阪神競馬場の改修工事により18年ぶりに

京都で開催された春のグランプリレース

第65回宝塚記念は重馬場の中、13頭に

よって行われ、3番人気のブローザホーン

が直線で大外から鋭く追い込んで優勝を

飾り、菅原騎手と共に悲願のG1初制覇を

果たしました。

2着には7番人気のソールオリエンス、

3着には5番人気のベラジオオペラが入り

圧倒的1番人気に推されたドウデュースは

終始後方からのレース展開となり、直線で

内をつかざるを得なくなり、必死に追い

込みを図りましたが、6着に敗れました。

今週からは、舞台を東京から福島に移し

夏の福島開幕週の風物詩となっている

3歳重賞、第73回ラジオNIKKEI賞が

行われます。

ラジオNIKKEI賞は、1952年に皐月賞の

前哨戦として4歳(現3歳)馬による重賞

競走中山4歳ステークスの名称で創設され

1954年からは春のクラシックシーズン

終了後に施行されるようになりました。

レース名の変遷は日本短波賞中山4歳

ステークスを経て、1961年からは日本

短波賞、1979年からはラジオたんぱ賞

となり、2006年からは現在の名称と

なっています。

出走資格が1955年から1967年までは

規定に「除東京優駿競走の勝馬」と

記されていたため、日本ダービーの

優勝馬は出走できませんでした。

そのため敗者復活戦的な要素を持ち、

規定が廃止されてからも昔の名残で

今でも残念ダービーという俗称が残って

います。

私も未だに日本短波賞という印象で

やはりダービーで敗れた馬やダービーに

出走できなかった馬達による残念ダービー

というイメージが強いレースです。

今年はJRA70周年記念競走の副称を

つけて施行されます。

 

思い出の馬は、青森県出身の綺麗な

栃栗毛の馬で、レースでは根性を前面に

出して活躍したスルガスンプジョウです。

スルガスンプジョウの父は昭和を代表する

中距離系種牡馬バーバーで代表産駒には

有馬記念馬カネミノブやカネミカサ、

カネオオエ、カネイコマ、ヨネミノル、

ハザマファースト等がいます。

スルガスンプジョウは昭和49年の

クラシック組で、同期には二冠馬キタノ

カチドキ、ダービー馬コーネルランサーを

はじめ、幻のクラシック馬カーネルシンボリ

ニシキエース、キクノオー、エリモマーチス、

ナスノカゲ等がいます。

旧馬齢3歳の新潟でデビューしたスルガ

スンプジョウは新馬、条件特別を連勝して

エリートコースに乗り、続く特別戦は後の

ダービー馬コーネルランサーの2着に

敗れたものの、実力があるところを見せ

ました。

その後脚部不安のため、4ヶ月の休養を

余儀なくされ、皐月賞への出走は

叶いませんでしたが、復帰戦の条件

特別戦を格の違いを見せて勝って

ダービーへの出走権を獲得し、念願の

日本ダービーに挑みました。

皐月賞を勝った西の怪物キタノカチドキが

単枠指定の1番人気に推され、中距離系

種牡馬バーバーの産駒であったスルガ

スンプジョウは、前年のダービーで人気を

背負いながら惨敗した同じバーバーの仔の

カネイコマと同様に距離を不安視された

のか、5番人気での出走となりました。

レースは直線の勝負所で大本命のキタノ

カチドキがレース前から懸念されていた

ように、大きくヨレて3着に敗れるという

大波乱の中、スルガスンプジョウは

第3コーナーや直線で大きな不利を受け

ながらも6着と善戦しました。

 

