あまりきれいなネタではありませんので、無理を

したり食事前後を避けて、お読みくださることを

お勧めします。

 

 風呂と並んで家の中で最も変わったものは、
これだと思う。
 小さな子供の頃は、にらめっこの時に、
「う○こ」と言うと笑いをとって勝てたほどだった。
 こいつとそれにまつわるものは、今の子供
以上にいろんな思い入れがある対象だった。

 古い家の便所はそのままの汲取り式で、臭いが
ひどく、家の一番外側か家の外に便所だけ
建てていたところもあった。
 家にあった場合も、入り口は縁側か外に沿って
戸一枚隔てた廊下の先にあり、外と変わりが
なかった。
 便器などなく、床板がそこだけ抜いてあって、
そこを跨いで用を足す。
 蓋が付いていたり足を載せる所に板が打ち付けて
あるのはまだましな方で、床板がたわんで今にも
割れるかと思うくらい華奢なのもあった。
 冬は寒いので、寝る前に必ず便所に行く習慣が
つく。
 夜中は冷え込みがきついためだった。
 戸や床板一枚隔てて下は風が吹きぬけ放題
なので、行きたいなどとは到底思えないほど
冷たく、朝まで我慢することもあったが、
我慢しきれず行く時は足の裏の皮が剥がれるかと
思うほどだった。
 便所はただ穴を掘ってその上に建物を建てた
だけで、隣の汲取り口の蓋を開けるとそこから
便器の穴の裏側が見える。
 貯める穴の周りもコンクリートで固めていない
所もあり、便所の周りの土もなんだか臭かった。
 便所に入る前に大きく息を吸って、用を足し
終えるまで極力息をしないように我慢して
入ったものだった。
 農家では肥料として使う家も少なくなかったが、
寄生虫の問題があったり、何よりそのままでは
肥料に使えない。
 中の酸などが植物には害になってしまうらしく、
枯れたり生育が悪かったりするのである。
 このため、直接撒かずに畑の近くにある
肥溜めに一旦貯めて、分解されたのを見計らって
から畑に撒くか、畑を作る時に元肥である程度
深く掘って埋める。
 元肥は、他に野菜屑や葉っぱを堆肥にした
ものも入れる。
 堆肥は積み重ねた下から取り出すので掘るのが
大変で臭いもきついし、ムカデなどの毒虫もいる
ので手伝いは嫌だった。
 撒く場合も、畝の間に撒いて土を被せる。
 肥溜めは、分解されるまで放って置かれるため、
上に草が生えて見た目わからなくなって、遊んで
いると落ちる奴が出ることがあったし、わざと
隠して落とす悪戯もあった。
 また、こんな悪戯もあった。
 夜、悪戯する奴が便所に入ったら、枝に軍手を
差したものを汲取り口から入れて便器の穴から
出す。
 暗い便所の明かりではよく見えないため、
勘違いして悲鳴とともに便所を飛び出していく
姿を見て大笑いした。
 次の日、「便所にお化けが出た!」と真顔で話す
そいつを見て再び大笑い。
 種をばらすと怒って暴れられるが、そいつも
後で別の奴に仕掛ける側になる。
 女子にすると洒落にならないので、
ターゲットは男子限定だった。
 子供社会はその時分から分別や良識がしっかり
していて、現在のような洒落にならないいじめや
暴力はなかった。
 暴力もちゃんと相手をみて加減をしていて、
引き際も心得ていた。
 そういう歯止めが効かなくなったのは、いつ頃
からなのだろうか?
 街中でも古い家の便所は同様だったが、穴は
コンクリートでしっかり沁み出さないように
なっていて、蓋もしっかり閉まる。
 農家のように家同士が離れていないので、
近所迷惑対策なのだろう。
 また、家の脇を流れる生活廃水路をこっそり
引き込んで、水洗トイレにしているところも
あった。
 当時は建築規制も殆どなく、家の外壁のすぐ
脇が側溝で、同様に狭い側溝を挟んですぐ脇が
隣家という住宅事情もざらで、こんなことも
すぐできたらしい。
 用を足そうとすると、便器の穴から魚が見える
ことがある。
 汲取りを頼まないで済むと自慢していたが、
水路の下流の家は迷惑だったに違いない。

