先週、阪神競馬場で行われました第74回
朝日杯フューチュリティステークスは
好位でレースを進めた1番人気の
ドルチェモアが直線で外に持ち出すと鋭く
抜け出して優勝、無傷の3連勝と共にGⅠ
初制覇を果たしました。
2着には首差で外から必死に追い込んだ
2番人気のダノンタッチダウン、更に首差
の3着には3番人気のレイベリングが入り
最近では珍しい人気通りの決着となり
ました。
今週は、中山競馬場で今年の競馬の
クライマックス、日本一を決めるドリーム
レース、第67回有馬記念が行われます。
有馬記念は、1955年、当時の日本中央
競馬会理事長であった有馬頼寧氏が
中山競馬場の新スタンド竣工を機に
暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵
する大レースを行いたいと提案し当時と
しては他に類を見ないファン投票で出走馬
を選出する方式が採用され、1956年
(昭和31年)に最初は中山グランプリの
名称で創設されました。
しかし、第1回中山グランプリの興奮も
冷めやらぬ1957年1月に創設者である
有馬理事長が急逝してしまいました。
これまでの有馬氏の多大な様々な功績を
称えるため、第2回開催から有馬氏に
名前をとって有馬記念に名称を変更し、
これ以来、中央競馬の一年を締めくくる
レースとして、そしてファンが自ら投票
して選んだ名馬達による日本一決定戦
というドリームレースとして定着して
います。
思い出の馬は、直線の荒法師と言われ
私も大好きだったイシノヒカルです。
イシノヒカルは、私が競馬史上、最強の
世代と思っている花の昭和47年の
クラシック組で同期にはダービー馬
ロングエース、皐月賞馬ランドプリンス
天皇賞馬タイテエムや幻の三冠馬
ヒデハヤテの他、タニノチカラやハクホウ
ショウ、ストロングエイト、スガノホマレ、
トーヨーアサヒ等、名前を上げれば切りが
ない程、名馬達が揃った年でした。
イシノヒカルの父マロットはステイヤー系
種牡馬で、その父リボーは凱旋門賞を
連覇し、20世紀のヨーロッパ記録となる
16戦無敗の20世紀を代表する名馬の
1頭で、引退後は種牡馬としても大活躍
しました。
イシノヒカルは昭和46年の秋の中山で
デビューしましたが、後のオークス馬
タケフブキの前に5着に敗れました。
その後もステイヤー血統のイシノヒカルは
当時の3歳戦は短距離戦が多かった
ためか、能力で善戦するものの苦戦し
4戦目でようやく勝ち上がりました。
その後、後に出世レースと言われた
寒菊賞を快勝しました。
年が明けて4歳になったイシノヒカル
でしたが、この年は馬インフルエンザが
猛威を振るい、関東の競馬は2ヶ月間の
開催停止を余儀なくされ、皐月賞が
5月末に、日本ダービーは7月に延期と
なりました。
この延期は元々脚部不安を抱えるイシノ
ヒカルにとっては格好の休養期間となり
3月に競馬が再開されるといきなり
オープン競走、条件特別レースを勝って
4連勝を飾り、関東の期待の星として
クラシック戦線に名乗りをあげました。
この年のクラシック戦線は関西の総大将
ヒデハヤテが脚部不安のため、途中で
戦線離脱したものの、ロングエース
タイテエム、ランドプリンスの関西三強が
東上し、関西馬による独壇場になるのでは
思われていました。
そして年を跨いで4連勝を飾ったイシノ
ヒカルは皐月賞の前哨戦となったオープン
競走に出走しましたが、ここでもロング
エース、ランドプリンスがワンツーする中
4着に敗れてしまいました。
そして迎えた皐月賞ではロングエース
ランドプリンス、タイテエムの3強が競い
合う中、最後方からレースを進め、直線で
ロングエースとタイテエムが競り合うも
両頭の伸び脚はなく、内をついたランド
プリンスが抜け出して先頭に立ち、
そのままゴールして優勝。
イシノヒカルは最後方から大外をついて
猛然と追い込んだものの、半馬身届かず
2着に惜敗しました。
そして迎えた本番のダービーでは関東の
総大将として関西の3強ロングエース、
ランドプリンス、タイテエムに続く4番人気に
押されました。
しかし関西3強の壁は厚く、最後の直線
では、ロングエース、ランドプリンス、タイ
テエムの関西3強による競馬史上に残る
名勝負となり、ロングエースがレコード
タイムで優勝を飾り、イシノヒカルは当時
27頭立ての23番枠も響いたのか皐月賞
と同様に大外から追い込んだものの、
6着に敗れてしまいました。
続く日本短波賞では1番人気に推された
ものの、快速馬スガノホマレの前に2着に
敗れ、春のシーズンを終えました。
夏を休養し、秋の菊花賞を目指したイシノ
ヒカルでしたが、常に脚部不安が
つきまとい、調整は進まなかったため
なかなか西下できませんでしたが、ようやく
復帰して出走した菊花賞直前のオープン
競走で優勝し、無謀ともいえる連闘で
菊花賞に挑みました。
菊花賞では春のクラシックは無冠に終わり
秋に雪辱を誓うタイテエムが1番人気に
押され2番人気は皐月賞馬ランドプリンス
3番人気は夏を越して順調さ欠いている
ロングエースで春と変わらず関西の3強の
争いと見られていました。
そしてイシノヒカルは連闘が嫌われ5番
人気となりました。
レースはセントマーチスが逃げる中、
