幼い頃から家ではラジオが常についていて、

ラジオそのものを意識したのはたぶん4~5歳。ほぼニッポン放送でした。玉置さんとか、今仁さんとか。
父の車に乗っても、TBSかニッポン放送は流れてたなぁ。


自分の部屋を与えられ、近所のおばちゃんにもらったポケットラジオで聞いた、初めてのオールナイトは中島みゆきさん。11歳でした。


初めてハガキを書いたのもこの頃。でも全然読まれず、みゆきさんも終わり。
その後始まったデーモン閣下のオールナイト。ようやく読まれました。このとき14歳。
とんねるずもこの頃は絶頂期。蒼々たる職人たちがひしめいていました。


翌年には伊集院さんがオールナイトを始めるんですが、とにかく夢中で聞いて、ハガキも書きまくってました。


そんなこんなで高校生のときは勉強の共はラジオでした。なんとなく勉強して、なんとなく大学へ行き。


大学を出て就職をするも、自分が本当にやりたいことは何なのか?ずっと分からずにいましたが、ラジオがヒントをくれました。



「放送作家」




という職業を意識し始めた時には、すでに25~6歳。


このあたりから、なんとなく目指し始めます。目指すのですが、なにをすれば良いのか分からない。
でもネタは書いていました。特にのってけの恐怖川柳はものすごく書きました。


すると、30歳を目前にしたある日、テリーさんの会社で「来ない?」みたいなお話を頂きました。



ところが僕はその頃、仕事も面白くなっていたことと、結婚を控えての転職、という選択をどうしても選べませんでした。


「生涯、ハガキ職人でいいや」


そう決意して30代は過ごしました。


30代後半になると、会社の代表となり、身の回りで少し人を使って、時間に余裕ができるようになり。

また「放送作家」が脳裏をよぎります。



昨年、、たまたま小山薫堂さんにお会いする機会があり、お話しました。

僕「39で放送作家を目指すのは無理だと思いますか?」

薫堂さん「無理だとおもう」

ごもっとも。それで完全に諦めました。大好きな薫堂さんに言われたら、そりゃ諦めます。



でもその直後、マセキ芸能社で「内村宏幸放送作家クラス」というのが始まるのを知ります。
お金さえ有れば、誰でも受講出来る講座なので、行ってみることにします。  


往生際が悪いですね。

僕「39ですけど、作家にはなれますか?」 

内村さん「自分次第だとは思うけど、発想力は明らかに若いときよりも落ちることは分かっておいたほうがいい」


内村さんはとても優しい方です。僕が39だとしても、とても丁寧に様々なことを教えて下さいました。
特に、普段ラジオに書いているようなネタが、コントになるということもわかり、コントを書くのがとても楽しくなりました。


半年で講座は終わり、そこからはコントを書くようになります。コントを意識するようになります。
テレビもライブも、コントばかり見ていました。



今年に入り、宮川賢さんにフェイスブック経由で覗ったことがあります。

僕「宮川さん、僕いま内村さんのとこで学んでいて、放送作家を目指そうと思うのですが」

宮川さん「胃薬、いくつだっけ?」

僕「39です」

宮川さん「放送作家の定年は35歳説ってのがあってな・・・・」

やっぱり諦めよう。大好きな宮川さんに言われたら、そりゃ諦めます。



しかし、今年も内村さんが二期目の作家クラスを開講するとのことで、「内村ロス」になっていた僕は、受講を決めます。
行ってみて驚いたのは、なんと同い年が二人、つまり40歳が三人も居たのです。さらに脚本家、元四季の女優さん、芸人さんなんかもいて、昨年とは違う濃さの中で、様々を学びました。





ブログでは触れていませんでしたが、10月からラジオのスタッフとして、ラジオ日本さんでお世話になっております。

 

…と、ここまで書いたブログが発掘されました。

2014年12月3日に書いたもの。下書き保存されてて。

 

当時の俺は何が言いたかったんだろう。

RFでの経験がかけがえのないものでした。

作家としてもそうですが、宮川さんが書いたミニコントの録音にも参加させてもらったり。

 

