これもどこかで書いたかもしれないが、私が子供時分の
郷里では民放が1局しかなかった。
 その後、民放が1局増えたが進学で地元を離れるまで
そのままだった。
 今では民放がさらに2局増えているが。
 子供の時分に見たかったテレビまんが(アニメという用語
すらない時分のため、当時の用語を使っています)も
本放送で見られたものは少なく、夕方の再放送枠で見るのが
多かった、といっても数自体は少ないんだけど。
 不幸中の幸いは、マジンガーZシリーズと宇宙戦艦
ヤマトは本放送で見れたことだった。

 当時、実家のTVはVHF受信専用だった。
 そして、新たにできた民放はUHF局だった。
 これを視聴するために、自宅ではアンテナのほかにUHF
コンバータという装置を追加した。
 首都圏ではNHKを含む7局がすべてVHFなのに、
3局しかVHF局のない地方で、わざわざTVにアダプタを
付けなければ受信できないUHF局を設けなければならな
かったのだろうか?
 多分、推測だが、航空管制権等の問題が関わっていたと
思う。
 戦後、日本は領土を早期に返還されたが、空は別だった。
 昔の航空路図を持っているが、ほとんどが海上航路で、
内陸の空港からのコリドーが細々と伸びている程度だった。
 羽田を離陸した旅客機が高い上昇率で離陸するのは、
米国の空域を避けてのことだったと聞く。
 航空管制の電波周波数は、FM~TV放送の一部を
使用する。
 知識のあるマニアはFMラジオを改造して航空無線を
受信していた。
 理由は、この周波数帯が大気中で遠くまで届くもの
だからである。
 電波は空気中を伝わる過程で、大気の分子に吸収されて
弱くなっていくが、特定の周波数はこの影響が少ないため
遠くまで届くのである。
 しかし、同じ周波数を使うと混信するため、放送局は
使用する周波数が他と同じにならないようにする。
 しかも、TVやラジオは電波に音声や映像の信号を
のせて送る(変調という)ため、ある程度の範囲の周波数を
つかう。
 このため、使える周波数帯域の数(チャンネル数)は
有限で、湯水のように使えるほど多くはない。
 放送ができた当初は周波数は使い放題だったが、後に
TVやラジオ、航空無線や警察・消防無線まで入ってくる。
 さらに軍用通信が入る。
 東西冷戦の最中、秘匿性は重要で、割り当てられた
特定の周波数ばかり使っていると某国に受信されて
しまう恐れがある。
 ここの周波数帯は、障害物があっても電波が比較的
回り込むので山地での通信にも適しており、軍用としては
使い勝手が良い。
 新規に放送局が参入するとなると、その筋から物言いが
ついた可能性がある、「空は俺のもんだ」と。
 その後、郷里ではさらに放送局が追加されたが、
いずれもUHF局だったし、米軍基地周辺では未だに
朝だろうが夜中だろうが軍用機がやかましい音をたてて
低空を通過していく。
 友人は衛星アンテナが遮られて録画したTV画像が
乱れたとこぼしていた。
 UHFはVHFより高い周波数で、より少ない電力で

電波が遠くまで届く帯域で、すでにマイクロ波通信などに

使われていた。
 但し、障害物があるとその先には届きにくくなるので、
高い塔を建てて、主に都市間を結ぶ中継局などに使用
されていた。
 そういう訳で技術的な下地があったので、UHF放送が
導入されたと推測する。
 因みにレーダーで使用する周波数も同様で、さらに高い
周波数を使用する。
 レーダの電波は真空管の送信管を使って作り出すが、
中に封印する物質で周波数が決まるので、クリプトン波
などの名称があるが、戦時中は機密事項で色名で区別
していた。
 さらに嫌な話をすると、地デジ放送導入に奴が関与した
可能性がある。
 先に述べた通りVHFは伝搬の面では便利だが大量の
データ通信には適していなかった。
 ところが新しい通信方式の開発によってそれが可能と
なってしまった。
 3G・4GといわれるCDMA方式の1種で、
 すでにDOCOMOのFOMAから採用されており、
地デジ移行前に実績などの下地は整っていたといえる。
 CDMA方式はまとまった帯域を必要とするが、
大量のデータ通信が可能でチャンネル数も相応に確保
できるし暗号性も高い。
 これをVHFで利用するため、地デジに移行させたと
勘ぐることができる。
 地デジはUHFなので、移行後はVHFは更地になる。
 すでに警察無線などもデジタル化が済んでいて、
残りは端っこにFM放送があるくらいである。
 地デジ導入の説明で、地デジ移行後にここを何に
活用するか一切触れられていない。
 推して知るべしである。

