先週、東京競馬場で行われました第37回
根岸ステークスは、圧倒的1番人気に
推されたのレモンポップが、直線半ばから
鋭く抜け出し、後続の追い上げを退けて
重賞初制覇を飾りました。
2着には2番人気のギルデッドミラー、3着
には4番人気のバトルクライが入り、堅い
決着となりました。
今週は、東京競馬場で伝統の第73回
東京新聞杯が行われます。
東京新聞杯は古馬による重賞競走として
「東京杯」の名称で1951年に創設され
ました。
創設当初は、東京競馬場の芝2,400mで
天皇賞春の前後に行われていましたが、
1966年より名称を「東京新聞杯」に変更し
併せて施行時期も1月下旬から2月上旬
に行われるようになりました。
天皇賞春を意識していたレースだった
ためか、昭和30年代から昭和40年代
初期の優勝馬にはオートキツやコマツ
ヒカリ等のダービー馬をはじめ、天皇賞馬
タカマガハマやタケシバオー、菊花賞馬
アカネテンリュウ等、競馬史上に残る
名立たる名馬達が連なっています。
私が競馬を見始めた昭和40年代頃は
施工距離も金杯と同じ2,000mであった
ため、どちらかというと金杯の再戦の
ような印象がありました。
その後、1984年より距離も東京競馬場の
芝1,600mに短縮され、この変更により
天皇賞春に向けてというより、安田記念等
春の古馬マイル路線に向けたレースという
位置づけに変わりました。
思い出の馬は昭和49年第24回優勝馬で
第1回地方競馬招待競走にも優勝した
快速馬ユウシオです。
ユウシオの父は昭和を代表する短距離系
種牡馬のミンシオでミホランザンやファイブ
ワン等、快速系の産駒を輩出しました。
ユウシオは昭和48年のクラシック組で
同期にはハイセイコー、タケホープ、イチ
フジイサミの他、快速仲間としてホワイト
フォンテン、シルバーランド、ボージェスト
ニューサントやスピードリッチ等がいます。
ユウシオは旧馬齢3歳の函館でデビューし
新馬戦を圧勝、続く函館3歳Sは3着に
敗れたものの、4戦目のオープン競走に
勝ち、続くや北海道3歳Sでは後に
クラシック戦線を賑わしたカネイコマや
シャダイオーをやぶって連勝。
その後も京成杯3歳Sは3戦無敗の牝馬
マミーブルーの3着に敗れましたが、後の
天皇賞馬カミノテシオやサンポウに先着し
続くオープンの3歳Sでは後のオークス馬
ナスノチグサをやぶってレコードタイムで
優勝を飾り、4勝目をあげました。
しかし3歳ナンバーワンを決める朝日杯
3歳ステークスでは初の大敗を喫して
しまいましたが、暮れのオープン競走では
カミノテシオやニューサントをやぶって優勝
持ち前のスピードを活かして3歳戦では
9戦して5勝という好成績を残しクラシック
に名乗りをあげました。
年が明けて4歳になったユウシオは京成杯
からスタートしましたが、カミノテシオの4着
に敗れ、続く東京4歳ステークスではゴール
直前まで逃げ粘り、惜しくもアタマ差で
スピードリッチの2着に敗れはしましたが
後のダービー馬タケホープに先着する等、
能力の高さを示しました。
しかし、春のクラシック戦線ではやはり
血統的にも距離が合わなかったのか、
果敢に先行するも直線で失速し大敗を
喫してしまいました。
その後、馬体を立て直し秋競馬に向けて
函館のオープン競走に出走し、人気薄
ながら、古豪メジロムサシやロングワン、
パッシングゴールをやぶって優勝。
そして東京に戻り、第一回目となる地方
競馬招待競走に出走しました。
地方競馬招待競走は、1972年以前は
中央競馬と地方競馬間の交流は一切
ありませんでしたが、1973年に中央競馬が
地方競馬との交流による更なる日本競馬
の発展を目指して創設しました。
この競走には全国の地方競馬から招待を
受けた馬達が出走しました。
これを受けて1974年に今度は地方競馬の
大井競馬場が中央競馬招待競走を創設し、
重賞として中央競馬ならびに全国の地方
競馬の所属馬を招待しました。
その後は1年毎に中央競馬と地方競馬で
相互にレースが行われることになりました。
しかし1981年に中央競馬でジャパンカップ
が創設され1983年から地方競馬所属馬
にも出走を認めたことから存在意義が薄く
なり、1985年をもって両競走は廃止なって
しまいましたが、1986年に中央競馬の
オールカマーを地方競馬招待競走とし、
地方競馬の帝王賞を中央競馬招待競走
とすることで引き継がれ、現在に至って
います。
そして、記念すべき第1回の地方競馬招待
競走は重賞ではなく、オープン特別という
扱いではありましたが、地方競馬からは
6頭が参戦し、中央からはユウシオの他
天皇賞馬ベルワイやトーヨーアサヒ
ジョセツ、キョウエイアタック等の重賞
勝ち馬が参戦する等、第1回目に
ふさわしい豪華メンバーによるレース
となりました。
あいにく当日は雨で不良馬場となり
ましたが、果敢に先行したユウシオが
接戦を制して優勝し、第1回目の優勝馬
となりました。
この勢いで続いて参戦した古馬との混合
競走ダービー卿チャレンジトロフィーでも
オークス馬タケフブキ、オープン大将
コーヨーやトクザクラ、ラファールを
やぶって優勝し重賞2勝目をあげました。
年が明けて古馬になったユウシオは金杯
からスタートし、軽量で伏兵のイナボレス
に差され4着に敗れました。
そして当時は金杯の再戦のような感じ
だった東京新聞杯に参戦。
1番人気に推された同期のイチフジイサミ
や後の重賞勝ち馬タケクマヒカル、ナスノ
チグサを押さえて見事な優勝を飾り、
ユウシオの今後の活躍が期待されました。
しかし、3歳や4歳時での酷使が影響した
のか、脚部不安を発症し、長期休養を
取らざるを得なくなってしまいました。
約1年3ヶ月の休養を経て6歳になった
ユウシオはオープン戦でカンバックした
ものの、7頭立ての6着に敗退。
その後も、夏の札幌で再起を図りましたが
かつてのスピードは戻ることなく大敗を
続けたため、引退が決まりました。
そして1976年より北海道のビックレッド
ファームで種牡馬となり、内国産種牡馬
不遇の時代もあって勝ち馬は輩出した
ものの、代表産駒を残すことは出来ません
でした。
記録では1986年に種牡馬を引退となって
いますが、その後ユウシオがどのような
余生を送り、どのように亡くなったかの
記録が無いのが本当に残念です。
今週は東京競馬場で第73回東京新聞杯
が行われます。
福永騎手騎乗のジャスティンカフェ、
実力馬ナミュールとインダストリア、
エアロロノアに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。

