【追記】部下をつぶす為に正論を振りかざす上司
すべての人は世界を変えたいと思っているが、
自分を変えようとは思ってはいない。
《トルストイ》
【追記】
長いあいだ『損して得しろ』だと信じていました(笑)。
ある日のことです。
『やはり商売は、損して得とれ、ですよね』と先生にお話したところ、
『最近はそうとも言うようだね』と言われるので、
驚いて『違う意味があるのですか?』とお尋ねすると、
『損して徳とれ、という意味が最初のようだよ』と笑いながら教えてくださいました。
何せお酒の席での会話ですから『得』と『徳』の区別がつかず困惑していると、こんなお話をしてくださいました。
『これはな二宮尊徳翁の有名な話なので知っている方も多いと思うが』と前置きされながら、
【たらいの水の原理】という物語をしてくださいました。
水を張ったたらいで自分の方に水を寄せようとすると、返って反対側に行ってしまう。
逆に自分の反対側に水をやると、自分の方に返ってくる。
そこから『我が強いと結果的にあまり自分は得をせず、相手に奉仕をする気持ちになると巡り巡って自分のためになる』
というお話でした。
先生はこの『徳』については儒教の教えで、
『与えられた仕事を丁寧に、一生懸命にこなしていけば、それを必ず誰かが見ていて、次につながるという教えですね』
と笑いながらお話してくださいました。
相手が悪いからだと『他責』にする者はは貧し、
自分に足りないものが有るのだと『自責』にする者が富める、
のだといわれていましたが、これは財だけに限らず『心の豊かさ』そのものが成果に現れる原理原則なのかもしれません。
『損して徳しろ』大切にしたいものです。
『堀川さんは頭悪いですよね』
『はぁ・・・』
『こんな簡単なこともできないなんて、やる気がないからですよ』
『すみません』
『もう少し人の話をちゃんと聞いてください。その耳は飾りですか?』
『申し訳ありません』
『私の話をちゃんと聞いてたらできるでしょう』
『はい、頑張ります』
『君はほんとに使えないねぇ』
『すいません』
『私は君のことを思って言ってるのですよ!』
『・・・』
自分のことを分かろうともしてくれない上司の言葉など誰が真剣に聞こうとするのでしょうか?
自分は優秀なのだからと相手を否定しておいて、私の言うことをききなさい、という流れがどれだけ不毛なのかを知らない上司。
そして変わらない相手を非難する。
自分せいで、相手の変われるチャンスを奪っていることに気づかない、可愛そうな人のお話です。
正義という武器で悪者を叩くミスコミュニケーターを『クラッシャー』と呼びます。
正しいことを言う度に、部下のモチベーションが下がることを知らない『正義の上司(部下クラッシャー)』は、あなたの近くにもいらっしゃいませんか?
『あなたの言っていることは正しいが、素直にいうことを聞く気にはならない』と部下に思わせ、
『やる気がないから変われないんだ』と決めつけてくる上司。
ついには『部下がこんなだから成績が上がらないんだ』と部下のせいにする始末。
どうしてそんなことをしてしまうのか?
自分は有能だと思い込んでいる上司は、部下を正し、変えようとします。
じつは、相手を正すことで『気持ち良さ(ドーパミン)』が手に入るのです。
そのような人は暴言を吐くことで、感情の高ぶりを発散させ、自尊心を保つという効果を得ようとしていることが分かっています。(自覚はありません)
良いことをして『褒められたり』『認められたり』すると、脳がこれは良いことだと判断して、その行動を繰り返すようになる(報酬依存)ことはよく知られている通りです。
もう一つ、
自分の正義を振りかざし、悪者を裁くことを繰り返すと、その白黒思考に人びとが群がり、より多くの承認(刺激)を得られるようになります。
※特にネットの中では白黒思考に群がる傾向があります。これらの群衆に担がれる高揚感がさらなる攻撃性を深めて行きます(群集心理:自分は社会の代表だという錯覚)
自分は正しいことをしているという前提条件がありますから、自分のしていることが自己刺激行動(相手の為だと信じこんでいるから)だとは気づきません。
知らないうちに目的が、相手の行動を変えることから、相手を否定し、悪者として叩くことに変わっていきます。
イソップ寓話のひとつ、
北風と太陽の『北風』になる訳です。
この話は、人に何かをさせるには、力ずくでやるよりも、相手がその気になるようにするほうが効きめがあるということをおしえています。
※忘れてしまったという方の為に、最後に物語をつけておきます。
組織行動学的な視点からいえば、論理的な正論で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるということです。
この頭蓋骨は、
アメリカ人の鉄道建築技術者で、フィネアス・ゲージという方をモデルとしたものです。
彼は25歳のとき、ある事故が原因で、性格がすっかり変わってしまいました。
ある日、鉄道工事中に爆薬の暴発事故に遭い、長さ約1mの鉄の棒が頭蓋骨を貫通したのです!
