ハイセイコーのブログ -63ページ目
先週、東京競馬場で行われました第73回
東京新聞杯は、好スタートから先手を
奪った4番人気のウインカーネリアンが
直線でも粘り、追い込んで来たナミュール
やプレサージュリフトを押さえ、大接戦を
制して優勝。
昨年8月の関屋記念に続く重賞2勝目を
あげました。
2着は直線で鋭く追い込んだ2番人気の
ナミュール、3着には6番人気のプレサー
ジュリフトが入り、福永騎手の1番人気
ジャスティンカフェは4着に敗れました。

今週は、阪神競馬場で伝統の第116回
京都記念が行われます。
京都記念は1942年に5歳(現4歳)以上
の古馬による春と秋の年2回施行する
ハンデキャップ競走として創設されました。
第二次世界大戦の影響による中止や
施行距離や競走条件等の変更を経ながら
春・秋年2回行っていましたが、1984年に
秋の競走が廃止され、以来年1回の施行
となりました。
伝統のレースだけあって歴代優勝馬には
名立たる名馬達の名前が連なっています。
思い出のレースは、これぞまさに真の
横綱相撲で優勝したタニノチカラの
昭和50年第59回京都記念です。
横綱相撲といっても最近のカチ上げと
いう名の肘うちをやったり、負け続けると
休んだり、暴力事件を起こしたり、休場
しているのにサッカーを行ったりしていた
平成、令和の横綱達の相撲ではなく、
昭和の逃げない、卑怯な手は使わない
で堂々と相撲をとっていた戦前の双葉山
や戦後の大鵬、北の湖、千代の富士等
がとった真の横綱相撲です。
タニノチカラの2つの上の兄は幻の三冠馬
と言われたダービー馬そして二冠馬の
タニノムーティエで、タニノチカラも順調に
行けば、史上最強の年と言われた
花の昭和47年のクラシック組に名乗りを
上げたと思います。
旧馬齢3歳の秋の阪神でデビューした
タニノチカラは、初戦の新馬戦は3着
でしたが、2戦目で2着に5馬身差を
つけての初勝利をあげたものの、4戦目の
特別競走2着後に骨折が判明し休養を
余儀なくされてしまいました。
その後、馬インフルエンザの影響で春の
クラシックは順延されたため、何とか出走
に漕ぎつけようと調教を再開していた
タニノチカラでしたが、調教中に
左前種根骨骨折という不運に見舞われて
しまいました。
この骨折は獣医師から予後不良のため
安楽死という診断が下るほどの重傷
でしたが、牧場長の懇願と関係者の努力
により一命をとりとめることができ、長期
休養に入りました。
それから約2年にもおよぶ骨折との闘い
の末、タニノチカラは不死鳥の如く、蘇り
競馬場に帰って来ることができました。
通常、どんなに能力があった馬でも
これだけの重症の骨折をし、例え長期
休養後にカンバックしても、かつての
能力を取り戻すことは、めったにあり
ませんが、タニノチカラは違いました。
5歳の夏にカンバックすると、いきなり
3連勝を飾り、その後も重賞を連勝して
当時私が応援していたハクホオショウの
骨折による競走中止はあったものの
秋の天皇賞に優勝。
有馬記念はハイセイコーを意識し過ぎて
敗れたものの、翌年の有馬記念では
ラストランとなるハイセイコーとタケホープ
に圧勝し、前年のリベンジを果たしました。
そして年度代表馬こそ二冠を制したキタノ
カチドキに譲ったものの、2年連続ので
最優秀5歳以上馬に選出されました。

年が明けて7歳になったタニノチカラは
現役を続行し、脚部不安を抱えながらも
京都記念に参戦。
そのハンデは63キロという厳しい斤量を
背負っての出走となりました。
この京都記念はタニノチカラを恐れてか
わずか6頭という寂しい頭数となりましたが
前年の菊花賞2着のバンブトンオールや
日経賞を勝って勢いに乗るイーストリバー
が打倒タニノチカラを目指し参戦しました。
スタートして、いつもと同じように首を
低くしてカッコよく走るタニノチカラは、
エンジンの違いか、63キロを背負いながら
ゆっくりと先頭に立ち、他の5頭を引っ張る
形となりました。
バンブトンオールもタニノチカラをマーク
しながら先行し、イーストリバーは最後方
からという展開でレースが進みました。
第3コーナーで名人武邦彦騎手騎乗の
バンブトンオールが仕掛けましたが、
タニノチカラは63キロをものともせずに
持ったままで直線へ。
各馬、何とかタニノチカラに追いつこうと
するものの、タニノチカラが少し追い出しを
はじめると、各馬との差はあっという間に
広がり、まさに規格外の強さで、格の違い
を見せつけ、10馬身以上の大差をつけて
圧勝。
とても63キロを背負っている馬とは
思えない、これぞ真の横綱相撲での
競馬史上に残る圧勝劇となりました。
実況の杉本アナも
「うわあ~、強い強いタニノチカラ強い、
タニノチカラ強い、差は開いた。
そして2着は、クラウンパレード、タニノ
チカラ文句なし、相手になりませ~ん」
と驚きの実況となりました。
競走後には相手陣営からはタニノチカラ
にはリヤカーでも引かせて勝負をしないと
レースにならないと言わしめたほどでした。
この強さを目の当たりにした杉本アナや
競馬関係者の中には史上最強馬はタニノ
チカラだという人も多くいます。
タラレバになりますが、もし、タニノチカラ
が脚の故障が無く、現在のように天皇賞
に何回も出走可能であったならば、
何連覇も出来たでしょうし、海外にも
挑戦できたと思います。
これも競馬ロマンですが。

