先週、中山競馬場で行われました秋のGⅠ

緒戦スプリンターズステークスは8番人気の

ジャンダルムが直線で抜け出し、悲願のGⅠ

初勝利を飾りました。

母ビリーヴもこのレースを制しており、スプリン

ターズステークス初の親子制覇となりました。

2着には7番人気のウインマーベル、3着には

5番人気のナランフレグが入り、1番人気の

メイケイエールは中2週が影響したのか、

道中折り合いを欠く場面があり、14着に

敗れてしまいました。

今週は、東京競馬場で第73回毎日王冠が

行われます。

毎日王冠は4歳(現3歳)以上の馬による重賞

競走として1950年に創設されました。

1981年にジャパンカップの創設に伴い、

天皇賞(秋)の施行時期が1ヶ月繰り上げられ

てからは天皇賞(秋)の前哨戦として位置づけ

られ、1着馬には天皇賞(秋)の優先出走権

が与えられています。

距離は創設当初は芝2500mでしたが、

1984年から天皇賞(秋)の距離が2000mに

短縮されたことに伴い、本競走も芝1800mに

短縮され現在に至っています。

昭和期は天皇賞(秋)や有馬記念に向けた古馬

による秋初戦のレースとなっていましたが、

現在は秋のマイルや中距離路線に向けた

古馬や3歳の有力馬達が秋の初戦として出走

しており、天皇賞(秋)やマイルチャンピオン

シップ等の秋のGⅠ戦線を占う上での重要な

レースと

なっています。

 

思い出の馬は、昭和54年第30回優勝馬

白い稲妻と言われたシービークロスです。

シービークロスは、昭和53年のクラシック組で

同期にはダービー馬サクラショウリ、皐月賞馬

ファンタスト、菊花賞馬インターグシケンや

メジロイーグル、キャプテンナムラ等がいます。

シービークロスは旧馬齢3歳の秋にデビューし

新馬の2戦は4着、2着に敗れたものの、連闘

で挑んだ3戦目は鋭く伸びて、差し切って勝ち

続く特別戦も勝って連勝し、クラシック戦線に

名乗りをあげました。

年が明けて4歳になったシービークロスは

後方から一気に追い込む脚質だったため

なかなか勝ちきれませんでした。

クラシック第1冠目皐月賞では、小さな

逃亡者メジロイーグルが逃げる中、シービー

クロスは、最後方からの競馬となり、直線で

追い込むものの、ファンタストの5着に敗れ

ました。

続く日本ダービーでも最後方から進み、最後

の直線では追い込んできたものの、サクラ

ショウリの7着と敗れてしまいました。

続く日本短波賞でも4着に敗れたシービー

クロスはその後休養に入り、秋を迎えました。

秋初戦の京王杯オータムハンデキャップ3着

の後、菊花賞トライアルセントライト記念でも

3着と惜敗したものの、菊花賞への優先出走権

を得ましたが、西下直前に熱発したため、

菊花賞を断念し、症状が回復後は自己条件戦

にまわったことで、待望の3勝目をあげました。

続くダービー卿チャレンジトロフィーでは猛然と

追い込むもののモデルスポートにクビ差及ばず

2着に敗れる等、なかなか勝ちきれない成績が

続きました。

明けて古馬になったシービークロスは金杯(東)