 便所の明かりは二燭光と呼ばれるピンポン玉
位の大きさの電球で、辛うじて手元や便所紙が
見える程の明るさだった。
 明るいと色々汚いものが見えるためだったの
かもしれない
 燭というのは、英語で言う光源の強さの単位:
カンデラの和訳である。
 「カンテラ」、「キャンドル」と言った方が意味が
判り易いかも知れない。
 元々蝋燭の光の強さを基にしたため、日本では
「燭」の文字を用いたとのこと。
 二燭光は、蝋燭2本分の明るさということに
なる。
 似たような明るさの単位で「ルクス」があり、
写真などで使われるが、これは測定した箇所
での明るさで、同じ強さの光源でも、近いと
明るく、遠いと暗いとなる。
 その後、ワットという単位が使われるが、
これは照明機器が消費する電力を基準として
おり、電力会社には使い勝手が良かったのかも
しれないが、機器の発光効率によっては同じ
電力でも明るさが変わるので、使う側には
問題があった。
 白熱電球の置換えで電球型蛍光灯が作られたが、
明るさと消費電力のそれぞれにワットが使われた
ので、混乱が生じた。
 さらに悪いことに、同じ明るさのワット数の
電球型蛍光灯は白熱電球より暗く、100ワット
電球などは倍のワット表示の電球型蛍光灯でほぼ
同じ明るさだったので、ワットがあてにならなく
なってしまった。
 そんなことがあってか、一時期電球ソケットに
差し込んで2つないし4つの電球が付けられる
アダプターが出たりした。
 LED電球の登場あたりになると、さすがに
懲りたのか、ルーメンという単位が用いられた。
 元からあったカンデラを使えばいいのにと
思うが、21世紀で流石に蝋燭では抵抗が
あったのだろう。
 ルーメンは光の総量で定義されるが、レンズ
使用などの条件で、同じルーメンでも電球と
スポットライトでは対象の明るさが異なる現象が
生じる問題があり、これもいつまで続くやらで
ある。

 便所に必ず備え付けなのが通称"便所紙"である。
 トイレットペーパーなどが知られるのは大分
後の時分である。
 大きさがA4サイズより少し小さい程度で、
縦横の比率がより小さかったと思う。
 専用の箱に入れてあったので、大きさは統一
されていたのかもしれない。
 紙は、わら半紙に似ていて灰色がかっていたが、
学校で使う小テストのわら半紙より厚く、鉛筆で
字を書こうとしても鉛筆の芯がささって書けない
くらい柔らかで、メモ用紙としては使えない。
 実家で使っていたのは「八重桜」という商品名の
ものだった。
 後になると、白い縮緬仕立ての紙になって(商品
名は忘れた)、紙は薄くなったがさらに柔らかく
なった。
 こいつは破れやすく、使う枚数が少なかったり
拭き方が乱暴だったりすると、すぐ破けてアレが
指に付いてしまうのが難点だった。
 便所紙は使う枚数を極力少なくするように親から
言われていて、減りが早いと小言を言われた。
 ある時、新聞紙を切ったものが代わりに置かれて
いた。
 友達の家でもたまにあったとのこと。
 たまたま紙が無くなった代用品なのか、無駄遣い
に怒っての仕打ちだったのか不明だが、これには
難儀した。
 そのまま使うと硬くて尻が痛い上になかなか
拭き取れない。
 無理して擦るとすぐに紙が破けるので使いにく
かった。
 紙がつるつるで薄いせいらしい。
 使う前に紙をくしゃくしゃにしてよく揉んでから
使わなければならなかった。
 折込広告が入っているとさらに厄介だった。
 こいつはさらに固くてつるつるだったので。
 1枚くらいのときは、紙屑にして次の新聞紙を
使った。
 これに懲りて、残りが少ない時は早目に親に
伝えて買い物リストに加えてもらうが、量が結構
多くて買い物袋が一杯になり、他の買い物と一緒に
持って帰るのが大変だった。
 こういう経験があってか、紙はきちんと折って
畳みながら使って、枚数を少なくする習慣がついた。
 たまに紙が無い時がある。
 紙はそこら辺に置いておくと、子供はいたずらや
遊びに使ってしまうので、手の届かない棚に置いて
おり、自由に出すことが出来ない。
 親がいれば出してもらえるのだが、いないときは
大問題である。
 新聞や広告は親が見るかも知れないので、勝手
には使えない。
 この時分紙は貴重で、子供には自由に出来る紙は
ほとんど無かったと思う。
 大概は外に出て、大きな葉を取ってきて済ませる
ことが多かった。
 どうしても無い時は、最後の手段で手を使う。
 洗っても臭いがなかなか取れず大変だった。
 何度か経験すると、残りが少なくなると親に
進んで知らせるようになるが、紙を無駄遣いして
いないか必ず小言を言われるのが嫌だった。
 まあ、こうして当時の子供は家事に自然に参加
していき、手伝いなどの役割分担を通じて発言権を
得て、家族の一員になっていったのだと思う。

