ちょうど一年ほど前、新聞で手のひらに納まるサイズの懐中仏をお教えくださる教室があることを知り、入門させていただきました。



…一年経つのですがね。

これが自分でも呆れるくらい仏さまにはほど遠い物しか造れない。

ご指導くださる先生などは三十分もあれば形にしてしまうくらいな造りの、まさに彫刻の入門、彫り方を学ぶべく先生が考案されたものなのですが、これが私には一年かけても難しい。


テレビ番組にプレバトというものがありますが、その番組にある『才能無し』の座、このお教室にあるとすればまさにその席を常に温め続けております。



この沢入の薬師如来さまにお会いして数日後にちょうどこのお教室がありました。

ここで仏師の先生、そしていつも御仏のおそばにおられるお坊さまにお会いできる、まさに良いタイミングとなりました。


ご指導が終わったタイミングで先生にくだんの〝トアレドモ薬師如来〟さまの写真を見ていただきました。

「うーん、わからないねえ」
…ですよね。
「印相ならばそれこそ和尚さんに聞いた方がいいよ、今聞いてごらん」

ということでお坊さまにもスマホの画像を見ていただきました。


「これはなんの?なんという仏さまです?」
とお坊さま。
私「それが『釈迦トアレドモ薬師如来』というのです。

薬師如来さまとしてお祀りされているんですが奉造立されたときはお釈迦さまであったようなのです」

「これ、右手、無いですよね」

えっ⁈

「手首から先、無いでしょ?」

「えっ?施無畏印とかにしては指が曲がってるかなぁとは思ったんですが、指ではなくて、…無い?」
「無い、ですね」

衝撃。
手…無いそうです。

左手も特に何かを持っているようには見えずやはり左手首から先を欠損されていると。


……。

はあ。

……。

〝トアレドモ〟だけではなくて、無いものまであるように見ていたなんて…。


珍道中の中でもトップクラスの珍事です。いやいやいやいや…。


お坊さまが補足してお話くださることに


「仏さまの像って、最初は〇〇さまで造られていたのだけど、途中から手を変えたり物を持たせたりとかして、違う仏さまに変えることって結構あるんですよ」

ああ、まさに室生寺さんとは逆のパターンということ?


仏像、奥が深いなぁ。

造るのも。
見るのも。


うーん。



後日みどり市の図書館で合併前の勢多郡東村であった頃の村誌で調べたところ、やはり副住職さまの見立てどおりこのお薬師さまには手首から先がないということがはっきりと明記されておりました。



…すごくないですか?
一瞬で見抜いたのですよ?

はだかの王様の物語ではないけれど、心のほにゃららな者は見えるような気がしてしまい、心のきれいな方にはそのままに見える。

ええ、私、心のほにゃららな者にございます。



だから一年彫っても満足のいく仏さまを彫ることができないのかと。

…まぁ不器用なこともありますが。