昨日、中山競馬場で行われました第70回

オールカマーは直線で最内をついた

1番人気のレーベンスティールが直線で

前が詰まる場面があったものの、狭い内を

こじ開けて鋭く伸び、ゴール寸前で逃げる

アウスヴァールを捉えて優勝を飾り、

重賞3勝目を挙げました。

2着は10番人気の逃げたアウスヴァール

3着には12番人気のリカンカブールが入り

2番人気のステラヴェローチェは6着に

敗れました。

今週は、中山競馬場で秋のGⅠ競走の

緒戦となる第58回スプリンターズ

ステークスが行われます。

スプリンターズステークスは1967年に

4歳(現3歳)以上の馬によるハンデ

キャップの重賞競走として創設され、

昭和期においては中央競馬で行われる

唯一の短距離の重賞レースでした。

その後、1年を締めくくるスプリント系の

大レースを開催しようとする機運が高まり

1990年レース体系の見直しに伴い、

スプリンターズステークスはGⅠ競走に

格上げされ、更に短距離系の競走体系の

整備により、秋競馬で最初に行われる

GⅠ競走として現在は定着しています。

 

思い出の馬は、日の丸特攻隊の異名を

取った快速馬サクラシンゲキです。

サクラシンゲキの父は短距離系

種牡馬のドンで、母は名牝スターロッチの

血を引くアンジェリカ、弟には天皇賞馬

サクラユタカオーがいます。

 

サクラシンゲキは昭和55年のクラシック組

で同期にはダービー馬オペックホース

有馬記念馬アンバーシャダイ、天皇賞馬

モンテプリンス、菊花賞馬ノースガスト

皐月賞馬ハワイアンイメージ等がいます。

サクラシンゲキは旧馬齢3歳夏の函館で

デビューし、新馬戦を快勝すると続く特別

レースを持ち前のスピードでレコード勝ち

して連勝し、その勢いのままに函館3歳

ステークスに出走すると、ここでも初の

1番人気に応えて、逃げ切り勝ちで無敵の

3連勝を飾り、クラシックに名乗りを挙げ

ました。

しかし、関東に戻った9月にアクシデントに

見舞われ、左後ろ肢を剥離骨折したため

休養せざるを得なくなりました。

年が明けて4歳になったサクラシンゲキは

オープン戦で復帰し、クラシック戦線に

参戦しました。

しかし、クラシック1冠目の皐月賞では

不良馬場にスピードを殺され10着と大敗。

その後オープン競走で久しぶりに4勝目を

挙げ日本ダービーに駒を進めました。

当時、27頭で行われた日本ダービーで

距離を不安視されていたサクラシンゲキは

好スタートを切ってハナを奪って軽快な

逃げを展開し、最後の直線でもゴール

手前まで逃げ粘る等、4着に敗れはした

ものの、大いに見せ場をつくり、大健闘

しました。

夏を休養したサクラシンゲキは古馬との

交流戦となる京王杯オータムハンデに

1番人気に支持されて出走。

ここでもスタートすると持ち前のスピードで

逃げを展開し、第4コーナーで後続馬に

差を縮められるも、直線に入ると逆に

差を広げて後続馬を引き離し、そのまま

逃げ切って重賞制初覇を果たしました。

続いて菊花賞を目指してセントライト記念

に出走しましたが5着に敗退したため、

菊花賞への出走は叶いませんでした。

その後、オールカマー5着、ダービー卿

チャレンジトロフィーで2着となり、続く

オープン競走で逃げ切り勝ちした後

有馬記念に参戦、プリテイキャストを

おさえて果敢な逃げを展開しましたが、

10着に終わりました。

 

