昨日、東京競馬場においてレース前に

菊花賞馬ドゥレッツアが出走を取り消し

17頭で行われました国際招待競走

第46回ジャパンカップはゲートが開いて

すぐにアドマイヤテラがバランスを崩し

落馬するという、まさに昭和44年の

日本ダービーでの1番人気タカツバキの

落馬を思い出させるような波乱の幕開け

となり、最後は4番人気の欧州年度代表馬

で世界ラン1位の外国馬カランダガンと

若き天皇賞馬マスカレードボールとの

一騎打ちとなりましたが、カランダガンが

マスカレードボールとの叩き合いを制し、

レコードタイムで優勝を飾りました。

海外馬の優勝は20年ぶりで、フランス馬は

ルグロリュー以来、38年ぶりの優勝と

なりました。

2着には1番人気のマスカレードボール

3着には3番人気のダノンデサイルが

入りました。

そしてゴール直後、マスカレードボールと

ダノンデサイルが接触し、ルメール騎手と

戸崎騎手が落馬するという、最後まで

波乱に満ちたジャパンカップとなりました。

いろいろなアクシデントがあった今年の

ジャパンカップ、日本馬が敗れたことは

残念でしたが、欧州年度代表馬のカラン

ダガンが世界ランク1位の実力を見せ

最後は天皇賞馬マスカレードボールとの

叩き合いは見応えがあり、何十年かぶりに

ジャパンカップらしいレースを見ることが

できて感動しました。

 

また11月25日、牝馬3冠制覇、ジャパン

カップ連覇、ドバイシーマクラシック、有馬

記念などGⅠ7勝を挙げ、2度の年度

代表馬にも輝いた日本が誇る剛毅なる

貴婦人名牝ジェンティルドンナが亡くなった

との訃報が届きました。

この日は奇しくもジェンティルドンナが

オルフェーヴルを弾き飛ばしてジャパン

カップに勝った日と同じ日でした。

まだ16歳という若さで、繁殖を引退後

これからゆっくり余生を送ってくれたらと

思っていただけに残念です。

天国でゆっくり休んで下さい。

本当にお疲れさまでした。

そしてありがとうございました。

今週は、阪神競馬場で第78回伝統の

鳴尾記念が行われます。

鳴尾記念は昭和26年にハンデキャップの

重賞競走として阪神競馬場芝2400mで

創設され、当時春と秋の年2回施行されて

いましたが、昭和29年より年1回の施行と

なりました。

レース名の鳴尾は、明治40年に関西競馬

倶楽部が兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の

西宮市)に建設した鳴尾競馬場(昭和12年

に阪神競馬場と改称、昭和18年閉鎖)に

由来します。

因みに現在地の阪神競馬場は昭和24年

に竣工されました。

グレード制導入後はGⅡに格付けされ

ましたが、施行時期・距離・競走条件ともに

幾度かの変遷を経て、2000年からは

施行時期を12月に移設され、地方所属馬

の出走が可能になった一方で国際競走

ではなくなり、格付けもGⅢに降格変更

されました。

そして2006年からは芝1800mに変更

となり、再び国際競走に指定となりました。

しかし、2012年より施行時期が6月に

再度変更され、距離も芝2000mと

なりましたが、2025年からは、また施行

時期が12月に再度変更される共に距離も

芝1800mになる等、長年多くの名馬達が

出走して来た伝統あるレースとは思えない

扱いを受けているのが、とても残念です。

昭和期での歴代優勝馬にはダービー馬

ボストニアン、天皇賞馬タカクラヤマ、

エリモジョージ、タマモクロス、ヤエノムテキ

有馬記念馬リュウフォーレル、テンポイント

ストロングエイト、オークス馬ヤマピット、

宝塚記念馬シーザー等、多くの名馬達の

名が連なっています。

 

思い出のレースは五冠馬シンザンの代表

産駒の1頭、シンザンミサキが優勝した

昭和48年第26回鳴尾記念です。

 

シンザンミサキの父は五冠を制し、日本

競馬史上最強馬、神馬とも言われている

日本を代表する名馬シンザンで、代表

産駒には二冠馬ミホシンザン、菊花賞馬

ミナガワマンナやスガノホマレ、シングン

シルバーランド、ハシコトブキ、キャプテン

ナムラ、ブルスイショー等、挙げれば切りが

ない程、内国産種牡馬不遇の時代に

あって、数多くの重賞勝ち馬をこの世に

送り出しました。

 

