こんばんは。

最後の投稿になりました。

というか、すでにブログ機能を再編し、このブログは過去の記事の置き場になっています。

 

2012年のうつ発症から、今日に至るまで振り返っているのですが、

結局のところ、母親も父親も自ら進んで毒親になったのではないことがはっきりしてきました。

とりわけ母親の育てられ方に多大な問題があった、というのが私の結論です。

 

毒親育ちの特徴と対処法

というサイトを見つけ、そこにこれまで私が述べてきた「毒親問題」について詳しく述べているのを目にしました。

 

そして、先日孤独に死んでいった叔母。

 

家の中はゴミ屋敷になっていたそうです。

祖父、祖母の思い出を捨てることができなかったのでしょう。

私の両親、とりわけ叔母から見れば義理の兄にあたる父親が中心となって片づけたそうです。

そして、SNEP状態だった私のいとこが中心となって、ピアノから仏壇から、さらには神棚まで処分したそうです。

 

今、実家は相続税問題で揺れています。

どれだけ財産が残っているのかわからない状態で、預金通帳に数千万円あることだけはっきりしました。加えて実家は地元である鹿児島の不動産業界に「持ち主が亡くなった」との情報が回り、複数の不動産会社が狙っているという状態。すでに周辺は更地になっていたり、駐車場として使われていたりしている、という状態です。

このような状態では、当初見積もりより高く売れるのが常です。すでに実家売却の方向性は決まっており、買った不動産会社が解体をして更地にするのでしょう。跡地はどうなるのでしょうか…病院の寮になる、という話があったり、周辺の更地は某大手デベロッパーが入手しているという話を耳にしたりしています。マンションの土地仕入れの舞台裏はかなり熾烈らしいです。

そこで、某大手信託銀行に全面委任し、大手税理士事務所が担当することになったようです。やはり土地家屋売却が重要だと判断されたのでしょう。

調べてみると、車1台分の委任料がかかるようです。司法書士事務所では手に負えないレベルと察することができます。

 

土地の問題はともかく、生きがいのない状態で老後を過ごしていたという叔母の悲しい現実。

そして母親の思い…

 

私はこの叔母を看取ることを想定し、父親が亡くなった時点で母親を連れて鹿児島に移住する方針でした。

しかし、その叔母が亡くなってしまい、鹿児島移住の理由がなくなってしまいました。

逆に鹿児島にあった仏壇をこちらに持ってくることになりました。

 

そうなると、私の人生設計が大きな影響を及ぼすことになります。

その上、母親や叔母は「毒親によってもたらされた悪影響を無意識に取り込んでしまっていた」結果、母親は精神疾患に苦しみ、叔母は「早くこの世を去りたい」と言わんばかりの状態となり、結果突然死してしまいました。

私は、叔母も精神疾患だったのでは、と推測しています。

 

つまるところ、私が風船の仕事をやめ、引退に追い込まれたのも、母親の家に大きな原因があった、ということが図らずも証明されたのです。

 

こうなると、私は「墓守息子」になります。

年明け早々に、私は再度鹿児島を訪れ、母親の家の墓参りをすることにしています。

今後、年に一度の鹿児島訪問は半ば義務になります。

 

他方、母親の子育てに誤謬があったことは明らかになってしまいます。

そうなると、私は二者択一を迫られます。

あくまでも儒教の教えを守り、両親の安心のためだけに生きる=親孝行

儒教の教えを破り、完全に自分だけの人生を歩む=親不孝

 

私は後者の選択をしたくありません、親が生きている限りは。

何度も述べてきましたが、「たとえ親に過ちがあれど、子はそれを受け入れなければならない」のですから。

 

このようなことを現在は書いてはいますが

あと数年、長くても10年程度だと思います。

短いと東京パラリンピックまで持たないかもしれません。

 

その残りそう長くないバルーンアーティスト人生、やれるだけのことをやりぬき、多くの人の心に残るものを築き上げたいというのが今の自分なのです。

 

逆に、両親が亡くなった後は、私は不動産収入で生活するつもりです。

今の家を賃貸に出す方針です。

生活費が足りない場合は、リバースモーゲージも視野に入れています。

 

私は母親以上に心配性で、かつ悲観主義者です。

子どもを持っていたら、間違いなく誤った躾をしていたでしょう。

そして、躾が行き過ぎて暴力に走り、虐待していたでしょう。

そうなると犯罪となり、「塀の中」に入ることになっていたでしょう。

 

仮に結婚していたら、私は嫁と子供を間違いなく不幸にしていました。

だからこそ、このような「負の連鎖」を自らで断ち切る必要がある、と結論付け、生涯独身を貫く決意をしたのです。

 

ぶっちゃけ言うと、私は風船を生業にするつもりは、バルーンアートなるものに出会った20年前は全くありませんでした。

ところが、バブル崩壊と世の中の価値観の変化が、私がプロのバルーンアーティストになるという決意に向かわせました。

 

この時点で私は両親に貫く流れ…「儒教の教え」に反してしまったのです。

 

さらに言えば、私は「大学受験に悪影響が出る」という考えから、高校の生徒会役員(=文化委員長)の就任要請を断りました。

大学時代は「資格を取ってしまえば就職に有利になる」という考えから、旅行業の資格(今は実質機能していない)を取得しました。

 

もっと言えば、私は高校1年生の時、家出をし、九州の漁村に身をひそめていた時期もありました。

 

結論から言えば、この時点でもうすでに親子のすれ違いが起きていました。

 

当時は何の違和感も感じていませんでした。

ただ「何か少し違う」と感じる程度でした。

 

2012年に私がうつを発症したことが、結果的に事の本質を明らかにすることになったのです。それから5年、祖母も叔母もこの世を去りました。

残ったのは「矛盾を抱えて生きてきた」私でした。

 

私は矛盾を抱えて生きていたのです。

本来歩むべき道でない道を歩んでいたことになるのです。

 

しかしながら、「嘘も貫き通せば真実に変わる」という言葉があります。

それが証拠に、私が生命を吹き込んだ風船で、どれだけの人を幸せにし、元気づけ、感動させることができたのでしょうか。

私の祖父母と両親と叔母以外(あと「ごく一部の同業者」も)は例外なく私が創りあげてきたものに感動しています。これは嘘でも何でもありません、まぎれもない真実です。

 

風船によって、私は自分の人生を自分自身で切り開くことができたのです。

これは紛れもない事実です。

それを本来ありえない方法でつぶそうとした私の両親、とりわけ母親の言動の背景には、長年母親の家の背景に流れていた目に見えないもの、すなわち儒教の教えがあった、と言わざるを得ません。

 

私は、風船をやめようと、必死に儒教を体にしみこませました。「よしんば親に過ちがあろうが、子はそれに泣いて従わなければならない」

 

ところがそれはできませんでした…

 

それでも私は、将来は風船の仕事をやめるつもりです。

しかし、親に反し、家に反し、儒教の教えに反した結果築いたもの、すなわち風船で築き上げたものは、生涯残る、と考えています。

それを捨て去ろうとした私もまた、間違っていたのです。

 

いずれ最終的に風船の仕事をやめることに変わりはありませんが、2013年ごろに取り組んだ「黒歴史化」はもうしないつもりです。

 

親や家にあった教えに「誤謬」があったのですから。

 

その「誤謬」と向かい合うことができたのも、風船のおかげなのですから。