昨日、新潟競馬場で行われました夏の
新潟競馬のフィナーレを飾る第61回
新潟記念は人気のクイーンズウォークが
馬場入りの際に転倒し、鞍上の川田騎手も
振り落とされると、内ラチ沿いに向かって
突進し、出走馬のグランドカリナンと接触
その後はコースを1周して係員に
確保されたものの右臀部打撲傷を発症した
ため競走除外になるという、波乱を予感
させる、まさかのアクシデントありました。
結果は、2番人気のシランケドが最後の
直線で外から末脚を伸ばし、ゴール前で
差し切って優勝を飾り重賞2勝目を
挙げました。
2着は1番人気のエネルジコが入り、3着
には7番人気のディープモンスターが
入りました。
夏競馬が終了し、今週からはいよいよ舞台
を中央に移して秋競馬がスタートします。
今週は中山競馬場で節目となる
第70回京成杯オータムハンデキャップが
行われます。
京成杯オータムハンデキャップは1956年
に創設された4歳(現3歳)以上の競走馬
による重賞競走で、競走名は創設当初は
オータムハンデキャップでしたが1959年
より京王杯オータムハンデキャップに
改称され、更に1998年からは京成杯
オータムハンデキャップに改称されて
現在に至っています。
昭和期においては、関東での古馬戦線の
秋初戦の重賞レースというイメージが
強かったのですが、1998年からは
名称が変わり、距離も1984年からは
1600mに変わったことで、現在では
マイル戦線に向けた秋初戦のレースという
位置づけになっています。
思い出の馬は、アローエクスプレスの仔で
烈女の異名をとった昭和57年第27回
京王杯オータムハンデキャップ優勝馬
ジュウジアローです。
ジュウジアローの父は私も大好きだった
アローエクスプレスで昭和期の父内国産
種牡馬不遇の時代の中で代表産駒には
牝馬二冠馬テイタニヤ、桜花賞馬リーゼン
グロス、オークス馬ノアノハコブネや
リードワンダー、イーストボーイ、アグネス
プレス、タケノコマヨシ、スナークアロー等
多くの重賞勝ち馬を輩出し、活躍しました。
ジュウジアローは昭和55年の牝馬
クラシック組で、同期には華麗なる一族の
牝馬二冠馬ハギノトップレディ、オークス馬
ケイキロク、安田記念を制したスイート
ネイティブやタケノハッピー、ハセシノブ
ラフオンテース等がいます。
デビューし、初戦の新馬戦は2着と
敗れたものの、4戦目の未勝利戦で
初勝利を挙げました。
年が明けて4歳になったジュウジアローは
条件特別に勝って2勝目を挙げました。
しかし、続くクイーンカップで7着に敗れた
ことで桜花賞を断念。
条件戦を2着後、当時関東での残念
桜花賞と言われたフラワーカップに
参戦し、最後の直線で鋭く伸びて
コマサツキをやぶって勝利し、3勝目を
挙げました。
その後、オークストライアルで2着となった
ジュウジアローは念願のオークスに挑み、
ケイキロクの4着に入るという大健闘を
見せました。
夏を無事に越したジュウジアローは
秋緒戦のクイーンステークスで4着と
なった後、牡馬が相手となるセントライト
記念に参戦しました。
無謀な挑戦とも言われましたが、最後の
直線で逃げ粘り、ゴール前でモンテ
プリンス等に交わされたものの、4着に
入るなど、またしても大健闘しました。
牡馬相手に好走したジュウジアローは
続いて出走した古馬牝馬相手の牝馬
東京タイムズ杯では2着に3馬身半差
をつけて圧勝し、念願の重賞初制覇を
果たしました。
この勝利で勢いづいたジュウジアローは
西下し、当時の牝馬クラシック最終戦の
エリザベス女王杯に挑戦しましたが、体調
不良もあって、ハギノトップレディの4着に
終わりました。
年が明けて古馬になったジュウジアローは
牡馬との混合戦となる重賞競走に出走
するも勝つことは出来ませんでした。
その後ジュウジアローは新潟に遠征して
新潟大賞典に参戦。
当日は不良馬場となり4番人気で出走した
ジュウジアローはシャダイスピーチが
大逃げを打つ中、中団を進み、最後の
直線で大外から鋭く追い込んで一気に
先行馬を交わし差し切って優勝を飾り、
2つ目の重賞を獲得しました。
新潟大賞典を勝った勢いでジュウジ
アローは安田記念に挑みました。
ハイペースで先行する快速馬サクラ
シンゲキを直線で交わすなど、ここでも
見せ場を作り、復活勝利を果たした
タケデンの2着に食い込みました。
続いて福島で行われた七夕賞で6着に
敗れたジュウジアローは夏を休養し、
秋に入ってオールカマーに出走。
同期の牝馬ハセシノブの2着に敗れた
ものの、前年の有馬記念を制したホウヨウ
ボーイに先着する等、牡馬に交じっても
引けを取らない実力を見せつけました。
続いてジュウジアローは毎日王冠に参戦。
このレースには、この年の有馬記念を
制するアンバーシャダイ、ダービー馬
