【追記】馬鹿といると馬鹿はうつる(諺の意味)
刺激的な表現(タイトル)ではありますが、『創造する力』を上げるうえでは重要なポイントになります。
これまでに沢山の業績を残して来た方々も、環境の選択について言葉を残しております。
◆人間は毎日見ているもの、接しているものに気持ちが似ていく。
『鍵山秀三郎(実業家)』
~自分が身を置いている環境は大切です。知らず知らずに影響を受けるのですから、長期的には良い環境を選んだ方が成長できます。~
◆他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。
『ラポック(英 探検家)』
~他人と自分を比較しても意味がない。それよりも自分が勉強していることに意味がある。~
◆頭のいい人と話すといい。新しい考え方を吸収できるから。経験豊富な人と話すといい。人生の幅が広がるから。やさしい人と話すといい。自分もやさしくなれるから。
─池田洋一郎(音楽家)
~自分と意見が違うから受け入れないのではなく、色々な人と接して、その人の良いところを自分に取り入れることで視野が広がります。~
人間は環境に影響を受ける動物です。
そうであるならば、自分がより良く成長できる環境(環境適応力が強化される環境)を選ぶべきでしょう。
今がどんなに楽しく快適であっても、自分が成長できない環境(変化に適応できない環境)は選ばない方が賢明です。
もし自分の所属している社内やチームがダメな環境であれば、外にそのような環境を持つ必要があります。
ある意味環境とは『誰と共に過ごすのか』であり、
馬鹿と過ごせば馬鹿になるので、気をつけましょう。(視野の狭い人間と過ごせば自分の視野も狭くなる)
人は弱い動物であるため、群れることで安心しようとします。
自分の弱さを知っているからこそ、数の論理に頼り、誰と知り合いだという関係性をアピールしたりするのです。
分かり易くいえば、環境の変化に対応しようとしない価値観同志が群れることになります。
激変期を生き残るのに、必要な能力の一つが『環境(場と人)の選択能力』です。
多角的な視点で問題を見つけ出し、素早く対応する組織(環境)にいれば、自分もそうなります。
逆に、反対のための反対をしたり、顔色を伺ったり、前例がない、失敗したらどう責任をとる、などばかりの組織(環境)にいれば、いつか知らないうちに自分もそうなります。
『類は友を呼ぶ』という格言をご存知だと思います。
類は友を呼ぶとは、気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まって仲間を作るものである、という意味です。
それ自体はとても気持ちの良い『場』となりますが、時として傷(不平不満)を舐め合う仲間の集まりにもなり得ます。
同じ価値観や視点だからこそ気持ちが良いのです。
だから違う価値観をはじき出そうとします。
そうなると違う価値観や視点を得られなくなります。(同じ色が集まる)
その結果、自分たちの足りないものに気づくことができなくなるのです。
だからこそ何をやっても上手くいかない、評価されないと、不平や不満をもらすことになります。
人は快を求めて不快を遠ざけます。
(脳の特性)
現状が快適であるのに、わざわざ不快に変わろうなどという『もの好き』はいません。
統計的に申し上げれば、
現状の快適さよりも、『未来の楽しみ』のためならば苦労もいとわないという人が、4%ほどいらっしゃいます。
しかし普通の人は、どうなるか分からない『未来の不確かさ』よりも現状の快適さを選択します。
なぜならば、『未来の不確かさ』はストレスになり、脳が嫌うからです。
愚者は失敗を非難し、賢者は失敗を尊ぶ
人類が未だ経験したことがない『激変する時代』において、
学校ではそのための成功する方法(やり方や情報)を教えてはくれません。
こうすれば成功するという『やり方や情報』は、すべて過去のものであり、未来を保証するものではないからです。
過去に起きた出来事を知り、分析することは意味があります。
しかしそこから未来への約束手形は発行されません。
自らが失敗を積み上げ、他者の失敗を参考にし、一歩一歩前進するしかないのです。
つまり『やり方や成功情報』という無い商材に飛びつくことは、馬鹿さ(思考力の無さ)の現れだといえます。
厳密に申し上げれば『短期的効果』のあるやり方は存在します。
しかし継続効果は難しく、さらにはリバウンド効果さえあることを知らなければにりません。
毒も使い用ですが、実力が伴わなければ危険です。
『この商品はヒットするかしないか』という視点(馬鹿)は伝染しやすく、
『この商品をどうすればヒットさせられるか』という視点は嫌われます。
人生という限られた時間(命)を、たとえ短い期間であれ、馬鹿と一緒に快適に過ごすのも悪くありません。
しかし不快であっても、他者の価値観や視点を自分の中に取り入れて、普通では見ることのできない景色を見るという選択肢も有るのです。
正解などないので、どちらを選ぶかは自分の自由としかいいようがありません。
原因不明により、あるお店からお客様が減りました。
困ったオーナーが現場に行くと、なんと空調の調整が原因だったのです。
暑い日が続いていましたが、冷房の設定温度は18度になっていました。
どうしてそんなに低い設定温度にしたのかと問うと、
『人が少なくて忙しく動き回っていると汗が流れて暑いので温度を下げました』
というので、
『空調はお客様が快適に過ごすためのものだよ』と注意すると、
スタッフは皆驚いたように『従業員が快適に働けるように、ではないのですか?』という返事でした。
オーナーは呆れて、店長を叱責したのはいうまでもありません。
何人かは最初、空調の設定温度はお客様のためではないかと思っていたようでした?
しかしスタッフの休みが多いとき、店長が現場に出ると空調の設定温度を下げていたので、空調の温度設定はスタッフのためだと考えるようになったそうです。
上に立つ者が自分の影響力も計算できない馬鹿では、組織全体が馬鹿になってしまうという事例です。
野中郁次郎教授は「創造する力」は単に個人の中にあるのではなく、個人と個人の「関係」、個人と環境との「関係」、すなわち「場」から生まれるのだと、場の重要性を述べています。
つまり、この場の価値は参加者のうち最もレベルの低いものに影響されやすくなる、ということです。
水(みず)の低きに就(つ)くが如(ごと)し
(孟子)
これは、ごく自然にそうなることのたとえですが、
現代では、
『水は低きに流れ、
人は易きに流れる』
というフレーズで使われることが多いようです。
水が自然と低いほうに流れるように、人は安易なほうを選びがちであるという意味です。
会議やミーティングなどでも、
一人だけ前提知識が無い出席者がいた場合、もう一度経緯や背景の補足説明をしなければならなかったり、
目的の意識レベルをすり合わせるために議論がかみ合わずに混乱したりします。
また、どうすればできるのかではなく、どうして失敗するのかを議論する人がいると、何も決まりません。
環境や他人のせいにして、不平不満を正当化する人に、
多角的な視点を持ち、自分の能力が足りないことを知り、日々努力している人は近づきません。
環境の選択(誰と過ごすのか)は、自分の資産(リソース)をどのように配分するのか(戦略)という意味において、限りなく重要なのです。
情報を語る人間と、思考を語る人間、
求められているのは、『創造する力』なのです。
チャレンジして
失敗を怖れるよりも、
何もしないことを怖れろ。
(本田宗一郎)