本日、積雪のためスライドして京都

競馬場で行われました春のクラシックに

向けた第66回きさらぎ賞は、道中、中団を

進んだ1番人気のゾロアストロが最後の

直線で内をついて鋭く伸びて混戦から

アタマ差抜け出し、重賞初制覇を飾り

ました。

2着には2番人気のエムズビキン、3着には

4番人気のラフターラインズが入りました。

今週は、東京競馬場でクラシックの前哨戦

節目となる伝統の第60回共同通信杯

トキノミノル記念が行われます。

共同通信杯は1967年に創設された

4歳(現3歳)馬限定の重賞競走

東京4歳ステークスが前身で1969年より

トキノミノル記念の副称がつけられました。

副称となっているトキノミノルは1951年の

皐月賞、東京優駿(日本ダービー)優勝馬

で生涯戦績10戦10勝(内レコード7回)を

記録し、無敗のままクラシック二冠を制した

名馬でした。

しかし、日本ダービー優勝からわずか

17日後に破傷風で死亡してしまったため

その後、トキノミノルはダービーに勝つ

ために、この世に生まれて来た幻の馬

として今でも語り継がれています。

東京4歳ステークスは1983年より

共同通信杯4歳ステークスに改称された後

2001年より現在の名称となりました。

優勝馬からはゴールドシップ、イスラ

ボニータ、ディーマジェスティ、

エフフォーリア、ジャスティンミラノが

皐月賞を、カブラヤオー、サクラショウリ、

ミスターシービー、ダイナガリバー、

アイネスフウジンがダービーを制する等

春のクラシックに向けた重要な前哨戦

として位置づけられています。

 

思い出の馬はスーパーカーの異名をとった

マルゼンスキーに果敢に挑んだ国産馬の

ヒシスピードです。

ヒシスピードは外国産種牡馬優勢の時代に

あって、初代ヒシマサルからヒシマサヒデと

内国産父系を繋ぐ血統の三代目として

生まれました。

父ヒシマサヒデはキーストン・ダイコーター

時代に活躍し、安田記念やオールカマー

京王杯スプリングハンデに優勝しました。

祖父のヒシマサルは昭和30年代に

活躍した馬で、クラシックは取れなかった

ものの、安田記念、セントライト記念

毎日王冠、札幌記念、日本経済賞に

優勝しました。

 