今(2018年4月)から考えると、あれは宮川さんが僕に作家をあきらめさせるための、思いで作りだったのかもしれないな。

楽しかったけど、それ以上のものが何もできなかった。

 

 


4年ほど前、ナンシー関さんの顔面遊園地(渋谷パルコ)に行ったとき、

たけしさんのオールナイトの録音テープが展示されていて、以下のような説明文が添えてありました。

”「ビートたけしのオールナイトニッポンを一度も聞き逃さなかった」。

高校卒業、上京、自室にテレビがない生活と、環境が変わる中で、

「木曜の夜は極力出かけず、時報とともにラジカセの録音ボタンを押した」

「1週間後の放送まで7~8回は繰り返し聞いた」という。

 

「上京したことによって微妙に言葉が変わったと言う認識はある。言語は思考である」。

「私の中の何かがビートたけしのオールナイトニッポンによってできあがったことは否めない。否めなくてもいいが」。”

 

今の若い人にとってラジオってどんな存在なんだろうね。

こうやって誰かの人格形成に影響を与えたりしているんだろうか。

 

表現方法が変わって、電波に載せなくても自分からなんでも発信できる時代だけど、

ユーチューバーになりたい!って人よりも、ラジオを作りたい!という若い人のことは応援したいな。

 


 



