昨日、京都競馬場で行われました

第57回マイラーズカップは道中2番手を

進んだ1番人気のアドマイヤズームが

直線に入って抜け出し、2024年朝日杯

フューチュリティステークス以来となる

重賞2勝目を飾りました。

そして、アドマイヤズームに騎乗した

武豊騎手も1994年ノースフライト以来

32年ぶり3回目の優勝を飾りました。

2着に内から追い込んだ9番人気の

ドラゴンブーストが入り、3着には

5番人気のベラジオボンドが入りました。

今週は、京都競馬場で伝統の第173回

天皇賞(春)が行われます。

天皇賞は、日本中央競馬会が春・秋に

年2回施行する中央競馬の重賞競走

(GⅠ)で、第1回とされる「帝室御賞典」は

1937年(昭和12年)に行われていますが

日本中央競馬会が前身としている

「エンペラーズカップ」まで遡ると

1905年(明治38年)に起源を持ち、日本

で施行される競馬の競走では最高の

格付けとなるGⅠの中でも長い歴史と

伝統を持つ競走となっています。

帝室御賞典は戦局悪化のため1944年

(昭和19年)秋に中止され、終戦後の

1947年(昭和22年)春に「平和賞」の

名称で再開され、同年秋から天皇賞と

改称され現在に至っています。

現在は賞金のほか、優勝賞品として

皇室から楯が下賜されており、天皇賞を

「盾」と通称することもあります。

 

これはあくまでも私の勝手な持論ですが

最近は距離が長いと言って天皇賞春を

回避する馬や天皇賞春の距離を短くする

案も出ているようですが、天皇賞春での

1週目のホームストレッチでの期せずして

上がる大歓声やレース中の各馬の駆け

引きを見てきた私にとっては本当に

残念な状況です。

確かに馬にかかる負担は大きいと

思いますが、天皇賞の3200mを避けたり

こなすことが出来ないようでは、凱旋門賞

に行っても勝てるはずはありません。

凱旋門賞は、距離は天皇賞春より短くても

天皇賞春よりスタミナとスピードが必要です。

時代の流れとはいえ、最近の天皇賞春の

出走メンバーは寂しくなっているように

感じます。

今年はクロワデュノールが参戦すると

いうことで、とても有難いし、楽しみです。

昭和期の王道路線のように無理に

出走させることは、もちろん反対ですが、

距離や様々な状況に負けることなく、強い

勝ち方をしてくれる名ステイヤーが

誕生してくれることを祈っています。

 

思い出の馬は、最後に長寿記録で名馬

シンザンに挑んだ昭和45年第61代

天皇賞馬リキエイカンです。

リキエイカンの父は昭和を代表する万能型

種牡馬ネヴァービートで代表産駒には

皐月賞馬マーチス、オークス馬ルピナス

桜花賞・エリザベス女王杯を制したインター

グロリア、最強障害馬グランドマーチスや

クニノハナ、ダイイチオー、メジロスイセイ

ハシクランツ、走る労働者トウフクセダン

ヨシノリュウジン、タニノチェスターなど

馬名をあげれば切りがない程中央・地方

問わず、数多くの重賞勝ち馬を輩出し

日本競馬に多大な貢献をしてくれた

名種牡馬でした。

 

リキエイカンは昭和44年のクラシック組で

同期にはダービー馬ダイシンボルガード

菊花賞馬アカネテンリュウ、皐月賞馬

ワイルドモア、天皇賞馬メジロアサマや

ミノル、ハクエイホウ、タカツバキ、

ダテハクタカ、カネハヤテ、アカツキテル、

ニューキミノナハ等の重賞勝ち馬がいます。

 

私が初めて競馬を見たのは昭和44年の

日本ダービーで、当時は単なる馬名から

ミノルとタカツバキを応援していました。

応援していた1番人気のタカツバキが

スタート直後に落馬し、場内が騒然となる

状況に子供心に衝撃を受け、更に最後の

直線でのダイシンボルガードとミノルとの

壮絶な死闘に感動しました。

このダービーでの衝撃と感動によって

私は競馬にのめり込み、それ以来ずっと

競走馬ファンとして長年競馬を見続けて

います。

よって昭和44年の競走馬達は特に

印象に残っています。

 