今週は、阪神競馬場で天皇賞春に向けて
第116回伝統の京都記念が行われます。
心情的に復活をかけるエフフォーリアと
ドウデュース、実力馬ウインマイティー
プラダリア、上り馬インプレスに注目して
います。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、東京競馬場で行われました第37回
根岸ステークスは、圧倒的1番人気に
推されたのレモンポップが、直線半ばから
鋭く抜け出し、後続の追い上げを退けて
重賞初制覇を飾りました。
2着には2番人気のギルデッドミラー、3着
には4番人気のバトルクライが入り、堅い
決着となりました。

今週は、東京競馬場で伝統の第73回
東京新聞杯が行われます。
東京新聞杯は古馬による重賞競走として
「東京杯」の名称で1951年に創設され
ました。
創設当初は、東京競馬場の芝2,400mで
天皇賞春の前後に行われていましたが、
1966年より名称を「東京新聞杯」に変更し
併せて施行時期も1月下旬から2月上旬
に行われるようになりました。
天皇賞春を意識していたレースだった
ためか、昭和30年代から昭和40年代
初期の優勝馬にはオートキツやコマツ
ヒカリ等のダービー馬をはじめ、天皇賞馬
タカマガハマやタケシバオー、菊花賞馬
アカネテンリュウ等、競馬史上に残る
名立たる名馬達が連なっています。
私が競馬を見始めた昭和40年代頃は
施工距離も金杯と同じ2,000mであった
ため、どちらかというと金杯の再戦の
ような印象がありました。
その後、1984年より距離も東京競馬場の
芝1,600mに短縮され、この変更により
天皇賞春に向けてというより、安田記念等
春の古馬マイル路線に向けたレースという
位置づけに変わりました。
思い出の馬は昭和49年第24回優勝馬で
第1回地方競馬招待競走にも優勝した
快速馬ユウシオです。
ユウシオの父は昭和を代表する短距離系
種牡馬のミンシオでミホランザンやファイブ
ワン等、快速系の産駒を輩出しました。
ユウシオは昭和48年のクラシック組で
同期にはハイセイコー、タケホープ、イチ
フジイサミの他、快速仲間としてホワイト
フォンテン、シルバーランド、ボージェスト
ニューサントやスピードリッチ等がいます。
ユウシオは旧馬齢3歳の函館でデビューし
新馬戦を圧勝、続く函館3歳Sは3着に
敗れたものの、4戦目のオープン競走に
勝ち、続くや北海道3歳Sでは後に
クラシック戦線を賑わしたカネイコマや
シャダイオーをやぶって連勝。
その後も京成杯3歳Sは3戦無敗の牝馬
マミーブルーの3着に敗れましたが、後の
天皇賞馬カミノテシオやサンポウに先着し
続くオープンの3歳Sでは後のオークス馬
ナスノチグサをやぶってレコードタイムで
優勝を飾り、4勝目をあげました。
しかし3歳ナンバーワンを決める朝日杯
3歳ステークスでは初の大敗を喫して
しまいましたが、暮れのオープン競走では
カミノテシオやニューサントをやぶって優勝
持ち前のスピードを活かして3歳戦では
9戦して5勝という好成績を残しクラシック
に名乗りをあげました。
年が明けて4歳になったユウシオは京成杯
からスタートしましたが、カミノテシオの4着
に敗れ、続く東京4歳ステークスではゴール
直前まで逃げ粘り、惜しくもアタマ差で
スピードリッチの2着に敗れはしましたが
後のダービー馬タケホープに先着する等、
能力の高さを示しました。
しかし、春のクラシック戦線ではやはり
血統的にも距離が合わなかったのか、
果敢に先行するも直線で失速し大敗を
喫してしまいました。
その後、馬体を立て直し秋競馬に向けて
函館のオープン競走に出走し、人気薄
ながら、古豪メジロムサシやロングワン、
パッシングゴールをやぶって優勝。
そして東京に戻り、第一回目となる地方
競馬招待競走に出走しました。
地方競馬招待競走は、1972年以前は
中央競馬と地方競馬間の交流は一切
ありませんでしたが、1973年に中央競馬が
地方競馬との交流による更なる日本競馬
の発展を目指して創設しました。
この競走には全国の地方競馬から招待を
受けた馬達が出走しました。
これを受けて1974年に今度は地方競馬の
大井競馬場が中央競馬招待競走を創設し、
重賞として中央競馬ならびに全国の地方
競馬の所属馬を招待しました。
その後は1年毎に中央競馬と地方競馬で
相互にレースが行われることになりました。
しかし1981年に中央競馬でジャパンカップ
が創設され1983年から地方競馬所属馬
にも出走を認めたことから存在意義が薄く
なり、1985年をもって両競走は廃止なって
しまいましたが、1986年に中央競馬の
オールカマーを地方競馬招待競走とし、
地方競馬の帝王賞を中央競馬招待競走
とすることで引き継がれ、現在に至って
います。
そして、記念すべき第1回の地方競馬招待
競走は重賞ではなく、オープン特別という
扱いではありましたが、地方競馬からは
6頭が参戦し、中央からはユウシオの他
天皇賞馬ベルワイやトーヨーアサヒ
ジョセツ、キョウエイアタック等の重賞
勝ち馬が参戦する等、第1回目に
ふさわしい豪華メンバーによるレース
となりました。
あいにく当日は雨で不良馬場となり
ましたが、果敢に先行したユウシオが
接戦を制して優勝し、第1回目の優勝馬
となりました。
この勢いで続いて参戦した古馬との混合
競走ダービー卿チャレンジトロフィーでも
オークス馬タケフブキ、オープン大将
コーヨーやトクザクラ、ラファールを
やぶって優勝し重賞2勝目をあげました。
年が明けて古馬になったユウシオは金杯
からスタートし、軽量で伏兵のイナボレス
に差され4着に敗れました。
そして当時は金杯の再戦のような感じ
だった東京新聞杯に参戦。
1番人気に推された同期のイチフジイサミ
や後の重賞勝ち馬タケクマヒカル、ナスノ
チグサを押さえて見事な優勝を飾り、
ユウシオの今後の活躍が期待されました。
しかし、3歳や4歳時での酷使が影響した
のか、脚部不安を発症し、長期休養を
取らざるを得なくなってしまいました。
約1年3ヶ月の休養を経て6歳になった
ユウシオはオープン戦でカンバックした
ものの、7頭立ての6着に敗退。
その後も、夏の札幌で再起を図りましたが
かつてのスピードは戻ることなく大敗を
続けたため、引退が決まりました。
そして1976年より北海道のビックレッド
ファームで種牡馬となり、内国産種牡馬
不遇の時代もあって勝ち馬は輩出した
ものの、代表産駒を残すことは出来ません
でした。
記録では1986年に種牡馬を引退となって
いますが、その後ユウシオがどのような
余生を送り、どのように亡くなったかの
記録が無いのが本当に残念です。

