先週、4年ぶりに京都競馬場で行われ
ました第48回エリザベス女王杯は道中
好位を進んだ1番人気のブレイディ
ヴェーグが直線で力強く抜け出してG1
初挑戦で初制覇を飾りました。
2着には5番人気のルージュエヴァイユ、
3着には3番人気のハーパーが入り、
2番人気に推されたジェラルディーナは
出遅れが響き、直線で追い込むものの
5着に敗れました。
今週は、4年ぶりに京都競馬場で
第40回マイルチャンピオンシップが
行われます。
日本競馬は長年にわたり強い馬づくりを
目指すため、長距離の競走を重要視して
行って来ました。
しかし、世界競馬において、スピード
能力も重要視されるようになって来たこと
を受け、日本中央競馬会は1984年に
競走体系の全面的な見直しを行い、
短距離競走の充実を図る目的でマイル
チャンピオンシップ競走を創設しました。
現在、春に行われる安田記念と共に
秋に行われるマイル王決定戦として
行われています。
思い出のレースは、タカラスチールが
大本命をやぶって勝った第3回マイル
チャンピオンシップです。
タカラスチールの父はスプリンター系
種牡馬スティールハートで半兄と半弟には
ラジオたんぱ賞を勝ったウメノシンオーと
タカラフラッシュがいます。
タカラスチールは昭和60年の牝馬
クラシック組で同期には桜花賞馬エルプス
オークス馬ノアノハコブネ、エリザベス
女王杯を勝ったリワードウイングや最強の
1勝牝馬と言われたナカミアンゼリカ、
トチノニシキ等がいます。
タカラスチールは旧馬齢3歳夏の札幌で
デビューし、新馬戦をハナ差ながら
勝利して幸先いいスタートを切りました。
しかし、続く札幌3歳ステークスは14着と
惨敗し、その後3戦するも勝てません
でしたが、暮れの条件戦で何とか2勝目を
挙げました。
年が明けて4歳になったタカラスチールは
牝馬ステークスを1番人気で勝利し、続く
重賞競走クイーンカップでも1番人気に
応えて勝利し重賞初制覇を果たしました。
素質が開花したタカラスチールは桜花賞を
目指して西下、桜花賞トライアル4歳牝馬
特別に1番人気に推されて出走しましたが
快速娘エルプスの3着に敗れました。
そして迎えた本番の桜花賞ではエルプスを
抑えて1番人気となりましたが、スタート時
のアクシデントが影響したのか、エルプス
の15着に大敗してしまいました。
この桜花賞の惨敗により、タカラスチール
陣営はオークスを回避し、今後は短距離
路線で活路を見出すことになりました。
その選択が功を奏してオープン特別を
勝つと、続くオープン特別のカーネーション
カップも中島啓之騎手騎乗で勝って2連勝
を飾りました。
この時に騎乗した中島騎手はこの時
既に末期の肝臓癌に冒されていて、
翌月に亡くなったこともあり、この勝利が
中島騎手にとっての生涯最後の勝利と
なりました。
その後タカラスチールは夏の新潟に
遠征して関屋記念に参戦。
ダイナマインやビンゴカンタ等の有力
牡馬や古馬達との対戦となりましたが
見事1番人気に応えて優勝し、重賞
2勝目を挙げました。
その後3戦するも勝てず、年が明けて
古馬になってからも牡馬相手に善戦は
するものの、勝ちきれないレースが続き
ました。
秋に入って秋のマイル王を目指して
京王杯オータムHに出走、3着とした後
西下して京都のスワンステークスに出走
するも4歳の新鋭ニッポーテイオーの前に
4着に敗れてしまいました。
そして迎えたマイルチャンピオンシップ。
このレースにはニッポーテイオーの他
重賞勝ち馬ロングハヤブサやダイナ
シュガー、リキサンパワー、古豪トウショウ
ペガサス、アローボエミアン等が出走。
大本命ニッポーテイオーが圧倒的な1番
人気となる中、タカラスチールは6番人気
となりました。
レースは大本命ニッポーテイオーが立ち
遅れるという波乱のスタートとなりました。
レースはホリノカチドキが逃げ、先行集団
にロングハヤブサとトウショウペダサス
その後からニッポーテイオーとダイナ
シュガーが続き、タカラスチールは後方
からの競馬となりました。
全馬差が無く、一団となって直線へ。
外からロングハヤブサが抜け出そうと
する中、内を突いたタカラスチールが鋭く
伸びて抜け出し、更に内をついて猛然と
追い込んで来たニッポーテイオーとロング
ハヤブサをハナ差おさえて優勝。
1984年にグレード制が導入されて以降、
初の牡馬牝馬混合GⅠでの牝馬による
GⅠ制覇となりました。
そしてこのレースでの優勝が評価され、
タカラスチールはこの年1986年優駿賞
最優秀5歳以上牝馬に選出されました。
年が明けて6歳になったタカラスチールは
現役を続行し、4戦したものの未勝利に
終わり、京王杯スプリングカップ12着を
最後に現役を引退し生まれ故郷の牧場に
帰って繁殖入りしました。
記録によりますと
初年度と2年目は産駒を残したものの、
その後は流産や早産が続き、1993年4月
ダンシングブレーヴと交配され、受胎が
確認されましたが、8月に入ると体調を崩し
急激に弱って行きました。
病状の原因がつかないまま、8月15日に
体調が急変し、そのまま息を引き取り
まだ11歳という若さで天国へと旅立って
行きました。
その後の解剖の結果、卵巣を中心に
悪性腫瘍が広がっている事が確認され
死因もそれであることが確認されました。
今週は、4年ぶりに京都競馬場で秋の
マイル王決定戦マイルチャンピオンシップ
が行われます。
連勝中のエルトンバローズ、連覇を目指す
セリフォス、ソウルラッシュ、ナミュールに
注目しています。