リキエイカンは旧馬齢3歳夏の札幌で

デビューし、新馬戦を圧勝。

その後、関西に戻って条件特別を勝ち

更に当時の西の3歳チャンピオン決定戦

阪神3歳ステークスに出走すると、後の

桜花賞馬ヒデコトブキをやぶって初重賞

優勝を飾り、クラシックに名乗りを

挙げました。

しかし、この年の最優秀3歳馬には

西のリキエイカンではなく、東の朝日杯

3歳ステークスに勝った私も大好きだった

ミノルが選出されました。

 

年が明けて4歳になったリキエイカンは

京都の4歳ステークスで4勝目を挙げると

東上してクラシックに挑みました。

しかし、スプリングステークス8着、

皐月賞は、23頭中の16着に惨敗。

それでも私が初めて見た不良馬場で

行われた日本ダービーでは、4着に入る

大健闘を見せ、実力のあるところを

見せました。

その後、リキエイカンは夏の札幌に遠征し

初の古馬相手にオープン競走で5勝目を

挙げると札幌記念に参戦。

ここでも皐月賞馬マーチスやメジロタイヨウ

フイニイなどの古馬の精鋭達を相手に

僅差の2着に入るなど大健闘を見せました。

 

続いて菊花賞制覇を目指すリキエイカンは

現在の京都新聞杯で、当時の名称で

菊花賞トライアルだった京都杯に

出走しましたが大差の6着に惨敗。

そして迎えた菊花賞、このレースには

ダービー馬ダイシンボルガード、

ダービーで死闘を演じた尾形厩舎の

四天王と言われたミノルとハクエイホウ、

京都杯の勝ち馬キングスピードや

カネハヤテ、ウチュウオー、マサファイター

などの重賞勝ち馬や後に戦後最大の夏の

上り馬と言われたアカネテンリュウが出走。

1番人気はアカネテンリュウ、尾形四天王

ミノルが2番人気、ハクエイホウが3番人気

に支持され、リキエイカンはダービー馬

ダイシンボルガードに次ぐ5番人気での

出走となりました。

レース当日は曇り、重馬場の中、ゲートが

開きスタートして、激しい先頭争いの中

ハクエイホウがハナを奪って逃げ、先行

集団にはキングスピード、スマノアラシと

リュウースパーションがいて、ダイシン

ボルガードとリキエイカンは中団を進み

ミノルとアカネテンリュウは後方からという

入れ替わりが激しい展開で進みました。

第3コーナーでアカネテンリュウと

リキエイカンが仕掛けて先頭集団に

取りつき、第4コーナーではアカネ

テンリュウが一気にハクエイホウを

交わして先頭に立って直線の勝負へ。

直線に入って外からリキエイカンが鋭く

伸びてアカネテンリュウを交わしに

かかりましたが、アカネテンリュウが

直線で寄れながらも先頭を譲らず、

リキエイカンをおさえて優勝を飾り、

リキエイカンは惜しくも2着に敗れは

しましたが、実力のあるところを示しました。

しかし続く阪神大賞典では1番人気に

応えられず、大差の4着に敗れました。

 

