。ひとりじゃ出ていけないけど、あんたといたら出ていけそうな気がする。正直言うと、あんたに会ってそう思ったの。あ、この子となら、私出ていけるって。ずっと抱えてるものを手放すことができるって。会えば会うほどそう思うんだ」
ふうん。私はできるだけ興味なさげに相づちを打ち、渡された皿を拭き続けた。千草の言っていることは理解できた。理解できて、そして思っていた。そんなの無理だよ、と。あんたがどう思おうと勝手だけど私は出ていけないし、私といるかぎりきっとあんたも出ていけっこないよ、と。思った通りを言葉にしないほどには、私は千草を好きになっていた。
………………………
先週、乗ったこともない電車に乗り、降りたこともない駅で降り、歩いたこともない町を歩いて、いちばんはじめに目に入った産婦人科に飛び込んだ。看護師もお医者さんも白髪だった。おめでただよ、お嬢ちゃん、と白髪の先生は女の人みたいな口振りで言い、にっこりと笑った。緑のきれいなころにうまれるねえ。
おろそうと思っていた。だって不可能だ。父親もいない、両親に言うこともできない、私はまだ学生で、ちゃんとした収入すらない。岸田さんだってきっと困る、手術のお金だけ借りておろそうと決めていた。けれど、緑の季節に生まれると聞いたとき、その気持ちが一瞬にして吹っ飛んだ。今ここにいるだれかは私ではないんだ、と思った。この子は目を開けて、生い茂った新緑を真っ先に見なくちゃいけない。
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どうしてそんなに親切にしてくれるのか、という私の問いに千草が答えたのは、食事を終えて洗い物をしているときだった。
「親切にしてるかどうかわかんないけど、私はあんたといっしょに出ていきたいんだと思うよ。閉じこめられたような場所から、もっと違うところに出ていきたいんだと思うよ」
皿を洗っていた千草はいきなり言い、なんのことか一瞬わからなかった。
「どこを出ていくの?」
ようやく千草の言葉の意味を理解し、そう訊くと、濡れた皿を私に手渡しながら、
「今、いるところ」と千草はぽつりと答えた。
「そういう意味では、あなたのことを利用しているのかもね。ひとりじゃ出ていけないけど、あんたといたら出ていけそうな気がする。正直言うと、あんたに会ってそう思ったの。あ、この子となら、私出ていけるって。ずっと抱えてるものを手放すことができるって。会えば会うほどそう思うんだ」
ふうん。私はできるだけ興味なさげに相づちを打ち、渡された皿を拭き続けた。千草の言っていることは理解できた。理解できて、そして思っていた。そんなの無理だよ、と。あんたがどう思おうと勝手だけど私は出ていけないし、私といるかぎりきっとあんたも出ていけっこないよ、と。思った通りを言葉にしないほどには、私は千草を好きになっていた。
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