 個人的に地デジ導入は碌なことがなかった。

 都心からの電波が届かなくなったので、近くにアンテナが

建てられたが、生憎近くのビルに遮られて受信ができない。

 既に建てられている建物なので共聴アンテナなどの補償も

なく、有料のケーブルテレビに加入する羽目になった。

 地方は、殆どがUHF局だったので、被害は少なかった

ようだ。

 初っ端からヘビーなことを書いた。
 話を戻そう。
 昔、某TVメーカーのCMでこんなのがあった。
 「テーレビばっかり見ていると、
  いーまにシッポが生えてくる。
  そーれは大変大変だー。
  シッポが生えたらどうしましょ。」
 TVを売るCMで見ないことを勧めるのは、今では
ありえないことだが、当時はTV視聴が目に負担が
かかるとして、画面の前につけるフィルターなどが
売られていた。
 子供でさほど勉強ができる訳でもないのに眼鏡を
かけている奴は、テレビの見過ぎとからかわれたりした。
 TVの画面サイズの何倍か離れて見なければならない
などのルールが広知されていて、夢中になってテレビの
近くにいくと親に叱られたものだった。
 また、食事をしながらTVを見るのはNGで、TVは
茶の間で食事は台所というように別にしていた家も
多かった。
 但し、おやつやお茶を飲みながら見るのはなぜか
セーフだった。
 食事の時間が見たいTV番組と重なると、急いで
食べたものだった。
 当時はビデオ録画など当然無く、見逃したら終わり
なので一大事で、大好きなおかずでも味わずに急いで
詰め込んでテレビの前に駆けつけた。
 食事は残さず食べないと終わりにならず、TV
見たさに嫌いなおかずも食べるので、食糧事情の悪さも
手伝ってか、好き嫌いのある子どもは少なく、逆に
ピーマンが食えないなどという奴は馬鹿にされた。
 また、1日に見る番組の数を制限されたり、小学生
までは夜9時以降の番組禁止などの様々な制約があり、
テレビっ子の私たちは何かと苦労をさせられた。
 言いつけを破ると大変だ。
 私たちの世代は親もその親も大戦前の生まれである。
 体罰上等、びんた・拳骨はあたりまえで、鼻柱の
強い弟などは立ち上がれなくなるまで足払いで転が
されたことがある。
 受け身など知らない子供が何度も柔道技で畳に
倒されるのだからたまらない。
 私も倒されたときに胸を打って、しばらく呼吸が
できなかったことがある。
 他には、押し入れに入れられる、外に蹴りだされる、
物置に入れられる、手足を縛られるなどがあり、
友人たちも似たり寄ったりだった。
 ただ、いずれの場合でも道具を使うことはなく、
大人は加減を心得ていた。

 子供時分で見るTV番組はテレビまんが一択である。
 中学・高校になるとドラマや教養番組なども見るが、
先に書いた番組数が少なかった事情もあり、テレビ
まんがは最優先視聴番組の上位だった。
 アイドルに興味のなかった私は、歌番組は殆ど見ず
ドラマも親が見るのを一緒に見る程度だった。
 テレビまんがは、キー局の中継の本放送は夜7時台に
放送されていたが、先の事情もありせいぜい週に2本
程度、あとは再放送枠だった。
 再放送枠は主に夕方、他に日曜日の午前10時(
もしかしたら本放送の可能性あり)と朝があった。
 夕方は手伝いの時間帯と重なるので、早めに遊びを
切り上げて、手伝いを済ませてからテレビを堪能する。
 追加でお使いを頼まれたりするとがっかりする。
 朝は残念ながら登校時間の関係で、番組途中で家を
出なければならなかった。
 集団登校で、決まった時間に集合場所に来なければ
ならなかったので、急いで行けば始業時刻に間に合う
という小細工はできない。
 学校で友達から見たばかりの番組の話を得意げに
聞かされるのは悔しかったが、見れなかった番組の
結末を知ることができるので、痛し痒しといった
ところだった。
 テレビまんがが放送されると、関連したおもちゃが
発売される。
 ウルトラマンが中継されていたため、怪獣や
ウルトラメカはわかったが、見とこともない
ロボットや乗り物のプラモデルやヒーローが描かれて
いるブロマイドやめんこが出ていることがあった。
 オリジナルのものもあっただろうが、こちらで
放送されていない番組のものも少なくなかった。
 当時、なんかしらないけれどかっこいいと思って
買って作ったプラモデルが再放送の番組で登場
したり、上京してからテレビまんがで放送された
ことがわかったものもあった。
 高校生あたりになるとアニメ雑誌が発行されて、
放送されていない番組の多さにびっくりして
地元の田舎さ加減を思い知って悔しがった。
 ガンダムを知ったのもアニメ雑誌や模型雑誌で、
進学のために引っ越すと、そこでは本放送は終了
して今度は地元で再放送が始まった。
 結局見れたのは再再放送で、Zガンダムが始まる
少し前、散々模型雑誌でスクラッチビルドなどが
紹介されたあとにようやくガンプラが発売された
頃だった。
 幸か不幸かリアルタイムで番組初見とプラモデルを
同時に満喫することができた。
 隣の県の放送が受信できないかとTVのチャンネルの
微調整ダイヤルを回して試したこともあったが無駄
だった。
 友人がTVを受信できるラジオで放送を聞いたと
いうのが大成果というところだった。
 そもそもTVは高いアンテナを立てないと映らない
地域、ポータブルテレビも同じで家のアンテナに
繋がなければならない。
 ポータブルテレビのロッドアンテナがまともに
使えるのは都心くらいではなかろうか。

