昨日、阪神競馬場で行われました春の
グランプリレース第67回宝塚記念は
レース直前のゲリラ豪雨によって馬場が
一気に良から重に変わり、更に生演奏で
行われる予定だったオリジナルの
ファンファーレが急遽中止になるという
異例づくしの中で行われ、道中2番手を
進んだ武豊騎手騎乗の2番人気の
メイショウタバルが直線で抜け出し、
追い込んで来たクロワデュノールを
おさえて優勝を飾り、宝塚記念、初の
父子での連覇を達成しました。
武騎手も言っていましたが、レース直前の
ゲリラ豪雨は故松本オーナーがメイショウ
タバルのために降らせたのではないかと
思うくらいでしたし、レース後はぴたりと
雨が止むなど、まさに神がかった
宝塚記念になりました。
2着には1番人気のクロワデュノールが入り
3着には3番人気のダノンデサイルが
入りました。
但し、日経賞を制したマイユニバースが
最後の直線で競走を中止し、その後
JRAより急性心不全のため死亡したとの
発表がありました。
日本ダービーで、4コーナーで馬の異変に
気付きながら最後まで走らせ、その馬が
倒れる寸前まで騎乗していた某外国人
騎手と違い、ダノンデサイルをはじめ
いつも馬ファーストの横山典騎手が
早めに馬を止めて下馬し、様子を確認
して退場した後、容態が急変し、亡くなって
しまったのが、本当に残念でなりません。
どうか天国でゆっくり休んでください。
お疲れさまでした。
今週は、東京競馬場で伝統の第74回
府中牝馬ステークスが行われます。
府中牝馬ステークスは現在中央競馬で
行われる4歳(現3歳)以上の牝馬限定
重賞競走としては、最も長い歴史を持ち
1953年に東京牝馬特別の名称で
創設され、その後は牝馬特別、牝馬
東京タイムズ杯と名称の変遷を経て
1992年から現在の名称になりました。
創設時は東京競馬場の芝2000mでハンデ
キャップ競走として行われていましたが
距離は1955年より芝1600mに、負担
重量は1969年より別定に変更。
1996年にエリザベス女王杯が古馬にも
開放され4歳(現3歳)以上の牝馬限定戦に
改められると本競走は距離を芝1800mに
延長し、エリザベス女王杯の重要な前哨戦
として位置づけられ2014年から2024年
までは本競走の1着馬にエリザベス女王杯
への優先出走権が与えられていました。
2025年より、前年まで開催されていた
マーメイドステークスの競走条件を
引き継ぎ、開催時期を6月に、更に負担
重量をグレード別定からハンデキャップに
変更され、行われることになりました。
思い出のレースは、古馬の名牝が出走
する中で4歳馬の伏兵リンネルンドが
優勝した旧名称の昭和48年第21回
牝馬東京タイムズ杯です。
リンネルンドの父は、昭和を代表し、
日本の競馬の発展に多大な貢献をした
大種牡馬テスコボーイで代表産駒には
皐月賞馬ランドプリンス、二冠馬キタノ
カチドキ、天馬トウショウボーイ、天才少女
テスコガビー、天皇賞馬ホクトボーイと
サクラユタカオー、菊花賞馬インター
グシケン、エリザベス女王杯を制した
アグネステスコ、桜花賞馬ホースメン
テスコや快速馬ハギノカムイオーなど
挙げれば切りがない程、多くの名馬達を
この世に送り出しました。
そして、祖母にはオークスを制した
ヒロイチがいます。
リンネルンドは昭和48年の牝馬クラシック
組で、同期には牝馬クラシック二冠を制し
私も大好きだったニットウチドリ、オークスを
制したナスノチグサ、京都に散った悲劇の
快速馬キシュウローレルやレデースポート
キクノツバメ、ヒダコガネ、ケイスパーコ
ケイリュウシンゲキ、マミーブルーなどの
重賞勝ち馬がいます。
リンネルンドは旧馬齢3歳7月の東京で
デビューし、初戦の新馬戦は2着に敗れ
