先週行われました秋の最強マイラー決定戦第38回マイル
チャンピオンシップはこのレースを最後に現役引退する
1番人気のグランアレグリアが直線で半ばから力強く抜け出し
他馬を圧倒して優勝、連覇達成と共にGⅠ6勝目をあげ、
JRA獲得賞金も10億円突破、数々の記録を残し有終の美を
飾りました。
2着には2番人気の3歳馬シュネルマイスターが入りましたが
グランアレグリアの強さの前に世代交代とは行きませんでした。
今のマイル戦でグランアレグリアに勝てる馬はいないでしょう。
最後までマイル女王のまま引退するグランアレグリア。
グランアレグリアの今後の幸せと将来グランアレグリアの子供が
ターフを賑わせてくれることを祈っています。
本当にお疲れさまでした。
今週は東京競馬場で第41回ジャパンカップが行われます。
1970年代から世界に通用する馬づくりが提唱され、日本の
競馬を世界の競馬にという機運が高まり、1981年国際招待
競走で日本初の国際GⅠ競走としてジャパンカップが創設
されました。
当時、世界の馬達との戦い、競馬のオリンピックが日本で見られる
という喜びでいっぱいで、本当に楽しみにしていました。
しかし、記念すべき第1回優勝馬はアメリカのトップクラスではない
牝馬のメアジードーツで、日本勢はことごとく惨敗する中、当時の
コースレコードを1秒更新しての衝撃的な優勝に競馬関係者や
ファンも日本馬は永遠に勝てないのではないかと思わせる
衝撃的な勝ち方でした。
思い出の馬は、昭和59年第4回優勝馬カツラギエースです。
カツラギエースは、小さな牧場の生産馬で地味な血統と平凡な
馬体であったため、当初は買い手が中々つかなかったそうです。
最近で言えば無敗の3冠牝馬デアリングタクトでしょうか。
しかし、カツラギエースもその逆境を乗り越える馬でした。
カツラギエースは19年ぶりに3冠を制したミスターシービーと
同じ昭和58年クラシック組で同期としては他にマイルの皇帝
ニホンピロウイナーや有馬記念馬リードホーユー、宝塚記念馬
スズカコバン、もしミスターシービーがいなかったら2冠馬に
なっていたであろうメジロモンスニー等がいます。
旧3歳の秋の阪神でデビューし、新馬戦を圧勝、3戦目には
特別競走を勝ったものの、年明けのオープン競走では惨敗
しましたが、続く特別競走を勝って3勝目をあげることができ
何とかクラシックへの出走権を得ることが出来ました。
しかし、皐月賞では不良馬場が災いして大敗しましたが、
続くNHK杯では持ち前の先行力を活かして優勝、初の
重賞制覇となりました。
そして挑んだ日本ダービーでは距離の壁か、ミスターシービーが
優勝し2冠馬となる中、6着に沈みました。
夏を無事に越し、当時の菊花賞トライアル京都新聞杯で
ライバルのミスターシービーやスズカコバン、リードホーユーを
やぶって優勝し、クラシック三冠目菊花賞に挑みましたが20着と
大敗してしまいました。
年が明けて古馬になったカツラギエースは活躍の舞台を中距離
路線に見い出すと、サンケイ大阪杯と京阪杯に勝って連勝、
その勢いのまま、GⅠ宝塚記念ではスズカコバンや菊花賞馬
ホリスキーをやぶって初のGⅠ競走を制覇し本格化しました。
秋緒戦の毎日王冠では春の勢いそのままに再びミスターシービー
をやぶって優勝しました。
しかし続く天皇賞秋では今度はミスターシービーの後塵を拝して
5着に沈みました。
そして迎えた1984年の第4回ジャパンカップはシンボリルドルフ
とミスターシービーの3冠馬2頭が激突するという世紀の大一番に
日本だけでなく、世界が注目すレースとなりました。
そして世界の強豪相手に今年こそは2頭の3冠馬によって
日本馬が悲願の初優勝を飾ることを期待し、競馬ファンの熱狂は
最高潮に達しました。
ゲートが開くとカツラギエースが予想どおり先行して逃げる
展開となり、シンボリルドルフは中団を進み、例によってミスター
シービーは最後方からの競馬となりました。
単騎の逃げとなったカツラギエースは軽快に逃げ、向こう
正面では2番手以下を10馬身以上引き離し、大逃げを打つ
展開となりました。
