先週中京競馬場で行われました第58回金鯱賞は1番人気に

推されたジャックドールが見事な逃げ切りでGⅠ馬レイパパレや

アカイイトをおさえて圧勝し、破竹の5連勝で重賞初制覇を達成

しました。

タイムも従来の記録を1秒1縮める驚異の1分57秒2のコース

レコードをたたき出しました。

2着には2番人気のレイパパレ、3着には5番人気アカイイトの

両GⅠ馬が入りました。

まさにサイレンススズカをほうふつさせるような逃げに今後の

活躍が本当に期待されます。

今週は中山競馬場で皐月賞トライアル第71回フジテレビ賞

スプリングステークスが行われます。

スプリングステークスは3着までの馬に皐月賞の優先出走権が

与えられるトライアル競走で1952年旧馬齢4歳牡馬・牝馬限定

の芝1800mで施行される重賞競走として創設されました。

その後、施行場や距離は幾度かの変遷を経て、1960年以降は

中山競馬場の芝1800mで定着し、「皐月賞トライアル」の副称が

つけられました。

1964年には名称がフジテレビ賞スプリングステークスに変更

され皐月賞・東京優駿(日本ダービー)と続く春のクラシック路線

およびNHKマイルカップへの重要な前哨戦として位置付けられています。

 

思い出の馬は1965年の朝日杯3歳S、1966年の第1回4歳

牝馬特別や函館記念等に優勝し1966年の優駿牝馬(オークス)

では2着になる等、380キロの小さい馬体で活躍し、1965年

最優秀3歳牝馬に選出された名牝メジロボサツの仔メジロゲッコウ

です。

メジロ一族は毎年いろいろなジャンルから馬名を命名して

いましたが、メジロゲッコウは寝台特急「月光」から名付けられ

ました。

メジロゲッコウは昭和46年のクラシック組で同期には二冠馬

ヒカルイマイ、菊花賞馬ニホンピロムーテー、天皇賞馬ベルワイド

の他、ヤシマライデン、オンワードガイ、フィドール、ゼンマツ

カツタイコウ、ハスラー、ダコタ等の重賞勝ち馬がいます。

メジロゲッコウは名牝メジロボサツの仔であったため、血統的にも

メジロ一族の中でもデビュー前から期待された馬で旧馬齢3歳の

夏の福島でデビューし、見事新馬戦を勝って華々しいデビューを

飾りました。

しかし、その後の4戦は人気になりながらも惜敗が続きましたが、

暮れの条件特別を連勝し、クラシックに名乗りをあげました。

年が明けて4歳になったメジロゲッコウは緒戦の東京4歳Sに

出走し、2番人気に推されましたがヤシマライデンの4着に敗れて

しまいました。

しかし、続くクラシックの登竜門弥生賞ではヤシマライデン

ベルワイドやカツタイコウ、ロングワン、バンライ等をやぶって

優勝し、東京4歳Sの雪辱を果たしました。

続いて皐月賞トライアル、スプリングステークスに出走、関西

からは後の二冠馬できさらぎ賞の勝ち馬ヒカルイマイやシンザン

記念勝ち馬フィドールが新たにクラシックを目指して参戦して

きました。

これまでの実績からメジロゲッコウは1番人気に推され、

その期待に応えるように直線で抜け出すとヒカルイマイや

フィドールの追撃をおさえて弥生賞に続いて優勝し、一躍

クラシックの有力候補に躍り出ました。

そして、クラシック一冠目の皐月賞に挑みました。

今までの安定した実績からヤシマライデンが1番人気に推され

メジロゲッコウは3番人気となりました。

レースはエリモカップが逃げ、その後からフィドールやバンライ

ニホピロムーテーが激しいポジション争いを演じる中、スタートが

悪かったメジロゲッコウは、前半は後方からの競馬となりました。

第4コーナーでヤシマライデンとヒカルイマイが仕掛け、メジロ

ゲッコウは内をつきました。

直線に入ってバンライが内ラチぞいから先頭に立ち、メジロ

ゲッコウも一時2番手まで上がったものの、その後脚が止まって

しまい、一瞬バンライが勝ったかと思った瞬間、大外から物凄い

豪脚でヒカルイマイに一気に追い込んで、全馬を差し切って

優勝を飾り、メジロゲッコウは、5着に終わりました。

この後、デビューしてからの無理が祟ったのか、脚部不安を

発症して長期休養を余儀なくされ、ダービーを前に表舞台から

姿を消しました。

そして、メジロゲッコウが競馬場に帰ってきたのは、それから何と

2年1ヶ月後でした。

旧馬齢6歳になったメジロゲッコウは条件戦でカンバックした

ものの、2戦連続で10着に惨敗し、それでもその後ようやく調子を

少し取り戻して秋の条件特別戦を連勝する等、復活の兆しが

見えました。

しかし、年が明けて7歳になったメジロゲッコウは、当時行われて

いたオープン競走や夏の大雪H等で優勝したものの、重賞レース

ではことごとく惨敗を繰り返していました。

やはり脚の故障での長期休養によってメジロゲッコウはクラシック

路線で活躍した当時の力を取り戻すことは、ついに出来ません

でした。

年が明けて8歳になっても現役を続けましたが、オープン競走で

掲示板に載るのが精いっぱいでした。

そして、ついに引退を決め、最後のレースとなる昭和50年

第80回目黒記念に挑みました。

この目黒記念は名ジョッキー野平祐二騎手の引退レースでもあり

野平騎手は愛馬カーネルシンボリで参戦し、見事1番人気に応え

有終の美を飾りました。

メジロゲッコウも第4コーナーで上がって行き、見せ場は作った

ものの、最後は10着に終わりました。

でもその目黒記念でのレース実況の中で実況アナの

「その後ろに1番のメジロゲッコウ、このレースを最後に競馬場

を去ります」という名馬メジロゲッコウに対して敬意を表した

実況に涙が出ました。

メジロゲッコウは引退後、メジロゆかりの良血を買われ種牡馬に

なりました。

当時の内国産種牡馬不遇の時代の中で産駒からは中山大障害

2勝のメジロアンタレスや中山牝馬S等重賞を2勝し、オークス3着

のメジロハイネ等を輩出しました。

そしてメジロボサツからメジロゲッコウを通して、牝系も伸びていて

2000年代に入っても多くの重賞勝ち馬を輩出する等、今も

その血統は脈々と続いています。

メジロゲッコウが亡くなった時、スポーツ紙に載ったのは覚えて

いますが、いつ、どのように亡くなったかの正確な記憶が

無いのがとても残念です。

今は、旧メジロ牧場だったレイクヴィラファームで母メジロボサツ

と一緒に静かに眠っています。

今週は中山競馬場で第71回フジテレビ賞スプリングステークス

が行われます。

皐月賞に向けてアライバルとアサヒの巻き返しと堅実のソリタリオ

高額馬のドーブネに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。