オペックホース、後の天皇賞馬モンテ
プリンス、宝塚記念を制したカツァール、
牝馬二冠馬ハギノトップレディやメジロ
ファントム、キタノリキオー、ブルーマックス
オーバーレインボー等の名立たる重賞
勝ち馬が顔を揃え、豪華なメンバーによる
毎日王冠となりました。
1番人気はハギノトップレディ、2番人気は
オペックホースでジュウジアローは豪華
メンバー16頭中9番人気での出走と
なりました。
レースは大方の予想どおり、ハギノトップ
レディの華麗な逃げではじまり、他馬を
大きく引き離しての大逃げとなりました。
2番手以降はオーバーレインボーとモンテ
プリンスが続き、その後ろから少し離されて
キタノリキオーとメジロファントムが続き
オペックホースは中団、ジュウジアローと
アンバーシャダイは後方からの競馬と
なりました。
第4コーナーでもハイペースで軽快に
逃げるハギノトップレディが後続馬に
大きく差をつけたまま直線の攻防へ。
内をついて逃げ込みを図るハギノトップ
レディを各馬が必死し追い込み、残り
200mでハギノトップレディが失速すると
馬場の真ん中からメジロファントムが鋭く
伸びてハギノトップレディを交わして先頭に
立ちましたが、その外からジュウジアローと
アンバーシャダイが猛然と追い込み、
最後はジュウジアローがアンバーシャダイ
とメジロファントムを何と振り切ってレコード
タイムで優勝を飾り、古馬牡馬の一線級を
相手に3つ目の重賞を獲得しました。
この毎日王冠はジュウジアローにとっての
生涯におけるベストレースだったと
思います。
この毎日王冠での勝利を受け、ジュウジ
アローはその後天皇賞、ジャパンカップ
有馬記念という過酷なローテーションを
とって挑みましたが、いずれも惨敗に
終わりました。
年が明けて6歳になったジュウジアローは
現役を続行し、重賞戦線に参戦しましたが
前年の過酷なローテーションでの疲れが
出たのか、レースでは精彩を欠き苦戦が
続きました。
5月には連覇を狙って新潟大賞典に
参戦するも9着に敗れ、その後脚部不安が
発生したため、休養を余儀なくされて
しまいました。
4ヶ月の休養後、ジュウジアローは京王杯
オータムハンデで復帰しました。
このレースには前年の宝塚記念を制した
カツアールや大井から鳴り物入りで移籍し
クラシックを賑わしたステイード等が出走。
1番人気はカツアールが支持され、
ジュウジアローは既に峠を過ぎ、燃え尽きた
のではないかと囁かれ、11頭中6番人気
という低評価での出走となりました。
レース当日は台風18号による雨が降り、
不良馬場という最悪のコンディションの中で
行われました。
レースはスタートしてステイードとミヤコ
ガニエが競り合う形になりましたが
ステイードが先手を奪って逃げ、ジュウジ
アローは内々を通って中団を進み、圧倒的
1番人気のカツアールは殿から2頭目で
レースを進めるという展開になりました。
雨で視界が悪い中、第4コーナーで各馬が
仕掛け、カツアール、ジュウジアローも
差を詰めて直線の勝負へ。
直線に入って逃げるステイードをダイト
フドウが交わして先頭に立ち、カツアールも
必死に追い込む中、外から鋭い伸び脚で
ジュウジアローが追い込んで来て、一気に
ダイトフドウを差し切って勝ち、見事な復活
優勝を飾りました。
続いてジュウジアローは連覇をかけて
毎日王冠に挑み、6着に敗れたものの
続く父内国産馬限定戦の今は廃止されて
しまったカブトヤマ記念に駒を進め、トップ
ハンデの57.5kgを背負うも、格の違いを
見せつけるように1番人気に応え快勝。
5つ目の重賞を獲得しました。
しかし、この勝利がジュウジアローに
とっての最後の勝利となってしまいました。
カブトヤマ記念のレース後、ジャパン
カップを目指し、調教を積んいたジュウジ
アローでしたが、調教後左前けい側靭帯を
痛めたため再び休養を余儀なくされました。
しかし、スタッフ一同で懸命の治療を試み
ましたが、完治の見通しが立たないため
彼女の将来のことを考え、引退することに
なりました。
引退後は、繁殖牝馬となり、9頭の産駒を
輩出し、その中から代表産駒として
中日新聞杯を勝ったトウショウアローを
世に送り出しました。
記録によりますと
17歳となったジュウジアローは
1994年7月6日付けで用途変更と
なっており、その後ジュウジアローが
どのような運命を辿ったかの記録が
無いのが本当に残念です。
今週は、中山競馬場で秋競馬の重賞初戦
第70回京成杯オータムハンデキャップが
行われます。
コントラポスト、エリカエクスプレス
カラマティアノス、ダイシンヤマトに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。





