~ 内田樹&名越康文 辺境ラジオ~ (Podcast2011・5・8放送分より抜粋)

名越:(祈りについて)物理的に届かないものは届かないんだ、という悪い意味での科学的思考をこの際、脱却する。届くものはあるし、ふんだんにあるということを、いっぺん信じてみーや。

内田:(被災地でない地域の人々が互いの行動不謹慎ではないかと監視牽制しあうことについて)
祈りなんてものは届かないと思ってるんだよ。届くのは自分のゲンコツの届く範囲内だと思ってるから、自分近くにいて気に入らない人間をみつけては叩いたり。本当に届くと思っていたら祈っています。

名越:例えば、これは善良なひとなんですよ。善良なひとでも、ぼくがツイッターで祈りのことを書くと。「そうですね、祈ることしか私達には出来ませんね」と書いてくる。
「え?祈りって凄いよ」って僕が言ったら。
「え‼そうなんですか⁈」ってその時に気付いてくれたりするんだけれど、ほとんど『祈り』っていうのはね弱者のペシミズム(悲観主義)、そして善良だから祈るしかない…そうじゃないんだよ‼

内田:「我々には祈ることしか出来ないんでしょうか?」っていうのは、極めて非力な弱者というか、力のない人間が最後につぶやくみたいなさ…。違うよ‼祈りの力って物凄く強いんだから‼

名越:そうそう、なんかそれは、フォースとかそういうもんは無いかもしれない…いや!もしかしたらあるかもしれないよ‼(笑)わかんない、わかんないけど、祈りによって本当にポジティブになれたり、顔色が変わったり。あるいは、周りにいるひとの空気が変わったりとか本当にあるんですよ。
これは細かく言うと、対人関係的に、その人の声色が変わったら、それに感応する人がもっと元気になるという説明も全部可能なんですよ。
人と人とは、どこかそっぽを向きながらも繋がりあっているんだから。
協力し合うことが繋がりだって…協力で繋がることもありますよ…でもそれは繋がりの1%か2%かもしれない。そっぽを向きながら、あるいはすれ違いながら、全然違うところで違うことをしながらシンクロするっていうのが99%で、そこを賦活(活力を与える)するっていうのが、僕は祈りだと思うんです。

「祈ることしかできません」ってほんとに善良なひとが言ってるんだけど。
じゃあ、本気でいっぺん祈ってみようよ!僕たちは様々なブロックがありますよね。科学的思考、合理的思考に僕達は汚されているから、祈っている時に、「こんなこと無力だからやっているんだ。こんなことやってどうするんだ?」という声が邪魔するでしょ。それをね、本当に強い精神力で排除して、例え5分でも真剣に祈る集中力をつける。
ほとんど僕たちは…例えば3分祈る力も無いですよ。まずは力が無いの、必ず邪魔するの、ペシミズムやリアリズムが。でもこのリアリズムは目に見えるものしか見ないという、ものすごい、生命を矮小化したリアリズムであって、これを排除するのに、ごっついパワーいりますよ。ホンデ、本当に3分間ね、一度も疑いなく祈れる人って、僕は100人に一人やと思う、あるいは1000人に一人やと思う。
だからこの期に、祈る集中力をトレーニングしたらどうかな?
30秒でも無心で祈ることができたら、すごいパワーですよ。まわりが変わり出すと思う。

内田:じゃあ、分担してみんなで…僕は原発に向かって祈るからさ。

名越:じゃあ、私は津波の地域に…。

……………………………………………
僕の感覚では『祈り』って一旦神様に上納して、願いは神様が取捨選択して、対象者に恩寵を施してくださる。って思ってた。僕の内なる神の存在を否定してからは、実体としての第三者に向けて祈ることはしていなかった。届けたい相手に直接ダイレクトに祈ればいいんだ…。それは様式的な、型にはまった祈りのスタイルではなくて。もっとプリミティブというか思いを念ずるというか…。それが原点なんだろう。
3・11僕も祈ろう。





事件当時、僕は小学校一年生。大ちゃんとは地域が違えどあの時代のあの空気の中で育った仲間とも言える。
時はまさにバブル経済前夜。エホバの証人もまた一番勢いのあった時代。大ちゃんの会衆と同じように、僕のいた会衆でも王国会館の建設(第一期ムーブメントというべきか?)があったりして、証人の活動は盛り上がっていた。あの高揚した牧歌的な雰囲気を憶えている。

