先週、阪神競馬場で行われました牝馬

クラシック開幕戦第84回桜花賞は2番

人気のステレンボッシュが直線で鮮やかに

抜け出し、前走の阪神JF2着から逆転で

桜の女王に輝きました。

2着には1番人気の推された2歳女王の

アスコリピチェーノが入り、3着には7番

人気のライトバックが入りました。

今週は、中山競馬場でクラシック第1冠目

第84回皐月賞が行われます。

皐月賞は1939年に当時の日本競馬会が

イギリスの2000ギニーに範をとり、4歳

 (現3歳)の牡馬・牝馬限定の横浜農林省

賞典四歳呼馬として創設され、第1回は

横浜競馬場で行われました。

そして東京優駿競走、阪神優駿牝馬

(現:優駿牝馬)、京都農林省賞典四歳呼馬

 (現:菊花賞)、中山四歳牝馬特別

 (現:桜花賞)と共に五大特殊競走として

位置づけられ、東京優駿競走、京都

農林省賞典四歳呼馬と共に日本の

クラシック三冠競走として確立しました。

終戦後の1947年からは名称を

農林省賞典に変更され、1949年からは

名称を皐月賞に変更され、現在に至って

います。

日本ダービーは最も運のある馬が勝つ

菊花賞は最も強い馬が勝つと称される

のに対し、皐月賞は最も速い馬が勝つと

言われています。

 

思い出の馬は不運に泣いた下総の国の

皐月賞馬アズマハンターです。

アズマハンターは千葉県にある東牧場の

生産馬で、父は1970年のケンタッキー

ダービー馬のダストコマンダーです。

ダストコマンダーは1973年に鳴り物入りで

日本に輸入されましたが、産駒が小柄な

馬が多く、成績も不振でした。

しかし、アメリカに残してきたダスト

コマンダー産駒が、大活躍をしていたため

アメリカから買い戻しのオファーが届き、

1979年7月にダストコマンダーは

買い戻されて母国に帰ることになりました。

 

アズマハンターは昭和57年のクラシック組

で同期にはダービー馬バンブーアトラス、

黄金の馬ハギノカムイオー、菊花賞馬

ホリスキー、テンポイントの甥っ子ワカ

テンザン、幻の三冠馬サルノキングや

タカラテンリュウ、ロングヒエン、ゲイル

スポート等、個性的な馬が数多くいました。

アズマハンターは旧馬齢3歳秋の東京で

デビューし、新馬戦で1番人気応え2着に

4身差をつけて圧勝しました。

しかし、その後脚部不安もあって条件

特別戦では3戦連続で2着に敗れました。

それでも4歳になった2戦目の条件特別戦

を逃げ切って勝ち、2勝目を挙げました。

続く昇給初戦は6着にやぶれたものの、

2戦目の特別戦では後方待機策が功を奏し

直線に入って鋭く伸びて差し切って勝ち、

3勝目を挙げる共にクラシックに名乗りを

挙げ、皐月賞トライアル、スプリング

ステークスに駒を進めました。

この年のクラシック路線は関東馬のホクト

フラッグが戦線離脱したこともあって、

有力馬は関西勢が占めていて西高東低と

なっていました。

アズマハンターが初めて挑戦する

このレースには弥生賞を勝ったクラシックの

最有力候補のサルノキング、デビュー

2連勝中の黄金の馬ハギノカムイオー、

きさらぎ賞を勝って東上してきたワカテン

ザン等が参戦し、この3頭は当時あった

単枠指定扱いとなり、特にサルノキングと

ハギノカムイオーの2頭に人気が集中して

いました。

レースはスタートしてハギノカムイオーが

逃げ、アズマハンターとワカテンザンは

中団から進み、サルノキングは最後方から

の競馬となりました。

向こう正面から第3コーナーにかけて

サルノキングが引っ掛かったのか、一気に

暴走気味に次元の違うスピードで外から

上がって行って、先頭集団と差を詰め、

人気馬が一団となって直線の勝負へ。

軽快に逃げるハギノカムイオーを外から

サルノキングが追い込み、真ん中からは

ワカテンザン、そしてサルノキングの更に

外からアズマハンターが追い上げましたが、

ハギノカムイオーのスピードは衰えず、

2馬身半差をつけて鮮やかに逃げ切って

優勝。

負けはしましたが、アズマハンターはワカ

テンザンとサルノキングと最後まで接戦を

演じてサルノキングに先着し、3着に入り

ました。

しかし、この後サルノキングは謎の暴走が

影響したのか、右前脚を骨折して戦線

離脱し、二度と競馬場に戻ることなく

引退となってしまいました。

このサルノキングの不可解な暴走による

敗戦は、世間の物議を醸し出し、田原騎手

の八百長が疑われるまでの騒動に発展

しました。(俗にいうサルノキング事件)

