昨日、東京競馬場で行われました

サラブレッド7950頭の頂点を決める競馬

の祭典、第92回東京優駿(日本ダービー)

は好位でレースを進めた1番人気の

クロワデュノールが最後の直線で鋭く

伸びて抜け出し、外から追い込んで来た

マスカレードボール3/4馬身抑えて優勝を

飾り、皐月賞2着のリベンジを果たすと

共に第92代日本ダービー馬に輝きました。

2着には外から追い込んだ3番人気の

マスカレードボール、3着には6番人気の

ショウヘイが入りました。

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦、

伝統の第75回安田記念が行われます。

安田記念は明治・大正・昭和にわたって

競馬に携わり、競馬法の制定や東京優駿

(日本ダービー)の創設などに尽力し、

日本中央競馬会の初代理事長も務めた

安田伊左衛門氏の功績を称えるため、

1951年に安田賞の名称で創設され

ました。

1958年に安田伊左衛門氏が亡くなった

ため、現在の名称に改称されました。

昭和期において、短距離系競走のレース

体系がまだ整備されていなかったため、

春に行われる安田記念が唯一、日本一の

マイル王決定戦として行われていました。

その後、1984年のグレード制導入に伴い

安田記念はGⅠに格付けされ、現在

中央競馬の上半期におけるマイル王

決定戦として位置づけられています。

 

思い出の馬は、華麗なる一族

名牝イットーの弟ニッポーキングです。

ニッポーキングの父はマイラー系種牡馬

プロントで代表産駒にはアマミプリンス

マサキビゼン、ヤマニンダンディー等の

重賞勝ち馬がいます。

また、ニッポーキングは姉には名牝イットー

弟にはシルクテンザンオーを持ち、姪には

ハギノトップレディ、甥にはハギノ

カムイオーがいる等、まさに華麗なる

一族の1頭として活躍しました。

 

ニッポーキングは昭和51年のクラシック組

で同期にはTTG3強と呼ばれたトウショウ

ボーイ、テンポイント、グリーングラスの他

ダービー馬クライムカイザー、天皇賞馬

ホクトボーイとカシュウチカラやトウカン

タケシバ、トウフクセダン等がいます。

ニッポーキングは旧馬齢3歳夏の札幌で

デビューし、ダートの新馬戦を評判通りの

強さで2着に9馬身差をつけて圧勝。

続く条件特別では2着に敗れ、その後

しばらく休養していましたが、年が明けて

4歳となったニッポーキングは条件特別と

オープン戦を連勝し、4戦3勝の好成績で

何とかダービーに間に合い、出走する

ことができました。

ダービーでは27頭中6番人気に支持され

ましたが、この年の春のクラシック戦線は

トウショウボーイ、テンポイント、クライム

カイザーの3強を中心に回っており、結局

ニッポーキングは第4コーナーで

3番手まで上がり見せ場は作ったものの、

9着に終わりました。

その後、当時残念ダービーと言われた

日本短波賞に参戦し、6着に敗れたものの

続く初の古馬との対戦となった札幌の条件

特別を快勝して秋競馬に挑みました。

秋競馬の緒戦、古馬のオープンクラスとの

対戦となる京王杯AHに挑み、1番人気に

指示されましたが、2着に終わりました。

そして続いて4歳限定となる菊花賞の

前哨戦セントライト記念に出走しました。

このレースには、トウショウボーイや

クライムカイザーが不在の中、春の

クラシック組からはフェアスポート、

メルシーシャダイ、前走の京王杯AHで

敗れたライバフットやカシュウチカラ等が

出走、ニッポーキングは1番人気に

支持されました。

レースはセツザンが逃げ、フェアスポートと

ランスロットが先行し、ニッポーキングは

中団から進みました。

最後の直線でニッポーキングが最内を

回って鋭く伸びて先頭に立つと、そのまま

後続馬を引き離し、追い込んで来たフェア

スポートに2馬身差をつけて快勝。

重賞初制覇を果たしました。

しかし、西下して挑んだ菊花賞では距離の

疑問か、当時伏兵だったグリーングラスの

前に13着に終わりました。

その後、東京に戻ったニッポーキングは

古馬との混合戦となる今は無きクモハタ

記念に参戦、天皇賞馬エリモジョージや

快速馬ニシキエースが出走する中、

1番人気に推されると最後の直線で逃げる

ニシキエースを捉えて差し切って勝ち

2つ目の重賞を獲得しました。

年が明けて古馬になったニッポーキングは

1番人気に推された金杯は3着、続く

2番人気推されたAJCC杯では7着に

敗れましたが、続いて京王杯SHに

出走すると1番人気に推されました。

レースは向こう正面でニッポーキングが

先頭に立って逃げる展開となり、最後の

直線に入ってニッポーキングが逃げ込みを

図る中、トップハンデ62.5キロを背負った

古豪ヤマブキオーやハーバーヤングが

必死に追い込みを図りましたが、ニッポー

キングのスピードは衰えず、更に後続馬を

引き離し、逃げ切って重賞3勝目を

挙げました。

そして、続く当時はオープン特別だった

ニュージーランドTにも勝ったものの、

その後は8ヶ月の休養を余儀なくされて

しまいました。

 

年が明けて6歳になったニッポーキングは

2月のオープン競走で復帰して5着、続く

中山記念では9頭立ての9着と大敗を

喫してしまいましたが、続くオープン競走を

7馬身差でレコード勝ちして復活を遂げると

伝統の安田記念に挑みました。

このレースには中山記念で敗れた

カネミカサをはじめ、ベロナスポート、ダイワ

テスコ、ヨシノリュウジン等が出走し、

最重量58.5を背負ったニッポーキングが

1番人気に支持されました。

レースはスタートして最軽量を背負った

ソーウンムサシが先頭に立つも、すぐに

ニッポーキングが交わして先頭に立ち

10頭を従えて逃げる展開となりました。

第4コーナーでベロナスポートが仕掛け

後続馬も差を詰めて直線の勝負へ。

最後の直線、内を通ってニッポーキングが

逃げ込みを図る中、カネミカサとコウチ

ライデンが必死に追い込みましたが、

ニッポーキングが更に鋭く伸びて後続馬を

引き離し、6馬身差をつけて圧勝。

まさに横綱相撲でマイル王に輝きました。

その後、夏の函館に参戦し、UHB杯でも

7馬身差のレコード勝ちで3連勝を

飾りました。

しかし、この勝利がニッポーキングに

とっての最後の勝利となりました。

次に出走した札幌の短距離ステークスでは

稍重ダートにスピードが殺されたのか

2着に敗れ、東京に戻って出走した

オープン競走でもホクトボーイの3着

そして続くクモハタ記念でも5着に敗れ

このレースを最後にニッポーキングは

現役を引退しました。

 

引退後、良血とスピードを買われ

種牡馬となったニッポーキングは

内国産種牡馬不遇の時代にあって代表

産駒こそ残せなかったものの、勝ち馬を

出すなど、ある程度の成績を残しました。

 

記録によりますと

1987年に14年の生涯に幕を下ろしたと

だけなっており、どのような形で生涯を

終えたかの記録が無いのが残念です。

 

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦

第75回安田記念が行われます。

ソウルラッシュ、トロヴァトーレ

ウォーターリヒト、ジャンタルマンタルに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。