自分の適性に合った仕事に就くべきだと当たり前のように言われていますが、「適職」などというものがほんとうにあるのでしょうか。
僕は懐疑的です。
「キャリア教育」の名のもとに、大学2年生から就活指導が始まり、その最初に適性検査を受けさせられます。
これがいったい何の役に立つのか、僕にはまったくわかりません。
大学で教えている頃に、ゼミの学生が適性検査の結果が出たのだが、と困惑してやってきたことがありました。
「あなたの適職は1位キャビンアテンダント、2位犬のトリマーと出たんですけど、私は一体何になればいいのでしょう?」
就職情報産業は学生たちを、自分には「これしかない」という唯一無二の適職があるのだが、情報が足りないせいで、それに出会えずにいるという不安のうちに置きます。それに乗じられる学生たちが僕は気の毒でなりません。
仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。
「天職」のことを英語では「コーリング(calling)」とか「ヴォケーション(vocation)」と言いますが、どちらも原義は「呼ばれること」です。
僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるように学生には教えてきました。
仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。頼まれたということは外部から「できる」と判断されたということであり、その判断の方が自己評価よりも当てになる。
「キャリアのドアにはドアノブがついていない」というのが僕の持論です。
キャリアのドアは自分で開けるものではありません。向こうから開くのを待つものです。そして、ドアが開いたら、ためらわずそこに踏み込む。……
ー内田樹の研究室より。
さっき伝道中のご婦人方を見かけました。

留守宅をメモしていましたが…。

アレさやめたほうがいいよ。

本人達は何の気無しにしてるだろうけど。

はたからみると怖いから。

デスノートに書き込みしてるように見えるのは…僕だけ?
『聖おにいさん』コミックです。佳作です。キリストとブッタが現代日本にバカンスに…ルームシェアして暮らすという…設定がすでに笑えます。関係各位は読んで損は無いでしょう。必ず吹き出すことでしょう。

さて今回はその「セイントおにいさん達」について一言。
確かキリストの方が年上ですよね、遅れてブッダが誕生。
このふたり洋の東西と時代の違いはあれ、言いたかったことは同じなんじゃないかと思うのです。
イエスキリスト…貧乏人の息子です。ユダヤ人です。つまり自動的にユダヤ教徒。処女から産まれたってのはあくまで伝説で…(貞操絶対主義のユダヤ社会において)そういう伝説でうやむやにせざるを得ないのっぴきならない事情がマリアにはあったのかもしれません。(証拠は在りませんが…)
「聖書?オレは書いてません。自分が伝説のメシアだと?そんなおこがましいこと自分で言ったことありません。
キリスト教の開祖?そんな教え開いたつもりは全くありません。そもそもキリスト教って何すか?僕は生涯敬虔なユダヤ教徒だったつもりです。全部みんなの勘違いです。
俺んち貧乏だったし大変だったんだよ生活が、やたらと兄弟は多いし、食べるだけで精一杯でさ。ただ、戒律と権威至上主義に傾ききっているユダヤ社会でふんぞりかえって偉そうにしてるオッサンたちに一言言いたかった。俺たちの神ってもっとLOVEなんだよってみんなに気付いてほしかっただけなのに…。俺のフォロアー達全然分かっちゃくれない。改革派のリーダーなんかになりたくないって!おかげでローマからはテロリストのリーダーだとかあらぬ疑いかけられるし、ユダヤの偉いオッサン達からも嫌われるし。俺のホントの気持ちわかってくれたのって「裏切り者のユダ」だけじゃね?…あいつは自分の宿命みたいなものを引き受けて死んんで行ったよな…かわいそうだったけど。根性あった。俺もみならおうと思ったよ。あんときだよ腹が据わったのは。」…なーんてイエスのホンネはこんなのかもしれませんよ。
貧乏な境遇に産まれ、苦労を重ねたイエス。修行生活に入るって聞いたら家族は怒るよね…30前後でさ、頼みにしてた稼ぎ頭がいなくなったらどうして暮らせばいいの?まあ出ていくなら勘当同然だよね。
激しい荒野での修行のあと気づいたんだろう、極端な苦行や試練の先に答えがあるのではないことを。神はそんなこと求めてないんじゃないかって?答えは何か一つのものに集約されたりしないって…気づいた。人生の答えは?ひとつの答えなんか無いってのがその答えさ…そして全てを愛することさ。
フォロアー達は、一つの分かりやすい答えを求めてイエスのもとに集まる。しかし『答えが無いのが答え』なんて…禅問答受け入れられなかった。飢えてるおれたちは今食うパンが欲しいのさ‼
かくしてイエスは血祭りにあげらる。弟子たちは(イエスの本質を理解しなかった)イエスムーブメントに『キリスト教』なる名前をつける。グループを維持するためにはひとつの分かりやすいイデオロギーが必要だから。
きっとイエスはキリスト教なんてそんなおこがましいもの作る気はなかったんじゃないかな?
生涯、敬虔なユダヤ教徒で、神の愛の本質について真摯に考え続けたただの人なんじゃないかな。
キリスト伝説はフォロアーが作った。新約聖書はイエスは書いてないし、書けとも命じてないし。
うまくまとめられなかったけど…僕のキリスト論です。次はもうひとりの巨塔ブッタさんです。