先週行われました第88回東京優駿(日本ダービー)は直線で

シャフリヤールとエフフォーリアが抜け出して一騎打ちになり、

ほんのわずかの鼻差でシャフリヤールがレースレコード優勝、

7398頭の頂点に立ちました。

毎日杯を勝った後、皐月賞には出ずにダービーに優勝した馬は

記憶にありません。

こういう路線をとるのも時代の流れなのでしょうか。

牝馬サトノレイナスは、ちょっと仕掛けが早いように思えましたが

最後までよく頑張り5着に入りました。

2年ぶりの観客が見守る中でのダービーは、やはり良い物です。

スタンドから17頭の精鋭達に送られた温かい拍手にとても

感動しました。

そして17頭が無事にゴールすることが出来て本当に良かった

です。

来年は超満員の観客の中でレースが行われることを願って

います。

今週は前半戦のマイル王を決める第71回安田記念が東京

競馬場で行われます。

安田記念は明治・大正・昭和にわたって競馬に携わり、競馬法の

制定や東京優駿(日本ダービー)の創設などに尽力し、日本中央

競馬会の初代理事長も務めた安田伊左衛門氏の功績を称える

ため、1951年当初は、安田賞の名称で創設されました。

1958年に安田伊左衛門氏が亡くなったため、現名称に改称

されました。

創設当初は東京競馬場の芝1600mで4歳(現3歳)以上の馬

によるハンデキャップ競走として施行されていましたが、1984年

にグレード制が導入されGⅠ競走に格付けされたことを受け

5歳(現4歳)以上の馬による定量戦に変更されましたが、

1996年からは競走条件も再び4歳(現3歳)以上に変更され、

現在に至っています。

昭和期においては、まだ短距離のレース体系が整備されて

いなかったため、春に行われる安田記念が日本一のマイル王

の決定戦で、秋に行われるスプリンターズステークスが日本一の

スプリンターを決めるレースとなっていました。

 

思い出の馬は、昭和51年の第26回優勝馬ニシキエースです。

ニシキエースは、デビュー2戦目で勝ち上がり、続く条件戦を

レコード勝ちをする等、快速馬の片鱗を見せていました。

特別戦は後のダービー馬コーネルランサーに敗れたものの

当時あったオープン戦を2連勝し、皐月賞に駒を進めました。

昭和のこの頃は、世間ではストライキが行われることが多く、

この年も厩務員ストが長引き、皐月賞の開催が遅れ、この年は

5月3日に東京競馬場で皐月賞が行われました。

怪物ハイセイコーの出現で大競馬ブームになった翌年のこの年

の注目馬は、何と言っても6連勝の無敗馬キタノカチドキでした。

レースは予想通り、ニシキエースとミンシオの仔ミホランザンの

2頭の快速馬が軽快に飛ばして逃げました。

この時はテレビ東京が中継していて、当時実況していたのは

小倉智昭アナで東京の4コーナーをまわって直線に入った時

「先頭はニシキエース、快速馬ニシキエース、サミーディヴィス

の仔が直線に向いて先頭だ。ミホランザンが2番手」と言った

実況が今でも耳に残っています。

ニシキエースは頑張って逃げたものの、キタノカチドキの5着に

敗れ、続くダービーも血統的にも距離が合わなかったのか

15着に惨敗しました。

秋になって短距離路線に活路を見い出して、参戦すると

戦績も残せるようになりました。

しかし、その後脚の故障のため、1年間の休養を余儀なくされ

ましたが、年が明けて当時の馬齢6歳で復帰を果たすと、

オープン戦で2年ぶりに勝って、安田記念に挑みました。

休養が功を奏し、馬体が充実したニシキエースは軽快な逃げで

他馬を引っ張り、東京の長い直線に入ってもスピードは衰えずに

牝馬クラシック二冠馬のテイタニアやカネオオエを寄せ付けずに

見事な勝利を飾り、ついに日本一のマイル王に輝きました。

その後も持ち前のスピードを活かし、BSN杯、関谷記念に連勝。

8歳になってからも59キロの斤量を背負いながら新潟ステークス

に優勝するなど、最後まで快速馬として活躍しました。

この年の秋に引退し種牡馬になりましたが、産駒には恵まれず

いつしか姿を消してしまいました。

快速馬として活躍したニシキエースが、最後はいつ、どこで、

どのように亡くなったのかの記録が残っていないというのは、

本当に残念でなりません。

今週の第71回伝統のマイル王決定戦安田記念での注目は

無敵の短距離女王グランアレグリアに対し、NHKマイルカップ

に優勝した3歳の新鋭シュネルマイスターがどこまで迫れるか、

また、実力馬サリオスやダノンプレミアムの巻き返しがなるのか

注目です。

早いタイムでの決着になりそうですが、今週も全馬の無事を

祈ってレースを見ます。