大ちゃん事件があった後でも、うちの母親の信仰(?)は揺るがず、安定的に証人のイデオロギーを子供に注入した。あの劇的な事件もマインドコントロールされた心に響くことはなかったのだろう。その点において大ちゃんの貴重な犠牲はうちの母親にとっては無駄だったといえよう。
一方、大ちゃんの犠牲によって僕たちの命は、ある意味、担保されたとも言えるのではないか?
大ちゃん事件の教訓として、医療関係者の間で『本人や家族が反対したとしても必要性があれば輸血を強行すべし』という認識が共有された。
僕らがどんなにマインドコントロールされた精神で、輸血を拒否したとしても、万一の土壇場では医療者は輸血をしてくれることになったということだ。
その意味において大ちゃんがその死によって、もたらした影響は大きい。
すべからく僕らの命は大ちゃんの貴重な犠牲の下に担保されていたということだ。
そんな大事なことに今さら気付いた。
今、改めて大ちゃんの死を悼みたい。そしてその貴重な犠牲に感謝を述べたい。

あれから30年近くの月日が流れた。大ちゃんの家族はどうしているのだろう?
いまだにその遺骨は押し入れのなかに眠っているのだろうか…。
彼の名誉ある死は報われたのだろうか?

今、子を持つ親として僕が思うことは、大ちゃんの死を誰より悲しんだのは、事件に関わった医療関係者や、マスコミや、一般大衆や、仲間の兄弟姉妹なんかではなく。誰よりも彼の死を悲しんだのは彼の両親であり、彼の家族だっただろうということ。

事件に関わったすべての人のキズが癒えますように。
そしてなにより大ちゃんの冥福を心から祈ります。

大の死から既に三年が過ぎた。
1988年8月30日の新聞各紙は、神奈川県警と高津署が、輸血を拒否した親の保護責任者遺棄、医師の業務上過失致死などの刑事責任は問わず、ダンプカーの運転手だけを業務上過失致容疑で書類送検する方針を固めたと報じた。医学鑑定の結果、
①事故そのものによるケガが大きかった
②急性腎不全を起こして容体が急変、出血性ショック死につながった。
③したがって、輸血をしたとしても命は助からなかった
と判断されたのである。
読者には、「おや」と思われた方も多いだろう。警察はひらたく言えば「輸血をしてもどうせ助からなかったんだから、医者にも両親にも責任は無く、ダンプの運転手だけが悪い」という判断を下したことになる。だが、本文でも紹介した通り、直接、大を診た現場の医師たちは、「運ばれた時点で輸血をすれば助かっていた」と語っているのである。…
その後、彼は3月31日に書類送検され、8月20日、略式起訴の結果、業務上過失致死罪で15万円の罰金を科せられた。
この三年間に、もう一つの輸血拒否事件が起こっている。1987年8月22日のことだ。
福島県白川市近くの国道で、伝道に向かう証人一家の乗用車がトラックと正面衝突。運転していた夫は即死、妻と二人の子供が重傷を負った。
幸い子供達の容体は好転し、輸血せずに済んだ。しかし妻の容体は悪化し、貧血がひどく放置できない状態になった。妻の入院した白川厚生病院は「必要が生じたら、医療上の判断で行う」と明言し、信者仲間の反対を押し切って輸血したという。私は生命の重さを第一に、トラブルを恐れずに輸血した病院の行動を勇気あるものだと思う。

それにしても、どうして荒木さんは、「大は“生きたい”と言った」と、あれほど強く記者に話したのだろう。医師たちは誰一人見ていない。しかも、それが世間に知れ渡れば、メチャクチャに叩かれるのは目に見えているのに(事実そうなった)
友人のひとりが「荒木さんは裁かれたかったのではないか」と言ったことがある。大の死に重い責任を感じた荒木さんが、社会的な制裁を求めたのではないか、というのだ。たしかに、彼が父性原理の強く働く家庭で育ったことを考えれば「裁かれたい」という説は妥当なのかもしれない。だが私には、荒木さんの誠実な性格が、自分の見たと信じたいものを、強く主張させたのではないかと思える。
無論、推測に過ぎないのだが…
今も、大の遺骨は、荒木家の押入れの中で、静かに眠り続けているという。