亡き母は、大きな炭問屋の末っ子
10人兄弟の一番下でした
そのために、長男の子供=甥っ子とは5歳も違わない…
そんな環境で育ったものですから
料理は出来ない、子守は得意(笑)
子供のあやし方は、私が驚くほどうまかったですね
何せ、赤ん坊の泣き方で、なぜ泣いているか分かってしまう
確かに、私にも「ぐずった泣き方」と、「甘えた泣き方」の違いぐらいは分かるのですが
お腹が空いたorちょっと具合が悪いor遊んで~
みんな聞きわけてしまう、と言う特技を持っていました
初孫=ウチの長男坊を抱いて
一生懸命話しかけている姿
今でも思い出します
「いつも、子供と対等な立場でお話しする事」
教育者であった、母の教えです
その頃、私達は札幌で生活
帰宅するときには、いつも笑顔で迎えてくれ
帰る時には涙
その頃が懐かしいです
今回の被災地、特に福島原発の警戒区域の方々
生まれ育った土地から離れるのは、非常に辛い事でしょう
でも、皆さんの健康や生命を考えたら…
この決断には、あえて、賛成致しましょう
沢山の困難が待っている事と思いますが
沢山の新しい出会いも待っています
だって、皆、皆さんの味方ですから…
涙を拭いて、上を向いていきましょうか?