先日、ケータイ大喜利のお題の絡みで、落ち穂拾いの画像を検索していたら



これが出てきた。

これは神奈川の海老名で催されるかかし祭りの作品。




近くを通る割には、なかなか行く機会が無かったのだが、今年は意を決して(大げさ)行ってみることにした。



これが入り口





早速の登場。くまもん。ライツフリーですし。もはや定番。






あれ?いきなりもう著作権絡むような大人気妖怪ウォッチ。ライスニャン・・・






大人が本気で作っちゃったパターン。





かかしの王道登場。むしろホッとする。






クルンくん。環境問題を訴えるも、そのペットボトルはもう再生不可で捨てるしかない。





三頭身の馬登場。なぜ馬なのか。





なぜその題材なのか、理解に苦しむものも多く。ましてやコメマール。米(マイ)マールの方が・・・





朝の連ドラも題材になります。この構図はなかなか秀逸。





なぜいまそのキャラなのか。でも子供が作った割には細かい。






ネーミングセンスって本当大事。





大学を中退して田舎に帰った友達によく似てて、本人かと思いました。





ずーっと故障者リスト入りしてそう。






マックじゃなくてもいいと思うんだけど。






再び連ドラもの。





とうとう来ました大ヒット映画から。お前だけか。





ワールドカップイヤーに相応しい、ワールドコッメ。顔の形がコメ。






急に得体の知れないキャラ登場。なに。だれ。





またも大ヒット映画から。米サwwwwwwwww。





どこが都会なのか。





なんか血みどろですけど大丈夫っすか





これは表情がいいですね。作者のまじめさが伝わってきます。





三度大ヒット映画。ありのままのブルーシート。




四度登場。説明書きが多い。




見れば見るほど、顔が歌丸。






中にはちゃんと作っている作品も。結構完成度が高いんだけど、かかしという概念がジャンプとともに飛んでる。



ほんとこの題材は多い。この辺になってくると、タイトルにひねりがない。
 





落語でいう古典。





ようやくここでふなっしー登場。ん?サッカー日本代表??足の色合いは優勝したドイツ・・・







少しも寒くない奴らはそろそろ飽きてきた。






ユニフォームにはお金を掛ける。むしろそれで救われている。





多少わいせつに見える。多少な。





研ぎ汁ぶっしゃーの方が良かった。





今これを扱う勇気。案件としてはアンタッチャブルなのでかかしとして成立してる。





完成度が高い。子供に愛されている。





題材もできあがりも意味が分からないが、芸術なのだ。






お前も棒人形にしてやろーかー!めちゃめちゃ華奢なスパイダーマン。





ほのぼのとした場面を切り取ったかかし。制作者の名前から察するに、冒頭の落ち穂拾いと同じ作者。
例年こういう構成なのだろう。





胸に「アギーレ」って書いてあるからアギーレなのだろう。言ったモノ勝ち。
制作中はザッケローニがモチーフだったはず。





かかしかと言われると、ゴジラだ。ゆるくないのでスルー。





たぶん去年からずっと作り続けてようやく今年完成したんだろう。まぁあまちゃん好きですけど。





子供に主導権を握られるも、先生が軌道修正させた苦労が垣間見られます。
来年はもっと増えそう。





全地蔵に笠だと成立しなくねーか?この昔話。そこがゆるいのです。





あれ?ガチのかかし出てきた。宗教的な儀式にも見える。





溶けちゃったらかかしにならない。






飛んでるのにもうメダルを首から下げている。




顔がリアル。





再びアギーレをご覧下さい。温水洋一でも遜色ない。




なんとアギーレは顔認証します。





これ一番リアル!と思った。






記念撮影スポット。顔出し看板は基本中の基本。





いかがでしたか?もう22回も行われているという、海老名のかかし祭り。
一度足を運ぶ価値があるかもしれません。













何気ない言葉が人を動かすことがある。



「いつかみんなで大きなことをやろう」




これは昨年僕が通った放送作家スクールの一期生のみんなと会ったときの、なかば合い言葉になっていった。



時がたち今年の6月。

一期生の女子から、だったか、僕からだったか定かではないが、

「キングオブコントに出てみよう」という話になった。


そこから一期生のいつもの団結力を見せる。

あっという間に10人くらい手を挙げてきた。


さっそくみんなで会議。



会議1 会議2


かなり真剣。




で、方向性が決まったので、「戦隊モノ」という縛りの中で2分のコントを、全員が書いてくることに。



次の会議。

全員のコントを読んで。

投票で決まった設定を元に、まずは稽古をすることに。



稽古に入る前に、実は一期生と我々の師匠である内村宏幸さんと会食する機会があり、

こう言われました。


「放送作家を育てたはずなのに」。


そりゃそうだ。我々は芸人ではない。先生は「コントを書く人」は育てたが「演者」を育ててはいない。

しかし我々はコントが大好きだ。

一度こういう経験をするのも悪くはないはず。


そう思いながらその会食の直後、稽古に入りました。


稽古


社会人の集まりなので、ちゃんと貸しスタジオとか借りる余裕。


本番までに週2は稽古、さらに台本の書き直し作業を繰り返して、

どんどん詰めていきます。

MEやSEはテレビを作ってる人の協力、お芝居に携わっている人の演出もつけてもらい。

一期生やるな。





そして一回戦本番、とある金曜日は8月3日に。







本番前日。

僕は一回戦の会場へ足を運び、その日の一回戦の人たちのコントを見学。

そこでヒントになることがいくつかあったので、その直後の稽古で台本を直しました。

それは僕の登場の仕方など、結構細かい部分に及びました。




いよいよ本番当日。

前日に不安があったので、午前中も稽古をすることに。

台詞は頭に入っていましたが、細かい動きを最後まで詰めました。


会場入りして控え室で着替える僕。





画像横だ。まぁいいや。

設定はガールズ戦隊。ガールズね。

演者は僕以外に三人。怪人1人とあとは女子のガールズ戦隊。



で、本番はどうだったかというと、

「まぁ笑い声が客席から聞けたので、スベってはなかった」

と客席にいた友達の感想。

確かに手応えはあった。

ただ、そこはアマチュアだ。アマチュアがどこまで通用するのか。それが見たかった。

やりきった。それがすべてだ。




すべてを終えて、近所のガストで反省会。

言葉を発する者がほとんどいなかった。褒めるでもなく、けなすでもなく。

あんな口数の少ない一期生は初めて。




そして数時間後、二次に進む組が発表に。










我々の名は無かった。

それどころか、東京タワーのゆるキャラノッポンズ、林寛子と大場久美子の○1○2が同じ日だったのだ。

時間帯が違うので会ってはいない。

それにしても、出来レース感が脳裏をよぎった今回のチャレンジ。

とてもいい経験になった。




やっぱりコントが好きだ。演じる楽しさもよく分かった。

そして演じてみて、さらにコントを書きたくなった。



40歳の夏、ここで散る。でも悔い無し。