 当然の事ながら便所は台所とは離れていて、
水道が通っていないことも多かった。
 たとえあったとしても、両手が入る程度の小さな
流しの付いた蛇口が壁についている程度だった。
 当然手洗い専用で、歯磨きや顔洗いは風呂場の隣の
洗面所でおこない、ここには普通に鏡も付いていた。
 よく見かけたのは、名称は知らないが手洗い容器
だったし、実家もこれだった。
 便所が家の外にある場合は100%これで、
便所の中や外に吊り下げられていた。
 こいつは、水を入れる容器の底に如雨露の先の
ようなノズルが付いていて、中央に棒が下に
突き出ている。
 この棒を上に押し込むと、容器の中の水が如雨露の
水よろしく出てくる。
 但し、ノズルは如雨露のように大きくはないので、
手を伝って流れ落ちる程度、容器がそんなに大きくは
ないためなのだろう。
 棒を離すと水が止まるので、棒を押し上げつつ手を
洗わなければならない。
 洗った水はそのまま下に落ちるので、外に置いて
ある場合は構わないが、中にある場合は洗った水が
便器の外にこぼれないように位置を調整して、水が
飛び散らないように洗い方も丁寧氏にしないと
いけないが、先に述べたとおり水量がさほど多くない
ので、子供でもできる。
 TV途中なので急いで雑にやってしまい、便器の
まわりを水びたしにすると、当然のことながら親に
叱られる。
 こんなこともあってか、実家では便所は一応家の
端にあったが、中には吊るさずに入り口の軒下に
吊るされていた。
 台風の時などは飛ばされないように家の中に
しまう。
 夜は雨戸を閉めるので、手はお風呂場の隣の
洗面所まで行って洗わなければならなかった。
 外の廊下を通ってぐるっと回って洗面所まで
行くのが面倒くさいので、台所の流しで洗うと
親に怒られた。

 新しく家を建てた時はトイレも刷新された。
 まだ下水も普及していなかったので、水洗では
なかったが、当時の厚生省推薦の二槽式浄化槽の
ものだったらしい。
 家を建てている途中で中に入って探検した。
 トイレの中などは滅多に入れることはないので、
汲み取り口から入って中を見たが、汲み取り口側と
便器側がコンクリートの壁で仕切られていた。
 便器側の屎尿が分解されてから汲み取り口側に
入り、ある程度無害化してから汲み取り回収する
ためらしい。
 便所と肥溜めが一体化したものと考えられない
ことも無い。
 そういうことを知ってか、祖父はちょくちょく
こいつを畑に撒いていて、遊ぶ私たちは臭くて
困っていた。
 また、浄化槽には煙突が付いて、てっぺんに
換気扇が付いていて、浄化槽の空気を換気して
無害化を促進しているらしかった。
 基本雨ざらしなので、何年かすると壊れて
止まってしまい便所が臭くなるため、梯子を
かけて交換した。
 上から差し込んでネジで横から止めてある
ので、ねじ回し1本で簡単に交換できた。
 それでも家が古くなってくると、臭いが
強くなってきて、窓用換気扇を追加した。
 便所の窓は普通の目の高さの位置以外に横に
細長いのが下にあり、鍵がついていない。
 これもこの地域では共通らしい。
 この窓は家の外壁より一段内側に付いていて、
当然窓の上は低く平らな棚になり、ここに
便所紙が置かれていた。
 これだけでは場所が余ってしまうと考えたのか、
ここに花瓶を置いて花や造花を差して置く家が
多かった。
 下の窓は、子供にとっては非常時の入り口
だった。
 学校から帰ったときに、たまたま親が外出して
鍵が掛かっていたときにはここから中に入るが、
入り方には少々コツがあった。
 友人達も大概同じやり方で、知らない奴には
みんなで実地教習したりして教え合った。
 窓が外せる場合は、事前に窓は外しておく。
 和式の戸なので、襖や障子戸同様に上に持ち
上げて下側をずらすと外れる。
 まず、顔は横を向く。
 窓枠に鼻や唇を擦ると痛いし、横向きの方が
幅が狭くて入りやすい。
 小学校の学年が上がって体が大きくなると、
これは必須事項になる。
 そして、仰向けに入る。
 窓の正面が便座のため、これを避けて体を上に
曲げなければならないためである。
 小さな頃は便座を横に避けて入ることも
出来たが、これも体が大きくなるとできなくなる。
 そして、壁などに手を付いて足を突っ張って
体を中に入れる。
 仰向けなので周囲が見えにくく、部屋の配置の
記憶などを頼りに手で掴む場所を何とか探す。
 便所の中の紙を散らかしたり、花瓶を落とさない
ように注意しないといけないので、結構大変だった。
 誰かが狙いを外して床が濡れていたりすると、
入る途中で服が冷っとしてやばいと思った。
 このまま入っても中止して外に出ても地獄だった。

 親戚の農家が家を立て替えた時に、水洗便所を
導入した。
 当時はまだ下水が通っていなかったが、折角
コンクリートの家を建てるのだからとフンパツした
らしい。
 流した水の処理だが、自分の家で食べる米を
作る田に一旦流して浄化した上で、他に流すことで
決着が付いたとの事だった。
 無いところでは無いなりに工夫するものだと
感心した。