に出走、長い直線の東京競馬場で真価を発揮し

後方から最後の直線で先に抜け出したメジロ

ファントムを差し切り、15戦目で待望の重賞

初勝利をあげました。

そして目黒記念(春)3着、中山記念7着後に

西下して念願の天皇賞(春)に出走、直線で

鋭く伸びて追い込んだものの、前をふさがれる

不利もあって、カシュウチカラの3着に敗れて

しまい、念願の天皇賞制覇はなりません

でした。

後に鞍上の吉永騎手は、自分がもっと早く

外に出せていたら、勝っていたレースだった

とコメントしています。

そして、夏を休養したシービークロスは秋の

天皇賞を目標に毎日王冠から始動しました。

この毎日王冠には後の有馬記念馬カネミノブ

長期休養明けの菊花賞馬プレストウコウや

この後天皇賞馬となるフジノパーシアの弟

スリージャイアンツ等の精鋭達が出走して

きました。

レースはスタートしてからヒダカホーリュウが

大逃げをうち、カネミノブヤプレストウコウが

先行し、シービークロスはお決まりの最後方

からの競馬となりました。

直線に入ってカネミノブが先頭に立ち、内を

スリージャイアンツがつく中、内側から外側に

出しながらシービークロスが猛然と追い込み

先行勢を一気に交わして先頭にたち、カネミ

ノブに2馬身差をつけて、何とレコードタイム

のおまけつきで優勝を飾りました。

続く目黒記念(秋)では1番人気に支持され、

またしてもヒダカホーリュウの大逃げする中

最後方からレースを進め、最後の直線で最内を

ついて猛然と追い込み、ブルーマックスに

1馬身半差をつけ、このレースでも日本

レコードタイムで優勝し、重賞2連勝を飾ると

共に2戦連続のレコードタイムでの勝利と

なりました。

これで天皇賞制覇に向けて視界が開けたと

誰もが思いましたが、連続のレコード勝ちから

来た疲労のためか、調教で右前脚に繋靱帯炎

を発症し、天皇賞への出走を諦めざるを

得ませんでした。

明けて6歳になったシービークロスは4月の

オープン競走で復帰して3着に敗れたものの

西下し、天皇賞(春)に出走しました。

この年の天皇賞は京都競馬場が改修工事

のため、直線が短い阪神競馬場での開催と

なりましたが、休養明け2戦目ながら、ファンに

あの強烈印象を残したシービークロスが1番

人気に推されました。

しかし、調子が悪かったのか、歳のせいなのか

この日のシービークロスの動きは本来の動き

ではなく、最後方から第4コーナーで上がって

いき、直線では本来の一気の追い込みを

見せたものの、レコードタイムで優勝した

ニチドウタローの4着に敗れてしまいました。

競走後、繋靱帯炎が再発したため、再び休養

に入り、秋に復帰してオープン競走4着後、

天皇賞(秋)に臨みましたが、脚部不安の

ためか、最下位の11着に惨敗し、さらに

繋靱帯炎の再々発のため、再び長期休養に

入りました。

引退も囁かれる中、1年5ヶ月の休養を経て

8歳になり、白さをましたシービークロスは

オープン競走に出走、さすがに6番人気という

低人気でしたが、秋に福島記念を勝ったネオ

キーストン以下を持ち前の豪脚で、ゴール前で

差し切り、復帰戦を勝利で飾ると共に、格の

違いを見せつけました。

しかし、またしても日経賞当日に3度目の

繋靱帯炎が再発したため、出走を取り消し

これを最後に引退が決まりました。

1983年1月16日、中山競馬場において

松山厩舎の僚馬モンテプリンスと合同での

引退式が行われ、スタンド前で併せ馬を

披露しましたが、うつむいて走るシービー

クロスの姿は、どこか寂しげで哀愁を漂わせて

いました。

その後、私の記憶では当時引退が決まった

馬を種牡馬として日本中央競馬会が買い

上げて種場所で繋養するという制度があって

そのためには種牡馬試験に合格する必要が

ありました。

シービークロスも受けたものの落ちてしまい

ました。

それでも何とかカロの血を受け継ぐために

シービークロスを種牡馬にしたかったため

何とかシンジケート組まれ、種牡馬になる

ことができました。

しかし、当時は内国産種牡馬の不遇の時代

シービークロスに良い牝馬からの種付け依頼が

来るはずもなく、頭数の集まらない状況でした。

ところが自分へのあまりの低評価にシービー

クロスは悔しかったのか、そんな最悪の環境の

中で、わずかな産駒の中から年度代表馬にも

選出され、あの白い怪物オグリキャップとも

死闘を演じたタマモクロスやホワイトストーン、

シノクロス等、重賞勝ち馬の代表産駒を次々と

輩出し、種牡馬としてシービークロスの名は

不動のものとなりました。

17歳になったシービークロスは、これから

益々の活躍が期待されましたが、

牧場関係者の話として、1991年4月16日

シービークロスは、その日種付けを行ったものの

元気がなく、その夜はイビキをかいて寝ていた

のも気になっていたそうです。

翌4月17日の朝、シービークロスは馬房で鼻血

を出し、首を折って死んでいるところを発見され

ました。

死因究明のため解剖したところ、ブドウのような

黒いできものが心臓から内臓全体に広がり

脳もやられて頭蓋骨を圧迫しているほどで

脳にできた腫瘍が血管を破裂させ一瞬のうちに

死を迎えたのだろうということが判りました。

芦毛馬に多い、黒色腫は普通、尾の付け根や

首にしこりになって出るのだけれど、シービー

クロスは体の中にできてしまい、外からは全然

わからなかったそうです。

そしてシービークロスは競走馬時代と同じように

一気に天国へと駆け上がってしまったとの

ことです。

1991年4月17日 白い稲妻シービークロスは

17年間の生涯に幕を閉じました。

4月24日繋養されていた新冠農協畜産センター

葬儀が営まれ、同場に墓が建立されました。

そして現在、お墓は新冠町内の優駿メモリアル

パークに移されています。

今週は、舞台を東京競馬場に移し、伝統の

第73回毎日王冠が行われます。

巻き返しを図るポタジェ、レイパパレとジャス

ティンカフェ、キングストンボーイに注目して

います。

今週も全馬の無事を祈りながら、レースを

観ます。