きっかけは飛行機の追っかけだった。
とにかく山間部では飛行機には縁が無かった。
昔は山岳流による気流の乱れのせいか、旅客機の
航路は大半が海上だった。
もちろん飛行場もなかった。
たまに上空を飛ぶのはヘリコプターぐらい。
TVの宣伝で飛行船が飛来したときは、翌日は
その話題で持ちきりだった。
得られる情報は街の書店の航空雑誌のみ。
ヒコーキ好きにはつんぼ桟敷の地獄のような環境
だった。
大学進学の進路選定は、自分の共通一次試験の
自己採点結果と偏差値が、希望する学部のそれを
満たす範囲の大学から候補を絞る。
同級生などは、都会かそれに近いかとかあった
らしいが、私の選定基準は、「大学所在県内に
飛行場や航空自衛隊の基地があるか」だった。
だから、選定理由は決して親には言えなかったし
必死で勉強した。
希望大学に受かって、祝い金でカメラを買って
国土地理院発行の地図も用意して、早速自転車で
出かけたが、片道半日かかって撮影どころでは
なかった。
航空自衛隊の基地は、民間空港と共用(正確
には自衛隊基地に民間空港を併設、近年では
百里基地が該当)とかでも無い限り大抵は陸の
孤島にある。
行こうとしても公共交通機関は無いに等し
かった。
隊員は近くの宿舎か基地の通勤バスを利用する
らしく、かなり離れたバス停の時刻表も日に数本
しか書かれていない。
映画「トップガン」や「ブルーサンダー」等で
注目されるのはずっと後の話で、「ファイヤー
フォックス」は放映された後ではあったが、
航空祭のイベントも航空雑誌の片隅に2行程度
記載される程度の扱いだったので、交通の便宜など
図れるはずもなかったと思う。
当時の基地の公開日は近隣住民サービスの
意味合いもあったらしく、けっこうおおらかで
一部の機体に触れるのも可能で、弟はF-4に寄り
かかって記念撮影を楽しんだこともあったほどだ。
バイトも始めたばかりで車はもちろんバイクも
買えない。
と云う訳で、輪行しか選択肢はなかった。
自転車趣味の方々には不純すぎる動機で申し訳
ないが、当時の私には切実だった。
持っていた自転車を輪行仕様にするために用意
したのは分割式のフェンダーとウィングナットと
チェーンフックと輪行袋。
中古バイクよりはるかに安上がりにできた。
フェンダーは不整地走行には欠かせない。
なしでぬかるみを通ると、跳ね上げた泥水で
貴重な撮影機材の入ったリュックやズボンが
泥だらけになる。
晴れていても道が浅い小川を平気で横切って
いるので、ぬかるみはあって当たり前だった。
陸の孤島で農道などの不整地を経由せずに
行くとなると、大きく回り道する羽目になり
選択の余地はなく、購入は必須だった。
今では農道も舗装が進んでいて、なしでも
済むかもしれない。
輪行仕様のフェンダーは、フレームのバック
フォークからはみだすリアフェンダーの後半が
分割されており、ウィングナットを緩めると
取り外すことができる。
フェンダーステーもフェンダーと一緒に外す
のでフレームへの取り付けラグがなく、カン付
だるまネジを使って止める。
取り外しはカン付きだるまネジのカンつき
ネジを回して緩めるだけで抜き取れる。
フェンダーステーの固定位置が自由に選べる
ので多少曲がっても修正ができて便利(曲げるなよ
)だが意外と高く、ネジは小さいのでなくさない
よう気を使った。
ペダルなどは工具で外すため、ハブのウィング
ナットは必須ではなかったが、時間短縮とハブ軸の
先端保護、それにそこそこ安かったので購入して
取り付けた。
チェーンフックはバックフォークに取り付ける
タイプで、チェーンの長さに応じて取り付け
位置を調節する。
チェーンレストはエンドの形状によって取付け
できないものもあって、無難なチェーンフックを
選んだ。
ブレーキはクイック付きのワイヤーエンドを
使ったセンタープルブレーキで、ブレーキ
レバーのクイックレリースと併用すると、
ハンドルからブレーキワイヤーを取り外せる
ので、輪行袋の収納・取り出しでワイヤーが
絡まったりすることがなくて楽だった。
欠点は効きがサイドプルよりやや甘いこと。
調整が面倒なので、輪行以外でもつけっ放しで
使っており、特に交換はしなかった。
あと、現地で自転車を倒して駐輪するのは
マナーが悪いみたく感じたので、リアのキック
スタンドは通常のものを付けたままにして、
