チンパンジーと人間を比べたら99%近く同じなんですよ、全体の遺伝子について比べたらね。
ーハエと人間だってビックリするほどは違わないんですよね?
そうなんですよ、遺伝子の数もそんなに違わないし。そうすると結局、変化ってのは割にしょっちゅう起きるんだけど、ものすごく都合の悪い変化ってのは残らないんですよ。
たとえば、いっこポッと変わって、いつも寝てたとしますよね。みんなが動いている時に。
そしたらそもそも「あの人素敵ね」とか言って寄って来てくれる人も居なくなっちゃうわけだ。出会うこともない。
ー(笑)ずっと寝てますからね、だから遺伝子が維持されないってわけですか?
そう、これが進化の原理なんですよ、進化の原理って要するに。何が残るか?ってのは何人何匹子供を作ったか?だけで決まっちゃうわけですよ。
良いとか悪いとかそういうの関係なくて、女性がチャラチャラした男が好きだと、そういうトレンドが生じたとしますよね。そしたらチャラチャラしたやつがバンバン子供を作ると、一方、引っ込んでるやつは一人かゼロだとなったとします。そうするとそれが良かろうと悪かろうと次の世代では、チャラチャラした遺伝子を受け継いだやつが10人。ひっそりした遺伝子を受け継いだやつは1かゼロです。
それを繰り返していったら、ほとんどがチャラチャラしたやつになると、その末裔が我々であると。
それが進化の原理なんですよ、早い話。生物学の価値観は何かと言ったらそれだけですから。
ーということは、思いっきりチャラチャラしたやつの血を受け継いで凄いチャラチャラしてるんですね、僕たちは‼
そうですよ、軽薄の極みですから。
ー(笑)


アヴァンティより抜粋。
彼女の実家の仏間の鴨居には、ひっそりと遺影が掲げられている。
軍服姿の男性、靖國神社に英霊として祀られている。
もう一人は40代だろうか、こちらは礼服姿である。
彼女の母は二人の男性と結婚した。一人目の夫は、産まれたばかりの長女の顔を一度も見ることなく、南方の戦線で亡くなった。二人目の夫は、一人目の夫の実の弟だった。
彼女は三人兄弟の真ん中、つまり上の姉とは厳密にいうと異父兄弟になる。
日本全国のほとんどの若者が招集されて戦地に赴き、その多くが非業の最期を遂げた。
彼女の実父が赴いた戦地は満州だった。父親はシベリア抑留を経験し、命からがらやっとの思いで帰国した。
戦死した兄の代わりに、兄の家族を受け継いだ。数年後、自身も二人の子供に恵まれた。戦後の混乱もようやく落ち着きはじめたそんなとき。彼女の父親は不幸の死を迎える。
家族の誰もその死の意味が理解出来なかった。その出来事を受け入れることさえ出来なかった。
彼女の母親は理由が知りたかった。頭に浮かぶのは『なぜ?』という言葉ばかり。
その答えが知りたくて、彼女の母親は霊媒師を呼ぶようになった。いわゆるイタコである。
雨戸を閉めきり、真っ暗闇な中で降霊ははじまった。イタコにのり憑った父親の霊が語りかける。
『…あの井戸は鬼門だ…』それは何ともおどろおどろしい声色だった。父親の霊が喋っているとしか思えなかった。しばしの対話の後。父親の霊はイタコの中で激しく暴れ、出て行くことを望んだ。親戚のおじさんがイタコの背中を力任せに叩く。その瞬間、父親の霊はイタコから出て行った。
固唾を飲んで降霊の一部始終を見ていた少女時代の彼女は確信する。目に見えない霊体の存在を。
その後もことある度に開かれる降霊会が恐ろしくて恐ろしくて堪らなかった。彼女にとってそれは亡くなった父親と交信できるハートウオーミングな行事ではなかった。直感的に感じる、邪悪な気配。悪しきモノの存在をまじまじと体感した。多感な少女時代に経験した、父親の死と、その後の霊との対話の記憶は彼女の心に深い傷を残した。そして彼女は自身のその傷と痛みを無意識的に意識の外へと追いやった。
強烈な痛みの記憶を心の何処かに隠してしまえる能力が人間にはあるようだ。
しかしその無意識的に隠した記憶は確かに『トラウマ』となってその後の彼女の人生を狂わせはじめる。
少しずつ、それとは気付かずに。




彼は昭和20年、終戦直前の5月に生まれた。
信州の田舎、六人兄弟の末っ子だった。
彼は父親の顔を憶えていない。物心ついた頃にはすでに母子家庭で、十歳以上年の離れた長男が父親のような存在だった。父親は戦死したのではない。当時すでに高齢だった彼の父親は兵役免除されていた。
虫垂炎を放置したのが直接の死因だったらしい。今では考えられないことだが、当時の状況はそれほど混乱し、物資も医療も不足していたのだろう。
周りの家庭もみんな似たりよったりで、片親家庭でもそんなみじめな気持ちにはならなかった。
当時は皆が貧しく、皆で何となく支え合って生きていた。
団塊世代の彼は、地元の工業高校を卒業すると、いわゆる『金の卵』として都会に旅立った。
故郷から遠く離れた大阪の地で彼の社会人生活が始まった。もともと頭の出来が良かった彼は、大学に進学するという選択肢もあったが、家庭の経済状態をみれば、そんなわがままなど言えるはずもなかった。
化学会社の大きな工場で三交代で現場作業に従事し。終業のベルが鳴れば急いで支度を整え、夜間大学に通った。
時は学生運動の花盛り、彼の夜間大学にもゲバ棒を持ったヘルメット姿の学生達が、我が物顔で出入りし、時に講義を妨害した。
昼間の労働で眠い目をこすりながら、必死で授業を受けている彼からしてみれば不快なことこの上ない。
彼からしてみれば学生運動など、親のスネをかじって社会に出たくないだけのワガママな遊びにしか映らなかった。それは絶対に軽蔑すべきものであり、そして同時に心の奥底では彼らのそのモラトリアムに憧れる気持ちもあった。
彼は必死で働いた。そして必死で戦った。田舎者であるコンプレックスと、貧しいことのコンプレックスと、学歴のコンプレックスと。
彼の青春は高度経済成長とともにあった。「幸福」の定義は「経済成長」と同義だった。時代がそうだったのだ。皆がそうだった。
家庭を持ち、家族が出来たときもそうだった。家族を顧みなかったわけではない。周りの皆がしているように、夫は外で仕事を頑張り、妻は家庭を支える。当たり前のことを、当たり前にしていただけ。
いったい何処に落し穴があったのだろう?どこで間違ったのだろうか?