しかしもつれた糸を解きほぐしてくれるのは、主人公の置かれた閉鎖系の状況を解決してくれるのは「神」だけに留まらない。「神」はそんなに簡単に都合よく顔を見せてはくれないかもしれないから。だからあるときには「どこでも比較的簡単に手に入る」強力な毒薬が、かわりにその役目を果たしてくれる。
神と毒薬ースガシカオ的世界にあっては、そのふたつの解決策はほとんど等価に併存しているように見受けられる。
今さっきまでキッチンで くすぶっていた問題は
この強力なPoisonで 洗い流してしまった
最近僕らのいくつかの問題は こんな風に解決してしまう
今朝ちょっとまだ玄関に においだけ残っていて
部屋中汚染しないように ひとびんすべて使ってきた (「バクダン・ジュース」)
「四畳半」的な、閉鎖されかけたサーキット内での、ぬめりのある独特の生理感覚があり、その一方で、そこから唐突にすとーんとあっち側に突き抜けてしまうような、あっけらかんとした観念性がある。
そのふたつの逆向きの感覚が、微妙な共時性を維持しつつ、柔らかいカオスのようなものを生み出すことになる。「ポストオウム的」というと、いささか話がアブナくなってしまうけれど、そこにあるものは確かに、1995年以降でなければうまく通じにくい、漠とした「カタストロフ憧憬」ではないか、という気がしないでもない。
………………………………………
神と毒薬ースガシカオ的世界にあっては、そのふたつの解決策はほとんど等価に併存しているように見受けられる。
今さっきまでキッチンで くすぶっていた問題は
この強力なPoisonで 洗い流してしまった
最近僕らのいくつかの問題は こんな風に解決してしまう
今朝ちょっとまだ玄関に においだけ残っていて
部屋中汚染しないように ひとびんすべて使ってきた (「バクダン・ジュース」)
「四畳半」的な、閉鎖されかけたサーキット内での、ぬめりのある独特の生理感覚があり、その一方で、そこから唐突にすとーんとあっち側に突き抜けてしまうような、あっけらかんとした観念性がある。
そのふたつの逆向きの感覚が、微妙な共時性を維持しつつ、柔らかいカオスのようなものを生み出すことになる。「ポストオウム的」というと、いささか話がアブナくなってしまうけれど、そこにあるものは確かに、1995年以降でなければうまく通じにくい、漠とした「カタストロフ憧憬」ではないか、という気がしないでもない。
………………………………………