ネットニュースで8月20日、JRAの伊藤正徳元調教師が死亡

したことを知りました。

調教師としては、エアジハードで安田記念やマイルCS、

ローエングリンで中山記念等に優勝しましたが、私個人としては

私が今でも尊敬している名門尾形厩舎に所属していて天才

福永騎手や岡部、柴田騎手と同期の伊藤騎手という印象が

強いです。

騎手としても昭和52年にラッキールーラでダービーに優勝し、

戦前にトクマサでダービーを制した父伊藤正四郎との父子制覇を

達成しました。

またハクホウショウで安田記念、そしてメジロティターンで天皇

優勝し、後に天皇賞に執念を燃やすメジロ一族の親子三代制覇

に貢献しました。

特にラッキールーラには思い入れがあって、今では有名なPOG

ですが、当時仲間内でスポーツ紙や競馬報知からのわずかな

情報をもとにドラフトで3歳馬を獲得して馬の見る目を競い合って

いました。

そして私がデビュー当時から大型馬で期待していたラッキー

ルーラで初のクラシックである日本ダービーに優勝することが

できました。

直線で皐月賞馬ハードバージの猛追を受けた時は、大声で

叫んで応援し、優勝した際は号泣したのを覚えています。

架空のオーナー兼調教師でしたが、こんなに嬉しいことは

ありませんでした。

またラッキールーラは尊敬する尾形厩舎の所属で、名伯楽尾形

藤吉調教師に生涯最後となる8度目のダービー優勝をもたらした

というのも感慨深いものでした。

この年のダービープレゼンターは、当時私もファンでした女優の

竹下景子さんで、友人が引き延ばしてくれた優勝写真の記念

パネルは今でも大事に保管しています。

ラッキールーラは菊花賞の後に故障して2年間休養し、その後

復帰するものの、往年の迫力はなくなって惨敗を繰り返し、

尾形調教師のダービー馬の名を汚したくないとの判断で、

引退を発表し、淋しく競馬場を去りました。

引退後、胆振種場所に種牡馬となったラッキールーラに会いに

行き、一緒に写真を撮らせてもらった時は、感激の涙を

流しました。

内国産種牡馬の受難な時代、ラッキールーラは種付け頭数も

少なく、産駒にも恵まれなかったため、その後韓国に寄贈

されましたが、1991年5月、事故によりその生涯を閉じました。

伊藤調教師も天国できっと尾形調教師やラッキールーラと

再会していると思います。

こうしたニュースを知るたびに、また昭和が遠のいていく

気がして淋しくなります。