【追記】『弱い者ほど群れる』のには理由がある。 | 心理マーケティングの視点 〜どうすれば成果を出すことができるのか〜

【追記】『弱い者ほど群れる』のには理由がある。

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弱い者は不安から逃れるために、群れて迎合して騒ぎます。(MGS)

なぜならば『不安』は、思考を持つ人類にとって最大の敵だからです。


ファーストペンギンという響きは浪漫があって素敵だと感じます。

誰よりも先に、海に飛び込むというチャレンジ精神の象徴だからです。

でもちょっとだけ想像力を働かせると、

その海の中には、天敵のシャチやヒョウアザラシが待ちかまえているのかも知れません。

そこに飛び込めば、シャチに丸飲みにされるか、ヒョウアザラシに食いちぎられるかの惨劇が起こります。

氷の上では、ファーストペンギンが無残に半分になった姿や海が赤く染まるのを見て、仲間は引き返すのです。

だけど最初に飛び込めば、エサが食べ放題なんだから、ハイリスク・ハイリターンじゃないの?

実は・・・


ペンギンはヒョウアザラシやシャチなどの天敵から身を守るために集団で行動します。

しかしペンギンの集団にリーダーはいません。


『ファーストペンギン』をご存知でしょうか?

そう、最初に海へ飛び込むペンギンのことです。

海には餌の魚が泳いでいますが、ペンギンの天敵もいます。

最初に飛び込んだペンギンが無事ならば、後から仲間が飛び込むのです。
(かなりシュールな光景です)

そして天敵は海の中だけではなく、氷の上にもいます。

天敵に襲われた時には、無事に逃げた先頭の一羽を追う様に仲間も一緒に逃げるという習性を持っています。

またペンギンは、一匹では生きた魚をいくら追いかけ回しても捕食することが難しいため、群れで狩りをします。

もう一つ、集団であれば繁殖のために必要なパートナーを見つけられ、生まれた子供を危険から守って育てやすくなるからです。

『群れる意味とは』
①敵から身を守るため
②餌を食べるため
③ペアとなり子供を育てるため

もちろん、ペンギンに学校はありませんし、言語もありませんから、誰に習う訳でもありません。

遺伝子のプログラム(記憶)なのです。

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『部長、今日の打ち上げはどうしましょうか?』

部長『夏は汗ダラダラで食べる熱い鍋に限るよな!』

『ですよね〜(引きつった笑)』

部長『じゃ決まりだな、よろしく』

『はい、かしこまりました』

どうやって皆んなに話すかなぁ〜


群れの中にいることで安心感を得るという心理は、恥じる必要のない弱い動物の本能(集団欲求)です。
(つまりペンギンと同じ遺伝子の記憶)

弱い者ほど群れたがる理由がここにあります。

これは人類の祖先と言われている哺乳類から現在までの約700万年という長いあいだ、他の強い動物たちのエサだったことに由来するのです。

弱い人間は群れることで自分の命を守ろうとしました。

現在では、群れなければ必ずしも命が危険にさらされる訳ではありません。

それでも群れることで安心感を得られるのは、遺伝子に書き込まれた記憶だといえます。

しかしながら群れにはルールやコミュニケーションが発生し、自由はコントロールされなければなりません。

まして、仲間から外されないように尊重されるためには、自分を押し殺し、相手に迎合しなければならないことさえあるのです。

こうなると、他者の評価を得ようと本来の自分を見失ない、高いストレスにさらされ続けることが起こります。
(心身に不調をきたします)

本来は群れることで安心を得たいのに、群れることで不安になってしまうというおかしな現象となるのです。

群れることで自分を見失なう方の特徴に、次のようなものがあるといわれています。


・自分の存在に自信が持てない
(自己肯定感が低い )
【自分を認めて欲しい行動をとる】

・過去の何かに心の傷がある 
(心的外傷)
【自分を傷つけたくない回避行動をとる】

・自分の弱みを好きになれない
(自尊心の欠如)
【自分の劣等感を隠す行動をとる】


自己肯定感とは、自分に対する信頼です。達成感を積み上げて得られる自信です。幼少期に親から与えられる愛情が基盤となります。

自尊心は自己肯定感で培われます。肯定的な感情を幾度となく経験し、自分を尊いと感じるようになり、人としての存在価値があると自分で認められる力だと言えます。

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医学的な根拠ではなく一般的な解釈からそれぞれをみてみましょう。


①自己肯定感とは何でしょうか? 