輪行袋収容時に取り外すようにした。
センタースタンドはそのまま使えて便利そう
だったが、当時はごつくて重く、ペダル位置を
決めて止めないと干渉するので敬遠していた。
なお、可倒式ペダルはあることはあったが、
高くてごつくて重かったので、これも敬遠した。
そうやって輪行仕様に変更しても、ぱっと見
普通のスポーツ車で、お金をかけた感が
しなかったのはちょっとがっかりだった。
当時の輪行は、前はハンドルとヘッド外して
前輪をフォークごと取り外す方式で、ベルトで
固定しながらまとめる。
今はフロントフォークはそのままで前輪のみ
外す方法が主流らしいが、コンパクトさでは
旧来のやりかたに軍配が上がる。
フレームにあたる部分はこすれて塗装が
はがれるので、それを嫌った人は予め
フレームをテープでぐるぐる巻きにしており、
皆からミイラ男と呼ばれていた。
自転車を収容した輪行袋はほぼ平行四辺形に
なり、電車で空いている席がなければ、運転席
後の壁に立てかけて椅子代わりに座ることが
できた。
車掌に見つかると、なぜか降りて立つように
注意された。
肩紐で支柱に結んでおり、体重で押さえる
ので安定するはずなのだが。
今では重たいキャリーバッグをろくに
押さえずに乗っている人をよく見かけるが、
車掌が注意しているのを見たことがない。
なにか偏見があるのだろうか?
目的地になるべく早く行って、ロープ
フェンス前最前列に陣取りたいので、夜行列車か
始発列車を利用する。
このため、駅には夜中か夜明け前に行くことに
なるが、始発列車の時刻がより早い駅があると、
最寄の駅よりかなり離れた駅まで自転車で乗って
行ってから電車に乗ることもあった。
駅に着いてから自転車を分解して輪行袋に
入れるが、かなりの確率で酔っ払いに付き
まとわれるのには閉口した。
競輪選手と間違われて、乗車後も延々と話
しかけられたのは大変だった。
以降、駅の交番の前で作業するようにした。
電車に乗る前に、券買所で手回り品切符を
購入する。
当時は規定の長さを超える荷物の持ち込みの
際に購入しなければならず、サーフボードなども
対象で、購入している人を見かけたことがある。
着駅で乗車券と一緒に渡すが、駅員が
乗車券だけで改札を通したときは、敢えて
渡さずに記念に取っておいた。
百里基地へ行くときはホリデーパスを利用して
最寄の石岡ではなく適用範囲ぎりぎりの高浜で
降りて自転車を利用する。
改札ではホリデーパスを見せるだけで通して
くれるので、手回り品切符を求められることが
少なかった。
手回り品切符は乗駅・降駅・日付が記載
されているので、記録兼記念に丁度よかった。
荷物の撮影機材は、重かった。
カメラとレンズは基本ガラスと金属の
カタマリなので当然なのだが、ヒコーキ用の
撮影レンズは通称大砲と呼ばれる望遠レンズが
殆ど。
でかいし長いしで普通の撮影旅行の2倍以上は
重い。
しかし、水平飛行から急上昇してバーチカル
クライムしていくF-15やブルーインパルスの
ソロ機を撮影するには必須アイテムだった。
そして、時折三脚を持って行くが、重い望遠
レンズを支える三脚はそれなりにごつくて
大きくなってリュックからはみ出すので、別に
専用の長い鞄に入れて運ぶことになる。
運転時はリュックと一緒には背負えないので、
ハンドルに乗せて運ぶが、当時はブレーキ
ワイヤーが外装式で、三脚がワイヤーにあたって
曲げてしまうので、軽くブレーキがかかって
しまう。
こういうときは、ワイヤエンドを少し緩めて
調整するが、三脚の載せる位置がずれると
ワイヤーにあたる状態が変わって、ブレーキの
効きも変わるので、油断ができない。
1度、1000mmレンズを持ち出した
ことがあった。
このレンズ、旧モデルで天体望遠鏡並みの
大きさで、長さが約1m、重さも10kg
ぐらいあって、手持ち撮影の限界を超えた
シロモノだった。
焦点距離が1000mmならば鏡胴の長さは
1000mmだろというもので、専用のさらに
長い鞄を買って3脚と一緒に入れてハンドルに
乗せて運んだが、ハンドルを持つだけで大変
だった。
前輪加重が大幅に増えて、ステアリングの
しにくいこと最悪だった。
途中から鞄の紐を首にかけて負担軽減を
図ったが、現地に着く頃は全身へとへとに
なった。
しかし、苦労して運んだ甲斐があって、
場所取りの楽だった事。