ヒシスピードは旧馬齢3歳夏の札幌で

デビューし、初戦の新馬戦は失速して

大差の6着に敗れましたが、2戦目の

新馬戦ではうって変わって9馬身差を

つけて圧勝し、続く北海道3歳ステークス

でも新馬・特別戦を圧勝して来たソーウン

ムサシに6馬身差をつけレコードタイムで

優勝を飾るなど、圧倒的な強さを

見せました。

その後、秋の東京に戻り、オープン戦で

2着となった後、次の府中3歳ステークスで

前評判どおりに新馬・特別を圧倒的強さで

連勝して来た、この年の話題の評判馬

マルゼンスキーと対戦しました。

レースはマルゼンスキーがエンジンの

違いを見せつけるように楽に先行して逃げ

このレースも楽勝かと思いましたが、

相手をなめ過ぎたのか、それともちょっと

した油断があったのか、最後の直線では

内から鋭く伸びてきたヒシスピードに、

マルゼンスキーが交わされそうになり、

慌てたマルゼンスキーとヒシスピードの

2頭による激しいたたき合いになりましたが

最後はマルゼンスキーが何とかハナ差

ヒシスピードを退けて辛勝しました。

スーパーカー マルゼンスキーを負かす

ところまで追い詰めたヒシスピードは

2着に敗れはしたものの、後続馬に

10馬身差をつけたことで、高い評価を

受けました。

続いてヒシスピードは関東3歳チャンピオン

決定戦 朝日杯3歳ステークスに駒を

進めると、マルゼンスキーも参戦を表明し

ヒシスピードとマルゼンスキー両馬による

2度目の対決に注目が集まりました。

マルゼンスキーは圧倒的な1番人気に

推され、ヒシスピードは2番人気での

出走となりました。

レースは前回の轍は踏まないと言わん

ばかりにマルゼンスキーが気合を入れて

積極的に逃げ、ヒシスピードが追走する

展開となりました。

第3コーナーではヒシスピード以外の

出走馬達は既にスピードについて行けず

どんどん置いていかれ、ヒシスピードも

必死で差をつめて直線の勝負へ。

直線に入って更に差を広げたマルゼン

スキーは大差をつけてレコードタイムで

圧勝。

ヒシスピードは、またしても2着に敗れは

しましたが、関東のクラシック候補として

堂々と名乗りを挙げました。

年が明けて4歳になったヒシスピードは

京成杯に参戦。

このレースには後のダービー馬ラッキー

ルーラや後の菊花賞馬プレストウコウも

出走しましたが、1番人気に推された

ヒシスピードが、やはりここでは役者が

違うと言わんばかりに持ち前のスピードを

活かし、ラッキールーラとプレストウコウを

おさえて優勝を飾り、念願の重賞初制覇を

果たしました。

続く東京4歳ステークスでも、1番人気に

推されたヒシスピードは、再びラッキー

ルーラやプレストウコウをおさえて優勝を

飾り、2つ目の重賞を獲得すると共に

クラシックの有力候補に躍り出ました。

しかし、次のスプリングステークスでは

1番人気に推されたものの、不良馬場が

災いしたのか、前走で圧勝している

ヨシノリュウジンの3着に敗れてしまい

ました。

 

そして迎えた春のクラシック皐月賞

ヒシスピードは1番人気に推されました。

レースはラッキールーラが逃げる中

道中、中団につけていたヒシスピードは

第3コーナーから4コーナーで仕掛け

2番手に上がって直線に向き、一時は

先頭に出る勢いで見せ場は作りましたが

最後は距離の疑問か、伸びきれず7着に

終わりました。

 

そして続くダービーでヒシスピードは

皐月賞7着と距離への不安、更に大外

27番枠からのスタートということもあって

28頭中10番人気という人気を落としての

出走となりました。

レースは大外からスタートしたラッキー

ルーラとヒシスピードが内に切り込んで

先行し、 ラッキールーラが逃げる中、

道中2、3番手を進んだヒシスピードは

第4コーナーで仕掛け、先頭集団で直線に

向かうなど、ダービーでも大いに見せ場を

作りましたが、やはり距離の疑問か、

最後の直線で伸びを欠いて13着に

大敗してしまいました。

 

その後、ヒシスピードはデビュー地の

札幌に遠征し、得意な距離のオープン

競走に出走すると、メルシーシャダイに

5馬身差をつけて圧勝。

 

そして次に電撃6ハロンの短距離Sに

参戦すると、マルゼンスキーも出走する

こととなり、両馬は3度目の対決をする

ことになりました。

このレースは古豪ヤマブキオーも参戦し

各馬がマルゼンスキーを避けて5頭立て

という淋しいレースとなりましたが、ヒシ

スピード、ヤマブキオー対マルゼンスキー

という対決に重賞レースではありません

でしたが、競馬ファンは大いに盛り上がり

ました。

レースはマルゼンスキーに一矢を

報いようとヨシオカザンが果敢にマルゼン

スキーをおさえて先頭に立って逃げ、

ヒシスピードは3番手、ヤマブキオーは

4番手という展開で進みました。

第3コーナー過ぎではマルゼンスキーが

ヨシオカザンを交わして先頭に立つと

ヒシスピードも2番手に上がって必死に

追走しましたが、直線に入るとマルゼン

スキーが後続馬を引き離して独走態勢と

なり、10馬身差をつけて圧勝。

ヒシスピードも何とかヤマブキオーを

おさえて2着を確保しました。

その後、函館で1番人気に推されたものの

オープン戦で6頭中5着に敗れてしまった

ヒシスピードは脚部不安を起こして休養に

入り、その後、再び競馬場に姿を見せる

ことはありませんでした。

引退後、1950年代に活躍した種牡馬

ライジングフレームの最後の後継馬として

期待されて種牡馬になったヒシスピードは

地方競馬で勝ち馬は出したものの、代表

産駒を輩出することは出来ませんでした。

 

記録と情報によりますと

ヒシスピードは1985年に種牡馬を引退し

引退後は茨城県の牧場で功労馬として

余生を送っていましたが、2004年1月2日

29歳で天寿を全うし天国に旅立ったとの

ことです。

 

マルゼンスキーとの3度に渡る死闘は

いずれも2着に敗れはしましたが、あの

スーパーカーと呼ばれ、日本競馬史上

最強馬とも言われるマルゼンスキーに

逃げずに果敢に挑んだヒシスピードの姿は

記憶に残る名馬として今でも語り継がれて

います。

何とか安田記念に優勝して、安田記念

親子3代制覇を成し遂げて欲しかったと

今でも思っています。

もし短距離やダート系のレース体系が

現在のように整備されていたならば、

ヒシスピードは、まだまだの活躍できたかと

思うと残念でなりません。

 

今週は東京競馬場で節目となる伝統の

第60回共同通信杯トキノミノル記念が

行われます。

ロブチェン、ラヴェニュー、リアライズ

シリウス、ディバインウインドに

注目しています。

全馬の無事を祈ってレースを見ます。