続いてスルガスンプジョウは当時の

残念ダービーと言われた日本短波賞に

出走しました。

このレースにはダービー組からは

NHK杯を勝ったナスノカゲが出走しました。

レースは高松厩舎のヒカルジンデンが

軽快に逃げる中、スルガスンプジョウは

3番手から進み、ナスノカゲは後方から

という展開となりました。

第3コーナーでスルガスンプジョウが

仕掛けるとナスノカゲも一気に差を詰めて

直線の攻防へ。

直線に入っても逃げ足が鈍らないヒカル

ジンデンが逃げ粘り、スルガスンプジョウ

との激しい競り合いになりましたが、根性を

前面に出して走るスルガスンプジョウが

ゴール前でヒカルジンデンを交わして勝ち、

重賞初制覇を果たしました。

夏を休養したスルガスンプジョウは秋緒戦

セントライト記念に参戦。

このレースには菊花賞を目指すフェアー

リュウやナスノカゲが出走しました。

レースはサクラセンプウが逃げる中、

スルガスンプジョウは内から中団を進み

フェアーリュウとナスノカゲは後方からの

展開となりました。

第4コーナーで一気にフェアーリュウが

外から仕掛けて差を詰め、直線の勝負へ。

サクラセンプウが粘って各馬横一線の

好勝負となる中、内々を通って鋭く

伸びてきたスルガスンプジョウが

先頭に立ち、外から猛然と追い込んで

来たフェアーリュウとの激しい競り合いに

なりましたが、持ち前の根性でフェアー

リュウを振り切って優勝。

1番人気に応えると共に2つ目の重賞を

獲得しました。

しかし、その後距離への不安からか

菊花賞には向かわずにダービー卿

チャレンジトロフィーに参戦、ここでも

1番人気に推されましたが、同期で

人気薄のザオーリュウジンの前に

3着に敗れてしまいました。

その後スルガスンプジョウは当時存在した

重賞競走クモハタ記念に参戦しました。

このレースには古馬精鋭のスガノホマレ、

カミノチドリ、イナボレス、キョウエイ

グリーンや古豪メジロゲッコウの他、

同期のナスノカゲ、ブルームーン、前走の

ダービー卿CTで敗れたザオーリュウジンが

出走しました。

そして、ここでもスルガスンプジョウは

1番人気に推されました。

レースはブルームーンが逃げ、2番手に

スガノホマレが続き、その後ろからカミノ

チドリ、スルガスンプジョウは内々を通って

4番手からという展開となりました。

ブルームーンが逃げる中、第4コーナーで

スルガスンプジョウが一気に仕掛けて

直線の勝負へ。

ブルームーンが逃げ粘る中、内から

キョウエイグリーン、真ん中からカミノチドリ

外からスルガスンプジョウが追い込み

スルガスンプジョウ、カミノチドリ、ブルー

ムーンの3頭による大接戦となりましたが

スルガスンプジョウが根性をむき出して

競り合いに勝って抜け出し、有力古馬を

おさえ、1番人気に応えて優勝。

3つ目の重賞を獲得しました。

しかし、この勝利がスルガスンプジョウに

とっての最後の勝利となってしまいました。

当時まだ中距離重賞路線が整備されて

いなかったため、年が明けて古馬になった

スルガスンプジョウは距離の長い重賞

戦線を歩まざるを得なくなりました。

また4歳時での重賞競走での激戦の

疲れや脚部不安にも悩まされるように

なっていました。

それでも古馬となって3戦目の日本経済賞

で1番人気に推され、善戦はしたものの

ホワイトフォンテン、フジノパーシアの前に

3着に敗れてしまいました。

その後、長年不安を抱えていた脚部の

悪化によりスルガスンプジョウは二度と

競馬場に姿を現すことはありませんでした。

生涯成績は12戦6勝 12戦中10戦が

1番人気だったことからも、当時の

競馬ファンのスルガスンプジョウへの

期待と人気の高さがわかります。

私も大好きな馬でした。

 

引退し種牡馬になったスルガスンプジョウ

でしたが、当時は内国産種牡馬の不遇の

時代であったため、種付けも数も少なく、

代表産駒には恵まれませんでした。

そして根性で走り抜いたスルガスンプ

ジョウでしたが、記録によりますと

1982年にわずか11年の生涯を終え、

静かに天国に旅立って行きました。

 

今週は、福島競馬場で第73回ラジオ

NIKKEI賞が行われます。

ウインマクシマム、ショーマンフリート

ミナデオロ、オフトレイルに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。