親への愛...再掲 | 2o116のブログ

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私より6歳年上の知人にTさんが居られます。

男同士の長電話はみっともないと言われますが、一時間位話すこともしばしばです。(笑) 東京の6大学卒業されて、現在も熊本で不動産業の代表者をされている方です。

昨年4月の熊本地震の時には、私と伴侶は県外で、息子・娘の安否電話が中々繋がらなかったので、情報は一元化しないといけないと...伴侶の携帯ひとつでやり取りしました。時間はかなりかかりましたが、結果、子供達の無事を確認し安堵したものです。息子夫婦の住むマンションは、全ての物は、棚から落ちて壊れ、娘婿の両親が益城町だったため心配したのですが、築年数が浅かったせいか、玄関ドアが壊れて開かずの間になる位の被害ですみました。(まぁ中はめちゃくちゃですが...)命があっただけ幸せです。

ライフライン(電気・水道・ガス)は完全に遮断され、かなり長期間に渡って余震も続き、息子夫婦は、帯山中・熊本高校へ避難、娘は、婿の両親と一緒に益城町のグランメッセへ避難、その際私は娘に、尋ねました。「義理のお父さん、お母さん大丈夫か?大丈夫、もしもの時は私が守ります。」まだまだ、子供だと思っていた私がバカでした。(いつまでも親は、子供を子供のままであり続けたいと欲望を膨らませますが、子供からしたら、それは、迷惑でしか有りません。)

熊本に限らず、日本全国でもそうでしょうか?建物は殆どが、在来の木造建築です。まぁ、プレハブ系、鉄筋系、鉄骨系は少ないですが有りますけど。

Tさんの話に戻します。益城町とは正に隣りの熊本市のN町に住んで居られます。
幸いなことに、LPガスの販売も営んで、又ラッキーにも、鉄骨像の建物で被害も、壁・天井は落ちるけど、どうにか原型は留めていると仰有っていらっしゃいました。

何度も、何度も連絡を取り合うなか、地震発生後何ヵ月か経ったでしょうか?
互いの通話中に、急に「おお...今、福岡さん揺れてる、揺れてる、NHKで震度5が出てる」との事...私は間髪いれず、電話切りましょうか?
「いやいや、電話切らんでもよか、よか、...今収まった」

私も、どうしたら良いか解らなかったのですが、とりあえず話を継続することにしました。
その後は揺れも収まり、話の骨を折ることは避けられました。

地震発生から、何十日、経ったでしょうか?
近所の人は全て、避難所で生活しているのに、何故Tさんは未だに避難しないのか?
私も薄々、感じるところが有りました。

Tさんは、脳梗塞にかかって死にそうになったが、片麻痺ですみ、お母さんを老々介護しておられる。私に、手紙を書くときに、あんなに達筆だったのに...今や、文字がミミズを這うような感じだ。昔の見る影もない。と複雑な気持ちになりました。

数ヵ月経過したある時、勇気を絞って普段から疑問に思っていたことを、暗に尋ねました。
Tさん、「地震当時、近所に住む人は、今や誰もいない。皆避難して貴方がた一家族だけが残っている...と言っていましたよね。私は、常々考えていました。貴方のことです。お母さんの為に、避難所に行かないし、否行けなかったのでしょうね。車イスのお母さんが、避難所で不憫な思いしますものね。それは、できませんものね。」...少し...間を於いて、答えられました。

解っていたんだね。福岡くん、貴方に初めて言われた。
ありがとう!

避難生活は、当然全てに制約を受ける。ましてや、車イスの90歳にもなる高齢なお母様を抱えてどうするのだ?

それが、私が考え得る全ての答えでした。