年が明けて古馬になったリキエイカンは

現在の日経新春杯である日本経済新春杯

からスタートし、3着に敗れましたが、続く

スワンステークス、オープン競走に勝って

連勝を飾り、天皇賞の前哨戦サンケイ

大阪杯は4着と不覚を取りましたが、続く

オープン競走を圧勝し、天皇賞春に駒を

進めました。

このレースには菊花賞馬アカネテンリュウ

重賞競走の常連で尾形厩舎のフイニイや

シュンサクオー、ダテハクタカ、ヨコズナ

ハクセンショウ等の重賞勝ち馬が出走。

1番人気はアカネテンリュウが支持され

リキエイカンは2番人気での出走と

なりました。

レースはホウウンが先手を奪って逃げ

2番手にハクセンショウ、フイニイと

リキエイカンは中団、アカネテンリュウと

ダテハクタカは例によって後方からの

競馬となりました。

第3コーナーでフイニイが仕掛けて

上がっていくと、リキエイカンとアカネ

テンリュウも先行集団に取りつき

第4コーナー手前ではフイニイが2番手に

上がると、外からアカネテンリュウ、内から

リキエイカンも菊花賞を再現するように

一緒に上がって行き、4頭が一団となって

直線の勝負へ。

逃げ込みを図るホウウンを内から

リキエイカン、外からアカネテンリュウが

追い込み、直線半ばで内から鋭く伸びた

リキエイカンがホウウンを交わして先頭に

立ち、追い込んで来た野平祐二騎乗の

フイニイを抑えて優勝を飾り、菊花賞での

アカネテンリュウへの雪辱も果たし、

第61代天皇賞馬に輝きました。

続いてリキエイカンは、宝塚記念に参戦

しましたが、王者スピードシンボリの前に

大差の5着に敗れ、その後、この年は

オープン競走を1勝するに止まりました。

 

年が明けて6歳になったリキエイカンは

当時、天皇賞は1度勝つと二度と出走する

ことは出来なかったため、他の重賞競走を

探りながら参戦しましたが、メジロ記念と

言われた宝塚記念ではしんがり負けを

喫するなど低迷し、函館記念と札幌記念で

2着に入ったものの、これが精いっぱいで

この年の勝利はオープン競走の1勝に

終わりました。

 

年が明けて7歳になったリキエイカンは

現役を続行し、重い斤量を背負うのを

嫌ったのか、堅実性を狙ったのかは

今となっては不明ですが、重賞競走には

出走せずに京都と阪神でのオープン競走

のみに出走し、6戦して2勝を挙げ、5月の

オープン競走での7着を最後に引退し

1972年から北海道で種牡馬になりました。

しかし、内国産種牡馬不遇の時代にあって

活躍馬を出すことは出来ず、1984年に

種牡馬も引退となりました。

昭和期においては、馬主や牧場の考え方

にもよりますが、種牡馬としても用が

無くなれば天皇賞や有馬記念に勝とうが

年度代表馬選ばれようが、処分されて

しまうような時代でした。

実際にリキエイカンも廃用となって危うく

処分されそうになりましたが、故郷の

鮫川牧場に引き取られ、以後は功労馬

として大切にされて余生を送りました。

いつしかリキエイカンことも忘れられて

いました。

しかし、シンザンと同期で青森の牧場で

余生を送っていた二冠牝馬カネケヤキが

サラブレッドの長寿記録を更新するのでは

という新聞報道で再び脚光を浴び、

カケケヤキが見事に記録を更新したものの

34歳と230日で亡くなると、今度は同期の

五冠馬シンザンに注目が集まりました。

シンザンは1995年11月19日に

カネケヤキが記録したサラブレッドの日本

最長寿記録を更新し、更に翌1996年

5月3日にはタマツバキ(アングロアラブ

の名馬)が持っていた軽種馬の

日本最長寿記録も更新しました。

この時に天皇賞馬リキエイカンがまだ

存命しているとの新聞報道があって、

この報道に私は歓喜しました。

シンザンは1996年7月13日に老衰により

35歳102日の長寿の大記録を残して

亡くなりましたが、この大記録に今度は

天皇賞馬リキエイカンが挑みました。

 

記録によりますと

2001年7月2日、リキエイカンは老衰で

亡くなりましたが、このときの馬齢は

35歳88日であり、シンザンの最長寿記録

である35歳102日にあと14日と迫る

長寿でした。

最後の最後にシンザンに果敢に挑んで

大いに見せ場をつくって天国に旅立った

リキエイカン、私にとって本当に記憶に

残る名馬でした。

 

今週は、京都競馬場で伝統の第173回

天皇賞(春)が行われます。

クロワデュノール、アドマイヤテラ

ヘデントール、スティンガーグラスに

注目しています。

名牝リバティアイランドが亡くなってから

早いもので1年が経ちました。

あのような悲劇が二度と起こらぬよう

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。