自己肯定感とは「自己を肯定する感覚」です。

つまり「自分は大切な存在」であり、『価値ある存在』だと感じる心の感覚と表現できます。

ですので、自己肯定感が低い人は、褒められても素直によろこべなかったり、

『嫌味なのでは?』と否定的に受け止めたり、

『何か目的があって、おだててるだけでは?』と疑ったりするのです。

自己肯定感が低い人は、自分を認めて欲しいために次のような行動をとることがあります。

自慢話をよくしてくる……現実の自分を少しでも良く見せたいという心理。

聞いてもいないのにアドバイスしてくる……親切を押し付けて相手に認められようとする心理。

ことあるごとに他人を批判する……自分の方が正しい、知っているというアピールをすることで、自分が上だと認めさせたい心理

すぐに感情的になる……怒ることで相手より自分の立ち位置が上なんだと相手に思わせたい心理


②心的外傷とは何でしょうか?

きわめて不快で強烈な体験(心的外傷:トラウマ)は当人の精神的な安定をおびやかします。

子供のころ、犬に噛まれて大怪我をした経験があると、大人になっても犬が怖くなります。

また、大きな犬に吠えられたりした恐怖体験により、人の大声が怖かったりします。

小さな頃に信じていた母に捨てられた( 置き去り)、

母が父に暴力をふるわれていた、または自分が暴力をふるわれていた、

などの体験は、後に強い影響を与えることが知られています。

ある意味、生命の危機に関する体験への防衛機能なのかも知れません。

しかしこの問題は潜在意識にあるため、本人もどうして大声が異常に怖いのか、人が信じられないのか、暴力をふるう男に魅かれるのか分からないのです。


③自尊心の欠如とは何でしょうか?

精神医学では自尊心を『ありのままの自己を尊重し受け入れる』態度と定義しています。

自尊心とは自分でつくり上げた自分自身の評価です。

一般的には自尊心の欠如(劣等感:コンプレックス)により、ありのままの自分を受け入れることができず、

本当の自分を押し殺し『どうすれば他人に評価されるのか』ばかり考えるようになり、仮の自分を演じるようになるといわれています。

その特徴としては『自分の考えなんてどうせ大したものではないから、もっと立派な人に聞いた方が良い』など、自分を低く捉えるのです。

そのため自分の考えに自信がなく、他人から強く主張されると簡単に考えを変えます。

嫌な思いをしてまで、自分の考えを主張することを避けるのです。

反面、他人からどう見られているか不安なため、同情など強い承認欲求を求めます。

嫌なことを嫌だと言ってしまうと、嫌われるのではないか(承認されない)と考えるため、

自己主張することより、他人から嫌われることを恐れ、感情のコントロールが難しくなったりします。

自尊心の欠如している方は、意識的に自尊心を強く求める傾向からバランスを崩すのです。


無いものを求めれば、どこまでも求め続けることになります。(隣の芝生は青い)

1,000万円稼げば、2,000万円欲しくなり、次には3,000万円欲しくなるのです。

それよりも有るものに気づけば、十分に幸せを感じることができます。

今の自分を肯定し、過去の出来事に対する解釈を変え、自分の好きなところを見つめれば、

他人からの承認を過剰に求めなくても心が安定します。

そうすれば、自分の人生を他人のために生きなくて済むのです。

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『人間は考える葦である』
(パスカル)

『人間は自然のうちで最も弱い葦(あし)の一茎にすぎない,だがそれは考える葦である』


賢明に自らの分を知る『葦(あし)』は、風が吹くと身をまかせてしなります。

強い風に『なびく』のではなく『しなる』のです。

逆境の中で、なびいたように見せながらも、自分を維持します。

そして風が一瞬でも止めばすぐに立ち上がるのです。

しかし風が無くなる日などは無く、その日その日の風に揺られますが、決して自分を失うことはありません。


自分の問題にしっかりと向き合い、やれることをしていれば、それをどう評価するのかは相手の問題です。

自分の問題は自分でどうにかできますが、相手の問題は自分ではどうすることもできません。

自分のコントロールできない相手の問題に気を揉んでも意味はありません。

仮に相手の評価が低かった場合には、その原因を分析し、同じことを繰り返さなければよいだけのことです。

なすべきをせずに評価だけを得ようとする行為は愚かでしかありません。


人間は弱い動物ですが、他の動物と違い考えることができます。

つまり、考えることによって現在の繁栄を手にしました。


現在において意味記憶はあまり価値を持ちません。

検索すればいくらでも情報が出てくる環境において重要なものは『考える力』です。

未来において単純労働が人工知能やロボットに代わられようと、思考する力はしばらく人に任されます。

ぜひ考える力を大切にしてください。