シンザンミサキはクラシックへの出走は

叶いませんでしたが、同期にはダービー馬

ロングエース、皐月賞馬ランドプリンス、

菊花賞馬イシノヒカル、天皇賞馬タイテエム

有馬記念馬タニノチカラ、ストロングエイト

宝塚記念馬ハマノパレードやヒデハヤテ、

トーヨーアサヒなど、競馬史上最強の世代

花の昭和47組と言われる名馬達がいます。

 

シンザンミサキは、旧馬齢3歳秋の京都の

新馬戦でデビューし、14着に敗れたものの

その後、惜敗を繰り返し、8戦目となる4歳

春の未勝利戦で初勝利を挙げました。

その後も条件戦で敗戦を繰り返し、秋に

入って条件戦でようやく2勝目を挙げると

続く条件特別での勝利し、3勝目を挙げ

ました。

その後、条件戦2戦でも勝てなかった

シンザンミサキでしたが、格上挑戦となる

愛知杯に駒を進めました。

当時の愛知杯は、昭和47年に内国産

種牡馬の奨励と保護策の一環として

父内国産馬限定競走に指定され、以来

2003年まで父内国産馬限定の重賞競走

として行われてきました。

このレースには春のクラシック戦線で活躍

した同じシンザンの仔で超音速の異名を

とったスガノホマレやシングン、オール

カマーを制したイナボレス等が参戦する中

7番人気で出走したシンザンミサキは

軽ハンデではありましたが、1番人気の

スガノホマレをおさえて優勝を飾り、

初重賞制覇を果たしました。

続く阪神大賞典ではハマノパレードの6着

に敗れたものの、菊花賞馬ニホンピロ

ムーテーには先着するなど、今後の活躍が

期待されました。

 

年が明けて古馬になったシンザンミサキは

5歳緒戦、中日新聞杯に1番人気で

出走しましたが、キョウエイアタックの前に

3着に敗れました。

しかし、続くオープン特別となる中京競馬場

開設20周年記念競走では今度は

キョウエイアタックをやぶって雪辱を果たし

5勝目を挙げました。

そして次に1番人気に支持され出走した

中京記念では当時一気に頭角を現した

新進気鋭のナオキの前に4着に敗れて

しまいました。

その後、シンザンミサキは天皇賞春の

前哨戦となる鳴尾記念に参戦しました。

このレースには前走の中京記念で敗れた

ナオキの他、シングン、ユーモンドや

個性派の代表格ミリオンパラが出走し、

1番人気は同期で、やはりシンザンの仔

シングンでシンザンミサキは2番人気での

出走となりました。

レースは牝馬エリモジェニーが逃げ、

その後ろからナオキ、シングンが続き

シンザンミサキは中団から、ミリオンパラと

アイチアサホマレは後方からの競馬と

なりました。

第3コーナーでナオキが先頭に立つと

シンザンミサキはやや後退気味となる中

後続馬も差を詰めて直線の勝負へ。

直線に入って、逃げ込みを図るナオキの

内側から4コーナーでは後退気味だった

シンザンミサキが鋭く伸びて一気に

ナオキを交わして先頭に立ち、再度差し

返して来るナオキや大外から追い込んで

来たアイチアサホマレをおさえて優勝を

飾り、2つ目の重賞を獲得しました。

この勢いのままシンザンミサキは天皇賞春

に挑み、杉本アナの「無冠の貴公子に春が

訪れます」の名実況の中で優勝した

四白流星の貴公子タイテエムの外から

猛然と追い込み、15頭中8番人気ながら

3着に入るなど、大健闘しました。

続く宝塚記念でハマノパレードの6着に

敗れたシンザンミサキは、当時の古馬の

王道路線、高松宮杯に挑み、私が競馬を

見始めてから初めて目にした悲劇である

ハマノパレードの落馬、競走中止という

悲劇の中で2着に入りました。

しかし、このレースがシンザンミサキに

とって、最後の見せ場となりました。

秋に入ってシンザンミサキは、朝日

チャレンジカップに出走しましたが、ハマノ

パレードの悲劇がショックだったのかは

わかりませんが、春とは別馬のように

精彩を欠いて10着に大敗し、続いて

出走したハリウッドターフクラブ賞(後の

京都大賞典)でもタニノチカラの前に

7頭中の5着に敗れ、このレースを最後に

二度と競馬場に姿を現すことはありません

でした。

引退後、シンザンミサキは種牡馬には

なっておらず、その後シンザンミサキが

どのような運命を辿ったかの記録が

無いのが、本当に残念です。

 

今週は、阪神競馬場で伝統の第78回

鳴尾記念が行われます。

グランヴィノス、オールナット

デビットバローズ、ナムラエイハブに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。