 

そして迎えた第42回皐月賞は20頭立てで

行われることになり、スプリングステークス

を勝ったハギノカムイオーが1番人気に

推され、サルノキング無きあと2戦2勝を

引っ提げて関西からやってきたロング

ヒエンが2番人気となり、関東の総大将と

なったアズマハンターは3番人気での

出走となりました。

レースはスタートしてハギノカムイオーが

好ダッシュを見せましたが、レース前に

逃げ宣言をしていた闘将加賀武見騎手

騎乗のゲイルスポートが果敢にハナを

奪って超ハイペースで逃げたため、ハギノ

カムイオーは4番手から行かざるを

得なくなりました。

ロングヒエンは3番手を進み、ワカテンザン

は中団から、アズマハンターは後方からの

競馬となりました。

第3コーナーでは逃げたゲイルスポートは

早々に力尽きて沈み、代わってハギノ

カムイオーが先頭に立ちましたが、すぐに

失速して後退していく中、アズマハンターは

徐々に上がって先頭集団につきました。

第4コーナーを回って直線に入るとエリモ

ローラが一瞬先頭に立つも、内をついた

アサカシルバーが直線で先頭に立ち

真ん中からはワカテンザンが追い込んで

来る中、2頭の間からアズマハンターが

鋭く伸びて一気に2頭を交わして先頭に

立ち、そのまま押し切って優勝。

1952年のクリノハナ以来30年ぶりとなる

千葉県産馬による皐月賞優勝を果たし

ました。

その後、アズマハンターは日本ダービーを

目指して、当時ダービートライアル競走

だったNHK杯に出走しました。

このNHK杯には皐月賞の2着馬の

ワカテンザンをはじめ、3着アサカシルバー

4着タケデンフドー、5着エリモローラの他

皐月賞で惨敗したハギノカムイオー、ロング

ヒエン、ゲイルスポートやアスワンも参戦。

まさに皐月賞の再戦と共に新たにトウショウ

ペガサスや関西馬バンブーアトラスも

参戦する等、豪華メンバーによる一戦と

なりました。

レースは皐月賞と同様にハギノカムイオー

の天敵ゲイルスポートがハナを奪って

ハイペースで逃げ、ハギノカムイオーは

2番手を進み、1番人気に推されたアズマ

ハンターはいつものように後方からの競馬

となりました。

第4コーナーでゲイルスポートが失速し、

直線に入ってハギノカムイオーが先頭に

立ちましたが直線半ばでハギノカムイオー

も失速、代わってロングヒエンやアサカ

シルバー、アスワン等が横一線となる中、

アスワンが鋭く伸びて先頭に立ち、外から

アズマハンターが必死に追い込むものの

勝ったアスワンにクビ差届かず、アズマ

ハンターは2着に敗れました。

しかし、優勝したアスワンは、この競走中に

左前脚を痛め、レース後の検査の結果

左前脚の第三指節種子骨骨折が判明し、

日本ダービーを断念、その後アスワンは

結局復帰することは叶わず、このNHK杯

が最後のレースとなってしまいました。

更にNHK杯でも惨敗したハギノカムイオー

とゲイルスポートは日本ダービーへの

出走を断念することになりました。

 

