先週、京都競馬場で行われました牝馬
クラシック最終戦第28回秋華賞は
中団でレースを進めた圧倒的1番人気の
リバティアイランドは徐々に外に持ち出して
進出し、第4コーナーで一気に先頭に
立って直線へ。
直線に入るとリバティアイランドは更に鋭く
脚を伸ばして他馬を突き放し、これぞ
まさに横綱相撲という異次元の圧倒的な
強さで秋華賞に優勝。
史上7頭目となる牝馬クラシック3冠を
達成しました。
2着には直線で大外から豪脚を繰り出して
リバティアイランドを追い詰めた3番人気の
マスクトディーヴァが入り、3着には
2番人気のハーパーが入りました。
今週は、3年ぶりに京都競馬場で混戦
クラシック3冠競走の最終戦第84回
菊花賞が行われます。
菊花賞はイギリスのセントレジャーを範に
とり、1938年に京都農林省賞典四歳呼馬
の名称で4歳 (現3歳)馬による重賞競走
として創設されました。
そして1948年より現名称の菊花賞となり
クラシック3冠競走の最終戦として
行われています。
昭和期から皐月賞は最も速い馬が勝つ
日本ダービーは最も運のある馬が勝つと
呼ばれるのに対し、菊花賞はスピードと
スタミナを兼ね備えた最も強い馬が勝つと
言われてきました。
また菊花賞の走行距離は3,000mの
長距離レースなのですが、菊花賞は
必ずと言っていいほど、スローペースに
なることが多く、そのため、昭和時代から
京都の3,000mはマイラーでも持つと
言われてきました。
思い出の馬は、菊に執念を燃やす
伊達一族の悲願を達成した昭和45年
第31回優勝馬ダテテンリュウです。
ダテテンリュウの父は皐月賞に優勝し
、昭和34年の年度代表馬にも選出された
伊達一族ゆかりの種牡馬ウイルデイール
で、種牡馬としても宝塚記念馬ダテ
ホーライや阪神大賞典を勝ったダテハク
タカ等を輩出しています。
ダテテンリュウは昭和45年のクラシック組
で同期には幻の3冠馬と言われた2冠馬
タニノムーティエや私も大ファンだった
美しき若大将アローエクスプレス、
天皇賞馬メジロムサシやトレンタム、
クリシバ、タマホープ等がいます。
旧馬齢3歳の暮れに阪神でデビューした
ダテテンリュウは新馬、特別戦を連勝し
クラシックに名乗りを挙げました。
しかし、年が明けて4歳になってクラシック
の登竜門となるシンザン記念やきさらぎ賞
に敗れたため、皐月賞への出走は叶い
ませんでした。
その後条件特別とオープン競走を勝って
2連勝を飾り、ダービーを目指して
東上しました。
この年のクラシック戦線は、東はアロー
エクスプレス、西はタニノムーティエが
快進撃を続け、アロー対ムーティエの
AT対決と称して両雄の対決にファンは
一喜一憂していました。
スプリングステークスと皐月賞では
タニノムーティエが勝利し、NHK杯では
アローエクスプレスが勝つなど、本番に
向けて両雄は一歩も譲らず、好勝負を
展開していました。
この東西両雄対決の中でダテテンリュウは
ダービートライアルNHK杯に出走し、
2着のタニノムーティエにハナ差迫る
3着と善戦し、日本ダービーに駒を進め
ました。
本番の日本ダービーではダテテンリュウは
4番人気に支持されました。
レースはトレンタムが逃げ、ダテテンリュウ
は、その後ろの先行集団を進み、アロー
エクスプレスは中団、タニノムーティエは
後方からという展開でレースは進みました。
第3コーナーでアローエクスプレスが
一気に仕掛けると、タニノムーティエも
いつも間にか、先行集団に追いついて
直線へ。
直線でダテテンリュウがトレンタムを
捉えて先頭に立ちましたが、真ん中から
鋭く脚を伸ばしてきたタニノムーティエが
今度はダテテンリュウを交わして先頭に。
それでもダテテンリュウも一歩も引かずに
2頭による激しい競り合いとなりましたが、
タニノムーティエが半馬身、ダテテン
リュウをおさえて優勝を飾り、2冠達成を
果たしました。
その後、ダテテンリュウは当時ダービー後
に行われていた毎日杯を快勝し、重賞
初制覇を果たしました。
夏を越して秋競馬が始まると、春の
クラシック戦線とは状況が一変して
いました。
2冠を制し、3冠達成は間違いなしと
言われていたタニノムーティエが休養中に
競走馬としては致命的となる、のど鳴り
(喘鳴症)を発症して体調を崩し、アロー
エクスプレスは感冒でセントライト記念の
出走を取り消すなど、秋は波乱の幕開け
となりました。
その状況のとおり当時の菊花賞トライアル
京都杯ではアローエクスプレスは2着、
ダテテンリュウは4着に終わり、のど鳴りを
発症してしまったタニノムーティエは全く