ましたが、4戦目の未勝利戦で初勝利を
挙げました。
その後、暮れの条件戦で2勝目を挙げ
3歳時は9戦2勝に終わりました。
年が明けて4歳になったリンネルンドは
牝馬クラシックへの出走を目指して
いましたが、なかなか3勝目を挙げられず
それでも桜花賞の前哨戦クイーンカップで
後に3強と言われたニットウチドリ、ナスノ
チグサ、レデースポートに先着して2着に
入るなど健闘して見せました。
この年の牝馬クラシックはニットウチドリ
ナスノチグサ、レデースポートの牝馬3強
による戦いという様相を呈していました。
そんな状況の中、リンエルンドはオークスを
目指し、オークストライアルに出走するも
レデースポートの前に17頭中の14着に
大敗し、本番のオークスでも22頭中の
12着に終わりました。
その後、リンネルンドはオープン牡馬との
レースで3着に入る健闘を見せると、
秋に入ってクイーンステークスに参戦し
ヒダコガネの僅差の2着に入るなど、
能力のあるところを見せました。
しかし、続く条件特別では1番人気に
支持されながら12着に大敗して
しまいました。
続いてリンネルンドは、古馬牝馬との戦い
となる当時の名称牝馬東京タイムズ杯に
駒を進めました。
このレースには、スプリンターズステークス
を制し、後に安田記念も制する快速馬
キョウエイグリーンや雨女の異名を持ち
安田記念を制したラファールなどの古馬の
名牝2頭の他、ナオユキ、ポピーオン
ワードなどの古馬牝馬や同期のキクノ
ツバメなどの牝馬の精鋭達が参戦、
1番人気は快速馬キョウエイグリーン、
2馬人気はナオユキ、3番人気は
キクノツバメが支持され、リンネルンドは
前走の大敗が嫌われたのか、6番人気
での出走となりました。
レースはキョウエイグリーンが持ち前の
スピードを活かして外目を通って先頭に
立って逃げ、その後ろからトウコウアコ
ナオユキとラファールが続き、リンネ
ルンドは後方からという展開で進みました。
第4コーナーでシャダイカールとマルガ
リータも仕掛け、後続馬も一団となって
直線の勝負へ。
外をついたキョウエイグリーンが逃げ
込みを図る中、内をついたナオユキが
伸びて先頭の立つと、馬場の真ん中から
今度はリンネルンドが鋭く伸びて先頭に
立ち、ナオユキとの競り合いになりましたが
リンネルンドがナオユキをおさえて優勝を
飾り、初重賞制覇を果たしました。
この勝利で今後の活躍が期待された
リンネルンドでしたが、この勝利が
リンネルンドにとっての最後の勝利に
なってしまいました。
次のオープン競走もシカゴの2着に入り
年が明けて古馬となった初戦のオープン
競走でもオープン大将の異名を持つ
コーヨーの3着に入るなど健闘しました。
しかし、当時はまだ牝馬や短距離系の
レース体系が整っていなかったため、
リンネルンドは古馬牡馬との重賞競走に
出走せざるを得なく、苦戦が続きました。
結局、5歳時は16戦して条件特別での
2着が5回あっただけで、未勝利に
終わりました。
年が明けて6歳になったリンネルンドは
牝馬でありながら、活路を見いだすため
障害戦に出走させられましたが、
勝つことは出来ずに引退となりました。
引退後、繁殖牝馬となったリンネルンドは
4頭の牝馬を輩出し、うち2頭が
準オープン馬になるなど、繁殖牝馬
としても活躍しました。
記録によりますと
1984年4月19日、14歳の若さで
死亡したとあり、死因についての記載は
残念ながらありませんでした。
今週は、東京競馬場で第74回
府中牝馬ステークスが行われます。
ヴァルキリーバース、ニシノティアモ
ルージュソリテール、セキトバイーストに
注目しています。
先週の宝塚記念のマイユニバースの
ような悲劇が起こらぬよう、今週も
全人馬の無事を祈りながらレースを観ます。