奇跡的に一命はとりとめました。
しかし事故後、真面目で礼儀正しかった好青年は、無責任かつ衝動的な人間になってしまったのです。
脳の前頭葉を損傷していたことから、前頭葉が情動の抑制や常識的な判断と深く関係すると考えられました。
この後、フィネアス・ゲージ氏は乗合馬車の御者として日常業務をこなし、社会的回復をしています。
ゲージ氏自身に、自分は無責任かつ衝動的な人間になったという認識はありません。
他人を攻撃する人に、自覚がないのは当然のことでしょう。
また、パナソニック(ナショナル店舗)のセールスマンで、何回も日本一になられている方が、ある日脳内出血で倒れました。
それまでは寝食を忘れて働いていた方なのに、病気後には『夕日を見ると家に帰りたくなる(本能)』といって働かなくなったのです。
これは死生観の問題ではなく、脳神経の問題でした。
しかし脳の中のことは見えません。
恐くなってやる気がなくなったのだろうと陰口を叩かれたのです。
人は自分が正しく、相手が間違っていると思う生き物です。
相手が訊いてもいないのに、
『あなたは間違ってます、私が正しいことを教えてあげます』
『あなたにはやる気が足りないんです』
『これはあなたの為であり、社会の為なんです』
『私が神に代わってあなたを正しい方向に修正してさしあげます』
『これが真実であり、あなたが間違っているんです』
自分の価値観で相手を正そうとすることを正義だと信じ、
自分の正義を主張し、間違っている相手を否定します。
言葉という武器で相手を攻撃し、自分の正義を実現しようとする。
正論や正義で社会を変えられると信じ、間違っている相手に反省しなさいと声高く主張する。
戦争の多くがそうであるように。
正義を振りかざし、『敵』をつくり、
悪を叩くことで盲目的に人びとを先導する。
そのような方が自覚なく使っている言葉には、上から目線が表れます。
パチンコ業界にある1万店舗の店長は、仕事がらパチンコをしますが、全員が『遊技依存』になる訳ではありません。
しかし低いながら『遊技依存(経済的な破綻)』になってしまう方もいらっしゃいます。
最近でこそ減りましたが、パチンコが好きで仕方がなく、この業界に入ったという方に比較的多く見られるようです。
正確なことは分かりませんが、遊技という魅力にのめり込んでしまう理由は、遺伝的なもの、環境的なものがあると言われています。
※遺伝学的には、脳内のドーパミン調整機能をつかさどる遺伝子が人のギャンブルや投資に対する姿勢を決定付けると言われている。
※環境的には、個人が心の中に抱えているストレスや不安感、劣等感などの様々な「負の感情」であると言われている。
一つだけ分かることは、全員がなる訳ではなく、一部の人がなる、ということです。
そしてこの依存は、誰しもが陥る可能性のあるもので、個人の持つ道徳観とか責任感の欠如とかと言った問題ではないことが分かっています。
しかし反面、パチンコを楽しむ多くの方が経済的な破綻を起こしません。
そのため、遊技依存になるような人に対して、それは自己責任だと決めつけるような主張が多くなります。
※LGBTや障害、疾病に対する少数派理解問題(多様性を理解しない問題)
※これは私見ですが、平均年齢の高い組織やトップ年齢の高い企業ほど硬直化傾向(保守的)にあるようです。
※年齢の高い方ほど多様性を認知できない傾向が強くでます(これはデータがあります)
人はみな自分の経験という事実を背景に正義感を持っているからです。
互いが正義を振りかざし、相手を否定することから何が生まれてくるのでしょうか。
コミュニケーションとは、相互に価値観が違うことを受け止める(分かろうとする)ことから始まります。
互いを否定し合うことからは憎しみが生まれ、それは何の解決にもなりません。
それどころか問題はこじれ、さらなる問題を生むことになり、暴力と弾圧にまでいたる入り口となります。
何もしない『謹慎狩り』よりも、『売名行為』の方が経済効果があります。
『愚者は経験に学ぶ』(ビスマルク)
自分の狭い経験からの価値観を信じることは自由です。
しかし他人の様々な経験に耳を傾けることも自由です。
統計上の確率として考えた場合、後者の方が少しばかり賢いのかもしれません。
人は完璧ではありません。
あなたが他人に対して完璧でないように、他人も自分に対して完璧ではありません。
間違いや失敗を受け取ることから、互いを大切にしたいという気持ちが問題解決をスタートさせます。
硬い攻撃依存症になるならば、柔らかい愛情依存症になりましょう(笑)。
その方が楽しくて良いことがありそうだと思いませんか。(*^^*)
相手を否定し、相手の感情を害して、なぜ変わらないのかと相手を責めるという馬鹿げた行為の背景にあるものは、自分のコントロールできない感情です。
このことを自覚できる人は世界を変えることができるとまでいわれています。
『過去と他人は変えられない、変えられるのは自分と未来』
《エリックバーン》
自分が北風から太陽に変わることによってしか、周囲を変えることはできないのです。
※参考文献
人生は20代で決まる
利己的な遺伝子
依存症の科学
発達障害に気づかない大人たち
インターネット・ゲーム依存症
【北風と太陽】
北風と太陽が、どちらが強いかでいいあらそっていました。
議論ばかりしていてもきまらないので、それでは力だめしをして、旅人の着ものをぬがせたほうが勝ちときめよう、ということになりました。
北風がはじめにやりました。
北風は思いきり強く、
「ビューッ!」と、吹きつけました。
旅人はふるえあがって、着ものをしっかり押さえました。
そこで北風は、いちだんと力を入れて、
「ビュビューッ!」と、吹きつけました。
すると旅人は、「うーっ、さむい。これはたまらん。もう1まい着よう」と、いままで着ていた着ものの上に、もう1まいかさねて着てしまいました。
北風はがっかりして、
「きみにまかせるよ」と、太陽にいいました。
太陽はまずはじめに、ぽかぽかとあたたかくてらしました。
そして、旅人がさっき1まいよけいに着たうわ着をぬぐのを見ると、こんどはもっと暑い、強い日ざしをおくりました。
じりじりと照りつける暑さに、旅人はたまらなくなって、着ものをぜんぶぬぎすてると、近くの川へ水あびにいきました。