チェルノブイリの原発事故のとき、そしてそれ以降ヨーロッパに
日本から大量に輸出された食品がありました。
それがお味噌です。
きっかけは、秋月博士の書いた「長崎原爆体験記」という本の英訳版が欧米で
当時はまだ科学的な根拠がありませんでした。
日本から大量に輸出された食品がありました。
それがお味噌です。
きっかけは、秋月博士の書いた「長崎原爆体験記」という本の英訳版が欧米で
出版されたためです。
当時はまだ科学的な根拠がありませんでした。
しかし、後に伊藤明弘・広島大学原爆放射能医学研究所教授が
専門情報誌「みそサイエンス最前線」に、
「味噌による放射性物質の排泄効果」を発表しています。
専門情報誌「みそサイエンス最前線」に、
「味噌による放射性物質の排泄効果」を発表しています。
今日は、NPO日本綜合医学会理事の井上先生が書かれた
記事をそのままご紹介したいと思います。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++「原爆(放射能)に勝った味噌汁と玄米!」
NPO日本綜合医学会理事 井上 明
長崎の原爆投下直後から献身的に被災者の救護・治療に活躍された
聖フランシスコ病院の秋月辰一郎医師は
「爆心地より1.8キロメートルの私の病院は、死の灰の中に、廃墟として残った。
私と私の病院の仲間は、焼き出された患者を治療しながら働きつづけた。
私たちの病院は、長崎市内の味噌・醤油の倉庫にもなっていた。
玄米と味噌は豊富であった。さらにわかめもたくさん保存していたのである。
その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療に当たった従業員に、
いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。」
と著書「体質と食物」(クリエー出版)に書かれている。
「わかめの味噌汁と玄米食」で自分の結核を克服したと信じていた秋月医師は
スタッフ全員に「わかめの味噌汁と玄米食」を勧めていた。
また砂糖(甘い物)は避けるように指示した。
そのおかげで、医師・看護師らは獅子奮迅の働きで多くの命を救い、
原爆症を発症したスタッフは一人もいなかったという。
味噌や玄米・わかめのたんぱく質や
ビタミン・ミネラル・繊維・ファイトケミカル等々の総合力によって
放射能の害を抑えたとしか考えられない。
広島の原爆では9歳で被爆した少女が玄米食で奇跡的に回復し、
その後結婚されて7人もの子宝に恵まれた。
佐和子さんは足の裏まで焼けた全身やけどのなか、
必死の思いで母親を見つけ出した。
全身に水をかけられ病院に運ばれ即入院。
奇跡的に一命を取りとめたものの、
ケロイド(やけどの傷跡)は切っても切っても盛り上がり、
夏場はその傷口からウジがわいて、そのウジを取って暮らすのが辛かったという。
高校生になるまで、母親は佐和子さんに鏡は一切使わせなかった。
こんな醜い顔で結婚もできない。
原爆症で白血球も肝機能も低下し、生きる支えはただ一つ、
勉強して研究者になり原爆・放射能の研究をしよう。
彼女は猛勉強をして広島大学工学部に入学し、放射能の研究一筋の生活に入った。
そして玄米食をしていた平賀先生と巡り合う。
「玄米を食べて治らない病気はない。原爆症だって治る!」と言われ玄米食を始めた。
その効果は数カ月で出てきた。
あの焼けただれたケロイドの皮膚がポロポロと剥がれ落ちてきた。
髪の毛も眉毛も元通りに戻った。
そして平賀先生と結婚し、なんと7人の子供を生み育てたのだ。
これも命のある玄米や野菜・海藻の総合力以外の何物でもない。
宮沢賢次の「玄米と味噌と野菜」の食事が、
自然が与えてくれた最も自然な食事なのだろう。
現代人は飽食・美食の食生活を素直に反省し、
普段は野菜・海藻多めの和食に努めることは勿論だが、
原発の事故により放射能が飛散している非常事態の今こそ、
多くの人々が玄米・大豆(味噌など)・野菜・海藻の食事によって
かけがえのない生命と健康を何としても守っていただきたいと思う。
自然が与えてくれた最も自然な食事なのだろう。
現代人は飽食・美食の食生活を素直に反省し、
普段は野菜・海藻多めの和食に努めることは勿論だが、
原発の事故により放射能が飛散している非常事態の今こそ、
多くの人々が玄米・大豆(味噌など)・野菜・海藻の食事によって
かけがえのない生命と健康を何としても守っていただきたいと思う。