そして、迎えた第49回日本ダービー、春の

様相とはうって変わってホクトフラッグや

ハギノカムイオー、サルノキングにアスワン

までが去って行われる日本ダービーは

当然のごとく皐月賞馬アズマハンターが

単枠指定で1番人気に推されました。

フルゲート28頭がゲートインしてスタート

する直前、2枠5番のロングヒエンが

ゲートに突進して前扉を開いてフライング。

これにより3番人気のロングヒエンが

大外28番枠から更に外枠からの発走

となり、他27頭もゲート内で長時間

待たされるという、まさに大波乱を

予感させる展開となりました。

ゲートが開くとアズマハンターが何と

出遅れてしまい、第1コーナーでは

後ろから2頭目というダービーでは

致命的なポジションでの競馬となりました。

大外枠発走を課されたロングヒエンが

一気に内に切れ込んでハイペースで

逃げる展開となり、バンブーアトラスは

先行集団、ワカテンザンは中団から

レースを進めました。

アズマハンターも徐々に挽回して先行

集団と差を詰めて直線の勝負へ。

ロングヒエンが先頭で直線に入りましたが

力尽き、代わってバンブーアトラスが

交わして先頭に立つと、内から伸びて来た

ワカテンザンが猛追して2頭による競り

合いとなり、アズマハンターも外から必死で

追い込むものの、スタートの出遅れによる

ポジション取りの失敗が致命的となって

届かず、バンブーアトラスが競り合いを

制して優勝、アズマハンターは3着に

敗れました。

夏を休養したアズマハンターは菊花賞に

向けセントライト記念から始動し、

単枠指定の1番人気に推されました。

このレースには8戦8勝の無敗で大井競馬

から中央に移籍してきたホスピタリテイが

参戦し、スタートしてから2番手を進む中

アズマハンターはホスピタリテイを見ながら

中団からレースを進め、第3コーナーで

ホスピタリテイが先頭に立つとアズマ

ハンターも仕掛けて直線の勝負へ。

アズマハンターが馬場の真ん中から伸びて

1度は先頭に立ったかと思いましたが、

外を回ったホスピタリテイが再び鋭く伸びて

突き抜け、アズマハンターに3馬身差を

つけて優勝。

中央競馬のクラシックホースであるアズマ

ハンターは2着に敗れてしまいました。

その後、菊花賞を目指して西下したアズマ

ハンターは当時の菊花賞トライアル京都

新聞杯に参戦。

このレースには神戸新聞杯で復活優勝を

遂げたハギノカムイオーやロングヒエン

ワカテンザン、トウショウペガサス等、春の

クラシック参戦組が出走しました。

レースはスタートからロングヒエンが逃げ、

ハギノカムイオーが2番手を追走する一方

アズマハンターは中団からという展開に

なり、アズマハンターも第4コーナーで

仕掛けて上がっていきましたが、直線に

入ってハギノカムイオーが先頭に立つと

内からワカテンザン、外からアズマハンター

が追い上げ態勢に入りましたが、アズマ

ハンターはいつもの伸びが見られずに

ハギノカムイオーの前に8着に敗れて

しまいました。

そしてアズマハンターはクラシック最終戦

菊花賞に参戦しましたが、第4コーナーで

上がっていくも、直線で全く伸びずに

レコードタイムで優勝したホリスキーの前に

13着と大敗してしまいました。

東京に戻ったアズマハンターは暮れの

有馬記念に向け調整を行っていましたが

調教中に左前脚の第3指骨骨折を発症。

負傷後、脚を地面につけられない状態が

続き、蹄葉炎発症の危険もあって、命も

危ぶまれた時もありましたが、何とか

生命の危険を脱しはしたものの、競走馬

としては引退を余儀なくされました。

 

競走馬引退後、生まれ故郷の東牧場に

凱旋したアズマハンターは牧場で1年以上

休養し、翌1984年春から北海道で

種牡馬となりました。

当時は内国産種牡馬不遇の時代では

ありましたが、中央での重賞勝ち馬や

地方での活躍馬を輩出する等、厳しい

環境の中でよく頑張ってくれたと思います。

 

記録によりますと

1991年からは北海道から青森県の

八戸畜産農業協同組合に移動して供用

されましたが、1992年1月1日付で

用途変更となり、その後、日本中央競馬会

の馬事公苑に移動して去勢、馬場馬術の

競技馬に転用されました。

しかし、その後アズマハンターがいつ、

どのようにして亡くなったかの記録が

無いのが本当に残念です。

 

今週は、中山競馬場でクラシック第1冠目

第84回皐月賞が行われます。

シンエンペラー、ジャスティンミラノ

エコロヴァルツ、メイショウタバルに

注目しています。

今週も全馬達の無事を祈りながらレースを

観ます。