レンズを三脚に載せてそのままにして出歩い
ても場所を取られることがなく、むしろ余計に
場所を空けてくれた。
レンズを覗かせてくれと話しかけてくれる
人が来たりして、知り合いも増えた。
しかし、動いている飛行機はレンズが
重すぎて写すことができず、輸送機の上に
座って飛行展示を見ている自衛隊員を写す
ことができたくらいで、実用性は皆無だった。
結局メリットよりデメリットが大きいことが
わかって、1000mmの出動は1度きりで
終わり、せっかく買った鞄も自転車での出番は
2度と来なかった。
結婚後、車も手に入れたが基地通いは
相変わらず輪行でやっていた。
その頃になると、航空祭もイベント性が
増えて臨時駐車場や臨時バス運行なども
整備されていたが、来場者の増加に追いつかず、
渋滞がひどくて入場までかなり時間がかかって
いた。
駅で自転車を組み立てていると、タクシーを
使って航空祭へ行く人をちらほら見たが、
渋滞で料金がいくらかかったことやら。
輪行だとそんなことはお構いなしで、細い
農道をショートカットして渋滞の列の脇を
抜けて基地に来ることができた。
帰りも同様だった。
また、自転車は近隣地域の人が利用するもの
という認識があったせいか、後になるまで
基地の敷地の駐輪場に留めることができた。
一般外来の車やバイクは基地施設から離れた
臨時駐車場に留めなければならないため、
結構な距離を歩かなければならない。
止めたきっかけは9.11だった。
百里基地航空祭開催の2週間前、休暇を
取って自転車のパーツを輪行用に換装して
撮影機材などの準備をしていた時にそれは
起きた。
TVを点けっ放しで用具の準備をしていて
なんとなく見ていた画面がありえない光景で
目を疑った。
事態を知って百里基地の広報に連絡を
とったら、案の定、航空祭は中止との事。
理由は今の事故かと聞いたが、最後まで
内部の事情と言って事故には触れようと
しなかった。
映画も放映されて、航空祭に来る人が
増えてマナーが低下していた。
丁度いい潮時と思った。
以降、航空祭には行っていない。
輪行のきっかけは飛行機だったが、
航空自衛隊基地詣で以外でも旅行に使う
ことを覚えた。
やることは航空祭と同じで、違いは
カメラのレンズの種類ぐらいだった。
会社の営業応援に輪行で自転車を持ち
込んで、客先回りに使ったこともあった。
営業所長に「自転車を持ち込んだ奴は
お前が初めてだ」と言われた。
尤も目的は営業だけでなく、休みの日に
自転車で出歩きたかったことが多分に
あった。
寮の駐車場の順番待ちがいつまでも
来なくて、車を買いそびれていたのが
輪行を続ける原因の1つだった。
後で知ったが、駐車場は利用者が退寮
時に個人的に友人に有料で譲っており、
利用者にコネがないと永久に順番が回って
こないのだそうだ。
そういう訳で、退寮まで車なしの生活が
続き、旅行は専ら輪行することになった。
何が幸いするかわからないもんだ。
結婚後は、旅行は殆ど家族でするため、
一人で遠出する機会が減ったが、大学や
下宿の同窓会、昔の知人と会う時など
機会を見つけては細々と輪行を続けている。
輪行は現地に着いてあちこち回るのに
丁度よい。
目的地は必ずしも駅から徒歩圏内では
なく、現地のバス路線や時刻を気にせずに
時間が自由に有効に使えるので、早めに
現地に着いては空き時間にやりたいことを
めいっぱいやれた。
海に近いところへはレコーディング
ウォークマンを持っていって潮騒を録音
したこともあった。
自転車は波打ち際近くまで持って行ける
ので、輪行用のベルトで縛り付けてマイク
スタンド代わりに使えて重宝した。
スタンドが砂に沈んでしまい、そのまま
では立たないので、流木などを下に敷いて
立てるようにした。
友人に会うと、「自転車で来たのか」と
半ばあきれた笑顔で迎えてくれて、昔話の
ネタになってくれる。
車の使用も便利さでは匹敵するが、
最近は路駐も厳しく取り締まるので、
煩わしい。
また、一人では高速料金とガソリン代
を合わせると、新幹線使用時の料金より
やや高くつく。
しかも新幹線で1時間のところを2時間
以上かけての運転ともなると、割に合わ
ない感が強くなる。
今は自転車は手回り品切符が不要になり
より安上がり(せいぜい数百円だが)で
済むようになった。
妻に不評の薄汚れた輪行袋も当分は
処分できそうにない。