タイテエム、ロングエースが中団を進み
その後ろからランドプリンス、そしてイシノ
ヒカルはいつものように最後方から行く
展開となりました。
第2コーナーでスガノホマレが先頭に
立つと最初にランドプリンスが仕掛け、
第3コーナーではタイテエムとロング
エースも仕掛けて、先頭集団につくと
イシノヒカルも3強をマークしながら
大外をまわって上がって行きました。
直線に入ってタイテエム、ランドプリンス
ロングエースの争いかと思われましたが
タイテエムが抜け出して先頭に立ち、
実況の杉本アナも無冠の貴公子
タイテエムの勝利かと思ったのか、
タイテエム先頭、四白流星だ、緑に
踊ると名実況をしましたが、その勝利
寸前のタイテエムの外からイシノヒカル
が矢のような追い込みを見せて一気に
タイテエムを交わして優勝を飾り、見事に
春の雪辱を果たすと共に関東馬の意地
を見せて最後の1冠を制しました。
このイシノヒカルのまさに直線の荒法師と
言われるがごとく、最後方から大外を
まわって追い込んで、一気にまとめて
差し切るという破天荒なレースぶりは私を
含めた競馬ファンを魅了し、有馬記念の
ファン投票では堂々の1位を獲得しました。
これを受けてイシノヒカルは脚部不安を
抱えていたものの、当時は4歳馬の優
勝は昭和35年の名牝スターロッチしか
おらず、4歳馬不利と言われていた有馬
記念に出走することになりました。
この有馬記念には、このレースを最後に
引退する古豪メジロアサマやメジロムサシ
ベルワイドの3頭の天皇賞馬をはじめ、
桜花賞馬ナスノカオリ、オンワードガイ
カツタイコウ、4歳陣からはダービー馬
ロングエース、個性派のソロナオールや
タケデンバード、タイホウシロー、3歳牝馬
チャンピオンのトクザクラ等、日本一決定
戦、まさにドリームレースに相応しい豪華
メンバーが顔を揃えました。
レースは大歓声の中、各馬がうちと外に
分れ、その中でパッシングゴールが大逃げ
をする展開となりました。
ロングエース、ベルワイドは中団を進み
イシノヒカルは最後方からではなく、メジロ
アサマとメジロムサシより前を行くという
意外な展レース開となりました。
因みに最後方はいつものソロナオール
でした。
イシノヒカルは、今回第3コーナーで早めに
スパートを掛け、直線に入って大外から
末脚を伸ばして先頭に立ち、何とか追い
上げて来たメジロアサマに1馬身半差を
つけて快勝し、4歳牡馬として初めて
有馬記念を制すると共に史上最強の世代
の頂点に立ちました。
またファン投票1位で1番人気の馬が
優勝するのはシンザン以来となりました。
そしてこのイシノヒカルの秋での活躍が
評価され、この年の年度代表馬および
最優秀4歳牡馬に選出されました。
しかし、有馬記念後、年が明けて古馬に
なったイシノヒカルは短期間での激戦の
影響で疲労困ぱい状態になると共に脚部
不安が悪化し、目標だった春の天皇賞を
断念して、休養に入りました。
温泉治療やリハビリで何とか10ヶ月の
長期休養を経て11月のオープン競走に
久しぶりにイシノヒカルは姿を現したものの
勝ったナオキから3秒も離され、しんがり
負けを喫してしまいました。
そこには鋭い追い込みで、直線の荒法師
と呼ばれたイシノヒカルの姿はなく、結局
このレースがイシノヒカルにとっての
最後のレースとなりました。
そして、再び脚部不安を発症したため
休養を余儀なくされ、懸命の治療と調整が
行われましたがましたが、7歳になった
昭和50年2月に引退が決まりました。
引退後は種牡馬となり十勝種場所に繋養
されました。
しかし、当時は内国産種牡馬不遇の時代
あり、ステイヤー血統も嫌われたため、
良い繁殖牝馬にも恵まれず、代表産駒を
残すことは出来ませんでした。
私が牧場めぐりで十勝種場所にいる
大好きだったイシノヒカルを訪ねた時、
牧場の方にいろいろお話を伺ったところ
一時期釧路の方に行っていたが、そこでの
扱いが酷かったのか、やせ細って帰ってきた
そうです。
ようやく体調が戻ったと話されていました。
私が訪ねた時、十勝種場所にはイシノ
ヒカルとヤマブキオーがいて、2頭とも
静かにたたずんでいました。
そして、記録によりますとその後十勝
種場所から中野牧場に移り、元気に
過ごしていたイシノヒカルでしたが、
昭和60年4月11日の夕刻、放牧から
帰ってきたイシノヒカルは体がふらつき
始め、最初は立ったり横になったりを繰り
返していましたが、獣医が来た頃には
立つことも出来ない状態になりました。
関係者による懸命の治療が施されま
したが、状態は悪くなるばかりで、もがき
苦しんだ状態にたったため、関係者の
苦渋の決断で、安楽死の処置がとられ
ました。
安楽死される直前、イシノヒカルはとても
さびしい目をしたそうです。
昭和60年4月11日 イシノヒカルは
18年間の生涯を終え、天国へ旅立って
行きました。
今週は中山競馬場で今年のクライマックス
第67回有馬記念が行われます。
今年も名馬達による共演の中、やはり
実力馬タイトルホルダー、イクイノックス
最後の有馬記念騎乗となる福永騎手の
ボルドクフーシュ、勢いのあるヴェラ
アズール、ブレークアップに注目して
います。
今年を締めくくる大一番、今週も全馬の
無事を祈りながらレースを観ます。


