しかしもつれた糸を解きほぐしてくれるのは、主人公の置かれた閉鎖系の状況を解決してくれるのは「神」だけに留まらない。「神」はそんなに簡単に都合よく顔を見せてはくれないかもしれないから。だからあるときには「どこでも比較的簡単に手に入る」強力な毒薬が、かわりにその役目を果たしてくれる。
神と毒薬ースガシカオ的世界にあっては、そのふたつの解決策はほとんど等価に併存しているように見受けられる。

今さっきまでキッチンで くすぶっていた問題は
この強力なPoisonで 洗い流してしまった

最近僕らのいくつかの問題は こんな風に解決してしまう

今朝ちょっとまだ玄関に においだけ残っていて
部屋中汚染しないように ひとびんすべて使ってきた (「バクダン・ジュース」)

「四畳半」的な、閉鎖されかけたサーキット内での、ぬめりのある独特の生理感覚があり、その一方で、そこから唐突にすとーんとあっち側に突き抜けてしまうような、あっけらかんとした観念性がある。
そのふたつの逆向きの感覚が、微妙な共時性を維持しつつ、柔らかいカオスのようなものを生み出すことになる。「ポストオウム的」というと、いささか話がアブナくなってしまうけれど、そこにあるものは確かに、1995年以降でなければうまく通じにくい、漠とした「カタストロフ憧憬」ではないか、という気がしないでもない。
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作者はおそらく、「神」という言葉を持ち出すことによって、主人公の直面している抑圧的な状況を簡単にチャラにしてくれる、「絶対者」みたいなものをそこにとりあえず仮説しているのではあるまいか。
僕にはそういう風に感じられる。いわゆる「デウス・エクス・マキナ」、ギリシャ劇で最後で、装置に乗って天井から降りてきて「よっしゃ、わたしに任せなさい」という感じで、そこにある懸案をすべて一挙に解決してくれる神だ。

月が出てればいいけど 暗闇でもう迷うのはイヤだもの
海にうつった月の道 たどれば神に近づける (「Thank You」)



窓を開けたままで 寝たせいで ぼくの体にたくさんの不幸がついた
君の左の手に つかさどる 神の力でこの理不尽を消してくれ (「サービス・クーポン」)


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そこではやはり、ものごとがぐるぐると同じところを回り続けているかもしれない。
そんなわけで、主人公としてはとりあえず、今ここにある狭い場所に留まって、ぬるぬるとしたまわりの事物を触りながら、自分がまだ実在していることを確かめている以外に、やるべきことがない。
そして、現実的な行動が限定されているぶん、そして日光が不足しているぶん、思考はわりにあっけなく観念的な横穴にするりと潜り込んでしまうことになる。
観念的ーこの人の作る歌詞には生硬な、観念的な言葉が頻繁に顔を見せる。例えば「性交」という言葉が出てくる。こんなダイレクトに即物的な言葉を、出し抜けに歌の中に持ち出してくる歌手(作詞家)は、
少なくともメジャーな世界においては、ほかにまずいないのではないか。
それから「神」という言葉がしばしば登場する。日本語の歌詞に「神」が使われる例は、僕の知る限りにおいては、極めて稀である。「神様」という表現は時折使われることがある。こちらのほうにはどちらかといえば地べた的な、より日常な感覚がある。「神様、仏様、稲尾様」(そうとう古いけれど)というように。
しかし「神」という表現は「神様」よりはるかに観念的であり、より西欧的(一神教)である。
そこには厳しく、絶対的な響きがある。あるいはこの人は実際に、宗教的なメッセージのようなものを、
そこに盛り込んでいるのかもしれない。その可能性はもちろんなくはない。しかし前後の文脈を見渡してみて、そういう宗教的な気配は僕にはとくに感じられないのだ。
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