「それでは人形(ひとがた)をお出しいただき穢れを移していきましょう」


…私全身穢れだらけなんですが、足とかは失礼、ですよね。
具体的にはどの辺りに人形を?
そもそもが〝汚れ〟ではなく〝穢れ〟であります。
足に穢れがない、とも言い切れないかもしれませんが…。

頭とかはとにかく、顔とかは失礼ではないですか?腰や背中とかは…。…なにかもはや『おびんずる様』と勘違いしてはいないかと思うくらい、全身の穢れを祓おうとしております。
どこのどの辺りの穢れを祓うものなのか、内心を駆けめぐるほどに疑問を抱えた私。
ふと見ると、神職の方々も人形に穢れを移しておられます。

(おおっ、顔もいいんだ。
ん?足も撫でておられるぞ。)

お尻、…はとにかく腰は撫でておられます。

とにかく出来るだけ、出来るだけ人形で撫でて、穢れの移し残しがないようにしなければ!

口の穢れも移すべく、人形に口を寄せます。

「それでは最後に息を三回吹きかけて、袋にお戻しください」

はい!

ふうぅ〜っ。
すぅー。

ふううぅぅ〜っ!
すぅー。


ふうううううぅぅぅ!

  🌿

「そうしましたら、その人形をまた袋の中にお戻しください。
今からその袋をお預かりしにまわります。
大祓の儀式がおわりましたら、後日すべてをお焚き上げさせていただきます」



おっ?
お焚き上げ、ですか?人形というと川に流すイメージですが、考えてみればこちらでは近くに川が流れているわけではありません。


そもそも仮に川がそばにあっても、二百人近く参拝に訪れている方たち、万が一川へ転落などしては大変ですし、いくら水に溶ける紙で作られようとも、一どきに川に水を流すのはあまり良くはないかもしれません。


🍃


…今回は拝殿正面から昇殿させていただきました。

かつて、開けられた扉から流れるようにあふれてくる、優しいあたたかな気を感じながら、見上げていた拝殿の中、であります。

前回の、薪能のときより少ない人数での昇殿で、二回目ということもあり、ゆっくりとその花鳥図を拝見することができました。
優しいタッチの、水彩画をも思わせるタッチの絵でありました。
また、拝殿の壁には絵馬や奉納額が祀られています。
蚕で作った絵もありました。


「さあこちらへもお入りください」

へっ?

そちらって、…幣殿へ、ですか?


「せっかくですので、こちらの天井画もぜひご覧ください。
今テレビでドラマ化されております源氏物語の天井画となります」


きょ、今日も、ですか?♡



嬉しい♡
なんと嬉しいことでしょう。

もはやもう昇殿すら叶わないであろうと思ってありましたのに。

幣殿はふだん神職の方が祝詞をあげ、お供物をおそなえするときくらいしか入ることのない〝間〟、であります。
たとえ祈祷などをお願いして、昇殿することができた時代にあっても決して入室することのない〝間〟であります。

🍃


産泰神社さんの幣殿の天井画は、この建物が建てられた江戸時代に、数名の絵師により描かれたものと伝えられているといいます。

その絵師が描いて以来その絵に筆を加え修復したことはないとのことで、剥がれて欠落してしまっているところもありました。

これ以上の剥がれてしまったりしないような加工は施されているといいます。

…こういった古い物の維持というのは想像する以上に大変なようです。
それはお金だけではありません。

しかも神社さんはお寺さんのように檀家さんがありません。
…もちろん信徒の方はおられますし、地域で支えるところもありましょうが。

お寺さんでも檀家さんのいないお寺さんもあります。

そうした神社仏閣さんの、…聞こえは悪いですが経営は大変です。

ただの経営ではない、あくまでも神さまがおられ、仏さまの教えがあってのものです。
営業もできるものではありませんし。


宮司さまや、お坊さまは、笑顔でお話をしてくださったり、笑顔で話を聴いてくださる方が大勢おられます。
〝スマイル0円〟、はマクドナルドですが…。

ありがたいことです。

「ようこそお参りくださいました」と笑顔でお迎えくださる神社仏閣も多いです。

お賽銭と御朱印や御守りの授与をお受けすることくらいしか私にはできませんが、みなさまのご健康と、ご多幸をお祈り申し上げます。