ここ、京目町というのは群馬県の高崎市と前橋市のちょうど入り組んでいる境にあたる町の一つです。

のどかな田園風景を眺めながら、群馬県の二大都市の境界って、こんなに豊かな大地の広がるところだったんだなぁと、少し驚きつつ、その緑の若い稲穂が風にそよぐ光景に心は癒され満たされていました。


なにぶんにもこちらのお参りは路駐であったため、夫の参拝が済んだのちは早々にそちらを後にいたしましたが…。



こちらの不動堂の境内にあった御由緒の書かれた案内板によりますことに、こちらはもともとは【不動寺】というお寺さんであったようでありました。


(以下、高崎市教育委員会さんの設置した案内板による)


『この大きな不動尊像が安置されている元不動寺は、初代清善が慶長七(1602)年開基したと伝承される、真言系当山派の修験寺でした。

修験道とは、主に山岳で厳しい修行を積み、その結果特別な霊験能力を体得した神仏習合思想で、修験者は山伏又は行者とも言われます。


その活動は加持祈祷を主とし、国家安穏・病気平癒・方位除け・虫封じ祈願・命名や身の上相談等多岐にわたっています。



文政時代(1818〜30)から明治初期にかけて約五十年間、三代の住職は寺子屋として近隣農村子弟の教育を担当しました。



明治五(1872)年太政官布達『修験道廃止令』により廃寺となり帰農しましたが、不動尊像及び不動堂は以後もこちらの子孫の方により保存管理され、現在に至っています 』



元あったお寺さんは大変広い敷地にあり、境内に神社さんもあり、ちなみにその神社さんは今なお存続し土地をお護りくださる【和泉神社】さん。


たしかにこの不動堂、不動堂を守っておられる子孫に当たられる方の御自宅と畑があって、そこから真っ直ぐ視線を向けると『和泉神社』さんの社殿正面となっており、元は一つであったことが見てとれます。


和泉神社さんに参拝させていただいた折に感じた違和感の謎がこの『京目不動堂』さんをお参りして解けました。



そうなんです。

…たしかにこちらの不動堂は新しく建てられたもの、ではありますが、この不動堂の前の道からの、かつての『不動寺』があり、境内社として和泉神社があったならば、和泉神社さんが広い境内をもちながら、その正面に不自然に参道が無いこと、ぷつっと社殿前の境内が切り取られたような不自然さがあること。

鳥居が社殿に対して右側にあること、などなどの違和感、疑問から全てが、まるで水の流れを得て、川にの流れにつながったかのように解けたのです。


なるほど。

元は一つでありましたか…。


となるとこの和泉神社さんの主祭神さまが兎神さまという珍しい神さまであられることにも納得できる気がいたします。

修験僧の方が、地元の人たちの困っていることに応えて勧請した神さまであり、神社さんである、ならば、です。


残念ながら、この和泉神社さんの御由緒がわからないので、あくまでも私の憶測にすぎませんが…。