 そして、深夜番組。
 子供の頃、唯一解禁されたのは大晦日の紅白で
ある。
 冬休み明けに登校するとすぐ、何時まで起きて
いたかと自慢し合った。
 嘘を言うと、誰が歌ったか、どんなアトラク
ションがあったか、衣装は?という話でばれる
ので、がんばって起きる。
 ようやく除夜の鐘を聞くことができたのは、
小4あたりだったか。
 高校受験の年齢あたりから、友人達の話題に
イレブンPMが出るようになった。
 その頃はTV視聴時間の上限が夜の10時過ぎ
あたりまで緩和されていたが、こいつはまだ見れ
なかった。
 堂々と見れる(?)友人の家庭環境がうらやまし
かった。
 かくして私は親に隠れてこっそり見ていた。
 同様に見ていた友人も少なからずいた。
 やり方は以下のとおり。
 親が自室に戻ったのを見計らって、毛布を
持って茶の間に行く。
 茶の間の電気は消したままでTVに毛布を
かけてTVをつけて見る。
 TVの明かりが漏れるのを防ぐためである。
 ボリュームはやっと聞こえる程度に絞る。
 親が来た時に先に気付くためである。
 祖父は時代劇を見終わると早々に寝て
しまうが、父母は仕事を片付けるために
自室で起きている。
 気配を感じると、TVを消して息をひそめる。
 大概は台所での用事なので、別室の茶の間
には来ることはなかった。
 見つかると大変なので、見たいところを
見たら早々に退散する。
 友人の話でどんなコーナーが何曜日の何時頃
あるのか聞いているのでぬかりはない。
 親が茶の間で起きていればあきらめる。
 失敗は許されない。
 そのうち勉強が大変になってそれどころでは
なくなった。
 反動で、進学で一人暮らしになると、自室に
いる間はTVはつけっ放しになった。
 映りにもこだわって、ブースターを買って
取付けていた。
 ビデオが発売されると、バイトをしまくって
同好の友人たちと共同購入した。
 共同購入は5人以上で購入すると、25%の
割引があったためだった。
 それでも値段は相当高くて、2台買ってCM

カットしてダビングなどできる訳もなく、雑誌の

放送タイムテーブル記事を元に録画ポーズを

おこなってCMカットしてコレクションした。
 マニアな友人は、2台購入してダビングし
まくって、1年でヘッド交換したと言っていた。

 旅館のTVを見ていたことがある。
 わが子の自炊に不安だった親が決めた下宿の
共有スペースに据え付けられていた。
 TVの横に付いている料金箱に100円を
入れると何時間か見ることができるアレである。
 入居したてでTVを買うお金もなかったので、
暫くはお世話になった。
 先輩の部屋で見せてもらうのも限りがある。
 番組によっては、馴染みの模型店に行って
見ることもあった。
 だが、そこは生意気盛りの若者である。
 私なぞは「100円あったらプラモデルが
買える。」の人だったので、何とか払わない方法は
ないかと考えた。
 そこで、この100円TVを何とかすればと
同じ下宿のTV無し仲間でいろいろ試した。
 まずわかったことは、「電源が入っていると
TVをつけなくても料金がとられる。」という
ことだった。
 電源が入っていればTVがついている・
いないに拘わらず、時間が来るとお金は落ちて
しまう。
 対策は、「見ないときはコンセントは抜いて
おく。」だった。
 次にわかった方法は、「TVをひっくり返して
振る。」だった。
 ガチャポンで好きな商品を次に出てくる穴に
入れる技の応用(?)である。
 料金箱に落ちた硬貨が戻って入るため
らしかった。

 2人がかりでTVを持ってひっくり返して振る

のは結構な作業だった。

 これで、どうやらお金は払わずに見ることが
できるようになった。
 さらに、料金箱に入る電源コードを外して
コンセントにつなぐ必殺技を開発した。
 コンセントは料金箱にも付けておき、通常は
料金箱側につないで料金制にして、ばれない
ようにしていた。
 コードはTVのカバーの内部に収容するので、
見つかる恐れは低い。
 工学部ならではの発想だった。
 これで安心してTVが見放題になったが、
お金が全然入らないと怪しまれるので、時々は
お金を入れて見ていた。
 そのうちTVを購入して、お金を入れることは
なくなったが、後で入居した後輩たちはどう
だったのだろうか?

 今では郷里も民放が4局に増えたが、相変わらず
テレビまんがは少ない。
 衛星放送で見れるものを含めても都市部の放送を
網羅することはできない。
 見たければ有料の衛星放送かケーブルTVに加入
しろということか。
 子供の頃に願った「都市も地方も分け隔てなく
見たいテレビまんがを自由に見る」ことは、いつに
なっても叶いそうにない。