しかし、ペース的にはそれほど速い展開ではなく、西浦騎手の
作戦どおりの展開となりました。
外国馬達は終始3冠馬シンボリルドルフとミスターシービーを
マークしてのレース運びとなり、更にストロベリーロードに
騎乗していた英国の世界的大騎手レスター・ピゴットの動きに
引きずられていたため、なかなか動けなかったようで、シンボリ
ルドルフも外国馬と後方にいるミスターシービーを意識し過ぎて、
仕掛けが遅れてしまったようです。
そのことがカツラギエースを気分よく逃がしてしまう結果と
なりました。
それでも第4コーナーをまわってカツラギエースとの差を詰めて、
捕まえにいき、カツラギエースの逃げもここまでかと思われ
ましたが、本格化したカツラギエースは、一旦は交わされそうに
なったものの、直線では二枚腰の走りで後続に捕まりそうで
捕まらず、最後まで頑張り、シンボリルドルフや英国のベッド
タイム、アメリカのマジェスティーズプリンスらの追撃を振り切って
逃げ切って日本馬初のジャパンカップ制覇という悲願を達成する
と共に無敗の3冠馬シンボリルドルフに初黒星をつけ、ライバルの
ミスターシービーを遂にGⅠレースでやぶることができました。
ジャパンカップで日本初の優勝馬はシンボリルドルフかミスター
シービーと思っていたファンは、この意外な決着に少々戸惑って
いたように思えます。
当時、私はテレビで観戦していましたが、毎年日本馬が勝つ
ことを夢見て応援していたので、日本馬の初制覇は本当に
嬉しくて号泣しました。
この勝利によりカツラギエースの今後のことを考えた陣営は、
第29回有馬記念を最後に引退することを発表しました。
この有馬記念にはシンボリルドルフとミスターシービーも参戦する
ことが発表され、カツラギエースを含め3強による最後の夢の
競演となりました。
有馬記念では史上初の3頭が単枠指定され、カツラギエースは
当日3冠馬2頭に続く、3番人気に推されました。
レースはジャパンカップと同じように逃げる展開となりましたが、
前走と違い、シンボリルドルフはカツラギエースを徹底的に
マークし、直線でカツラギエースを力でねじ伏せて優勝。
カツラギエースは精一杯の粘りを見せて2着に入り、ライバルの
ミスターシービーは直線で追い込んだものの3着となり、カツラギ
エースは再びミスターシービーに先着し、ジャパンカップの勝利が
フロッグでなかったことを証明しました。
そしてこの年の最優秀5歳以上牡馬に選出されました。
1985年1月に京都競馬場で引退式が行われ、ジャパンカップ
優勝の時の思い出のゼッケン番号10番を付けてファンの前で
最後の走りを見せ、ファンと競馬場に別れ告げました。
引退後は北海道新冠町の牧場で種牡馬生活に入り、期待され
ましたが、内国産種牡馬不遇の時代だったこともあり、産駒には
クラシックを狙えるような大物を送り出すことは出来ませんでした。
しかし、そんな厳しい環境ではありましたが、中央での重賞勝ち馬
としては4歳牝馬特別東を勝ったヤマニンマリーンを送り出し、
地方競馬では東京ダービー馬のアポロピンクやエンプレス杯
連覇のヒカリカツオーヒ等の多くの活躍馬を送り出す等、種牡馬
としても立派な成績をおさめたと思います。
2000年7月3日心臓発作のため、21年間の生涯に幕を
下ろしました。
今週は東京競馬場で第41回ジャパンカップが行われます。
あのアーモンドアイの感動と涙の優勝から1年が経ちました。
最近は強い外国馬の参戦も無く、日本馬同士の頂上決戦
でしたが、今年は有力な外国馬が参戦するようなので楽しみです。
注目はやはり、このレースを最後に引退する無敗の3冠馬
コントレイルがグランアレグリアと同様に有終の美を飾ることが
できるのか、そして史上初の4頭のダービーによる夢の競演
も本当に楽しみです。
出来る事ならダービー馬4頭による横一線での名勝負を期待
したいのですが。
そして次代を担うオーソリティとアリストテレスにも注目して
います。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。