今週は東京競馬場で第73回東京新聞杯
が行われます。
福永騎手騎乗のジャスティンカフェ、
実力馬ナミュールとインダストリア、
エアロロノアに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、中山競馬場で行われました伝統の
第64回アメリカジョッキークラブカップは
4番人気のノースブリッジが好位から直線
で内をついて抜け出し、外から追い込んで
来たエヒトやユーバーレーベンを押さえて
優勝を飾り、昨年6月のエプソムカップ以来
となる重賞2勝目をあげました。
2着には5番人気のエヒト、3着には
2021年のオークス馬ユーバーレーベン
が入り、1番人気に推されたガイアフォース
は直線で伸びを欠いて5着に終わりました。

今週は、舞台を東京競馬場に移して
フェブラリーステークスの前哨戦第37回
根岸ステークスが行われます。
根岸ステークスは1987年に旧馬齢4歳
以上の馬によるダートの重賞競走として
創設されました。
競走名の「根岸」の由来は、江戸末期に
日本初の近代競馬場である根岸競馬場
(後に横浜競馬場)が設置され、現在の
天皇賞や皐月賞等のGⅠレースを
1942年まで行っていました。
現在、跡地は根岸森林公園・根岸競馬
記念公苑になっていて、今は1等馬見所
のみ残っており、老朽化が進んでいる
ものの、その圧倒的な存在感は今でも
古の競馬ロマンを現在に伝えています。
そして一昨年の5月に横浜市が日本初の
近代競馬場として知られる旧根岸競馬場に
あった観客スタンド「1等馬見(うまみ)所」
(中区)の本格的な活用に向けた検討を
始めたとの記事が載りました。
ぜひこうした競馬の歴史上で貴重な建物は
きちんと整備を行った上で残して頂き、
後世に伝えていって欲しいと思います。



今週は、東京競馬場でダートの重賞競走
第37回根岸ステークスが行われます。
去年の覇者テイエムサウスダン、実力馬
ギルデッドミラー、レモンホップ、ヘリオスに
注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。