精彩を欠いて6着に敗退するなど、菊
に向けたトライアル戦は波乱を予感させる
結果となりました。
その一方で、夏の北海道で本格化した
メジロムサシやタマホープ等の新しい
勢力が台頭してくるなど、春とは違った
混戦模様での菊花賞となりました。
それでも本番の菊花賞ではアローエクス
プレスが1番人気に推され、ダテテンリュウ
も2番人気に支持されました。
レースはスタートするとシバデンコウが逃げ
アローエクスプレスは中団、その後ろから
ダテテンリュウとメジロムサシが続き、
タニノムーティエは後方からという展開に
なりました。
京都名物の第3コーナーの山の上で
アローエクスプレスが先頭に躍り出ると、
それをマークするようにダテテンリュウ、
メジロムサシ、タマホープが一斉に
仕掛けてアローエクスプレスと差を詰め、
後方にいたタニノムーティエも強かった
春のタニノムーティエ彷彿させるかの
ように第3コーナーで一気に4番手まで
上って行き、場内実況もそれを実況
すると、場内の大観衆からは、
やはりタニノムーティエは来るのか、
3冠達成の奇跡が起こるかもしれないと
大歓声が上がりました。
タニノムーティエは2冠馬としての最後の
意地を多くのファンに見せてくれたのかも
知れません。
私は当時体調が悪いタニノムーティエが
必死で上がっていく場面を見て、感動で
涙が溢れました。
あの時の大歓声は一生忘れることは
出来ません。
直線に入るとアローエクスプレスは伸びず
メジロムサシが先頭に立ちましたが、
それを交わして、カミタカ、ネバーフォード、
ダテテンリュウ、タマホープの4頭が接戦を
演じ、その中からダテテンリュウが鋭く
抜け出して優勝。
伊達一族にとって、悲願のクラシック
タイトル、菊花賞を獲得しました。
この勢いのまま、ダテテンリュウは日本一
決定戦となる暮れのグランプリ競走、
有馬記念に参戦。
このレースには引退と連覇をかける老雄
スピードシンボリをはじめ、天皇賞馬
メジロアサマ、前年の菊花賞馬アカネ
テンリュウ、菊花賞の巻き返しを図る
アローエクスプレスなど、日本一決定戦に
相応しい豪華なメンバーが顔を揃えました。
1番人気はアカネテンリュウ、スピード
シンボリは3番人気となり、ダテテン
リュウは4番人気に支持されました。
レースは名門尾形厩舎のハクエイホウが
逃げ、アローエクスプレスとメジロアサマは
中団から進み、アカネテンリュウ、ダテテン
リュウ、スピードシンボリは後方からの
レース展開となりました。
第3コーナーでスピードシンボリ、アカネ
テンリュウ、ダテテンリュウが一気に
仕掛けて先頭集団に追いつき、
第4コーナーでアローエクスプレスが
先頭に立って直線の勝負へ。
コーナーワークを利用して一気にスピード
シンボリが抜け出して先頭に立つと
外からアカネテンリュウとダテテンリュウの
2頭が猛追してスピードシンボリに襲い
掛かり、3頭による名勝負となりましたが
老雄スピードシンボリがアカネテンリュウ、
ダテテンリュウを力でねじ伏せて優勝。
史上初の有馬記念連覇を果たすと共に
引退の花道を飾りました。
この有馬記念は競馬史上に残る名勝負
として今でも語り継がれています。
ダテテンリュウの有馬記念での善戦は、
古馬になってからの活躍が期待される
ものでした。
しかし、この後ダテテンリュウは脚部不安に
悩まされ、京都記念やマイラーズカップで
2着になったものの、勝つことはできず、
期待された天皇賞春では8着に惨敗して
しまいました。
そして、その後も故障続きに泣かされ、
1年半や1年の長期休養後に復帰した
ものの、勝つことは出来ずに引退しました。
引退したダテテンリュウは、生まれ故郷の
伊達牧場で種牡馬生活を始めましたが、
繁殖相手に恵まれず、代表産駒を輩出
することは出来ませんでした。
記録によりますと
種牡馬生活3年目の昭和52年1月5日の
昼下がり、午前中は普段と変わらなかった
ダテテンリュウが急にふらふらし始め、
異常に気付いたスタッフが駆け寄った瞬間
雪の上に倒れ、必死に耳元でスタッフが
名前を叫び続けるも、その呼びかけに
応えることはありませんでした。
昭和52年1月5日ダテテンリュウは
心臓発作のため、11歳という若さで、
一気に天国へ駆けあがっていきました。
今週は3年ぶりに京都競馬場で混戦
クラシック三冠競走の最終戦となる
第84回菊花賞が行われます。
皐月賞馬ソールオリエンス、トライアル
優勝馬サトノグランツ、上り馬ドゥレッツア
サヴォーナに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。





