最近妻のマイブームが蕗になり、おかずに蕗の煮しめが
よく出るようになった。
 蕗はそこいら辺によく生えており、わざわざ買わないでも
よいのにと、週末にふきのとうを採っている場所で相応の
量を採って帰ったら、いっぺんに全部煮て出されたのには
驚いた。
 蕗はかなり草の味が強いせいか、味付けを濃い目に
しなければならないらしい。
 相応の年齢になって塩分を控えた食事が出るように
なっていても、しょっぱく煮しめられた昔ながらの蕗を
食べられるのはうれしい。

 蕗は普通に食べるが、学生の頃に下宿の食事で毎日
出されていた時があった。
 経営していたのはかなりのお年寄りで、隣に公園の池が
あって、採り放題だったことが関係していたらしい。
 春から晩秋までほぼ毎日出ていて、同じ下宿の友人は
途中から残していた。
 そんな経験から、最近までは進んでは食べようとは
思わなくなった。

 しかし、ふきのとうは好きで、毎年早春に採っては
郷里に送ったりてんぷらや蕗味噌で食べている。
 郷里は盆地だが名ばかりで、山地と山脈に挟まれた
山間で、平地のこちらより春は一月程度遅いため、
地元の親戚に一足早い春を届けて、普段のご無沙汰の
埋め合わせをしている。
 元々春の山菜が好きなのと、一月程度の期間限定のため、
蕗と違って食べ飽きないのかもしれない。

 ふきのとうは湿地だけではなく、平地でも普通に生えて
おり、生育の条件はよくわからない。
 毎年、宅地化などの造成で生育地が減少しており、
新たな生育地を探しているが、上記の理由で見当の
つけようがない。
 普段から自転車で周りの景色に注意して、時には
寄り道をして蕗の葉が出ていないか目を光らせている。
 苦労の甲斐あって、自分と親戚の分は毎年なんとか
確保できているが、隣の駅近くまで回って採取している
状況で、いつまで続くか年毎に不安になっている。

 ふきのとうは、蕗から出るものが大半だが、葉が殆ど
出ないで出るものがまれにある。
 蕗から出るものと違って、丸みが強く、つぼみの先が
やや紫がかっている。
 そして、何よりも違うのが味で、蕗の強い香りが
それほどでもなく、ほろ苦い味をじっくり味わえる。
 この「あたり」は滅多に採れず、年に5本採れれば
大当たりで、妻には必ずてんぷらにしてもらえるように
頼んでいる。

 子供の頃は親に言いつけられて、庭に採りに行った。
 喉が渇くと、葉を丸めて柄杓を作って水を飲んだ。
 沢登りのときに思い出してこれで川の水を飲んだ
こともある。
 そんな思い入れもあってか、次々外来植物に取って
代わられている中でも、今後も久しく身近に残って欲しい
植物の1つと思っている。
 

 

 ふきのとう、遅い降雪の日

 

 

こいつを目印に来春の収穫をめざす。

 

 

まだやり方を覚えていた蕗の葉の柄杓

蕗の香りでおいしさ2割増し、と思う。