年が明けて古馬になったサクラシンゲキは

ダートのオープン競走で3着後、スプリン

ターズステークスに出走。

このレースには皐月賞馬ハワイアン

イメージやシャダイダンサー、ブラビオー等

が出走し、サクラシンゲキは1番人気に

推されました。

レースはいつものように好スタートを切った

サクラシンゲキがハナを奪って軽快な

逃げを展開し、その後ろからシービー

キャロル、そしてハワイアンイメージが

サクラシンゲキをマークするような形で

進みました。

マイペースで逃げたサクラシンゲキは

先頭で直線に入ると、再び加速して

後続馬を引き離し、最後は6馬身差を

つけて圧勝。

2つ目の重賞を獲得しました。

その後、トップハンデ59キロを背負って

1番人気に推された京王杯SHに

出走しましたが直線半ばでシンボリ

フレンドに交わされて2着敗れ、続く

安田記念でもトップハンデ59キロを背負い

やはり1番人気に推されたサクラシンゲキ

でしたが、斤量59キロが影響したのか、

最後に交わされて3着に敗れてしまい

ました。

夏を休養にあてたサクラシンゲキは

秋緒戦に前年に優勝した京王杯オータム

ハンデに出走。

やはりトップハンデ59キロとなりましたが

1番人気に推されました。

このレースでもサクラシンゲキはゲートが

開くとすぐにハナを奪って逃げを展開し

斤量59キロを背負いながらも最後まで

失速することなく、後の菊花賞に優勝する

ミナガワマンナや外から追い上げたメジロ

クラウンをアタマ差退け、逃げ切り勝ちをし

2連覇を果たしました。

続くオープン競走でも難なく2着に6馬身差

をつけて圧勝すると、この年に創設された

国際招待競走第1回ジャパンカップの

日本代表に選出され出走しました。

第1回となるジャパンカップには米国から

メアジードーツ等3頭、カナダからフロスト

キング等3頭が出走し、日本からはサクラ

シンゲキ、有馬記念馬ホウヨウボーイや

無冠の帝王と言われたモンテプリンス等が

出走しました。

レースはカナダ代表でこれまで出走した

全てのレースでハナを切る快速馬

ブライドルパースとの逃げ対決の様相と

なりました。

ゲートが開くとサクラシンゲキは果敢に

ハナを奪い、ブライドルパースを抑え、

単独で先頭に立って玉砕的な逃げを

展開しました。

外国馬を含めた14頭を引き連れ、

日本代表として快速馬の意地をかけて

玉砕覚悟で逃げているサクラシンゲキの

姿を見て涙が溢れました。

最後はメアジードーツのレコード勝ちの

前に9着に終わったものの、先頭のままで

入った直線でも最後まで逃げ粘り、最後は

力尽きて散っていったサクラシンゲキの

姿は今でも忘れられません。

レース後、玉砕的な逃げで場内を沸かした

サクラシンゲキのレースぶりは競馬ファンの

心を捉え、日の丸特攻隊と評されました。

そしてサクラシンゲキはこの年の優駿賞

スプリンター賞に選出されました。

 

年が明けて6歳になったサクラシンゲキは

現役を続行し、連覇を狙って思い出の

スプリンターズステークスに出走。

当時あった単枠指定の1番人気に推され

トップハンデ59キロを背負いながらも

いつものように持ち前のスピードで逃げ

ましたが、終始マークされていた桜花賞馬

ブロケードに最後に交わされて2着に敗れ

続くマイラーズカップでもトップの斤量

58キロを背負い単枠指定の1番人気に

推されましたが、勝利目前のゴール前で

惜しくもカズシゲにクビ差交わされ再び

2着に敗れてしまいました。

 

そして続く宝塚記念でも果敢に逃げを

展開し、先頭で直線に入りましたが8着に

終わり、このレースがサクラシンゲキに

とっての最後のレースとなりました。

サクラシンゲキの種牡馬シンジケートが

組まれたため、10月に引退を発表。

10月31日天皇賞秋当日の東京競馬場で

引退式が行われました。

 

引退後、1983年から北海道静内町で

種牡馬となったサクラシンゲキは当時

内国産種牡馬不遇の時代であったため

いい繁殖牝馬には恵まれませんでしたが

そんな厳しい環境の中でも重賞優勝馬や

多くの勝ち馬を出す等、種牡馬としても

十分活躍しました。

 

記録によりますと

1994年8月17日、食欲が無くなったこと

から検査を受けたところ、腸の動きが

悪いことはわかったものの、食欲が落ちた

原因は不明でした。

しかし翌日からサクラシンゲキの容態は

急変し、発汗激しく苦しみだし、目の輝きは

次第に薄れ、うつろな状態になりました。

通常なら安楽死をとる重篤な状態でしたが

シンジケート種牡馬であったため、保険

会社の同意が必要であったため、すぐに

安楽死の処置をとることは出来ずに

サクラシンゲキは苦しみ続けました。

8月20日夜、危篤状態に陥ってから丸1日

経過した時、それまで横になって寝ていた

サクラシンゲキが苦しさに耐え切れなく

なったかのように全身を振るわせて立ち

上がり、そしてそのまま崩れ落ちて息を

引き取り、天国に旅立ってしまいました。

享年18歳。

その後の解剖により、サクラシンゲキの

死因は盲腸の破裂だったそうです。

あれだけ頑張ったサクラシンゲキの最期は

あまりにも悲惨な最期となってしまいました。

9月2日にサクラシンゲキは火葬されて

納骨され、今は北海道新ひだか町の

桜舞馬公園(オーマイホースパーク)で

静かに眠っています。

今週は中山競馬場でスプリント王決定戦

第58回スプリンターズステークスが

行われます。

サトノレーヴ、ナムラクレア、マッドクール

トウシンマカオに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。