今週は、東京競馬場でいよいよクラシックのクライマックス、
第87回東京優駿競走(日本ダービー)が行われます。
ダービーの思い出といえば、現在のフルゲートは18頭ですが、
私が見始めた昭和期のダービーでのフルゲートは28頭で、
全馬ゲートインが終了しました、係員が離れますと言った後、
ゲートが開き、歓声と共に28頭が一斉にスタートを切る姿は、
本当に壮観で、毎年感動して見ていました。
しかし、スタートして28頭が位置取りのため、一斉に第1コーナー
になだれ込むため、騎手や馬にとっては、常に危険を伴い、
毎年、命がけで騎乗していたそうです。
事故を防ぐため、昭和61年のダービーでは出走頭数が24頭
となり、その後20頭となり、平成4年のダービーでは18頭に
なり、現在に至っています。
あの28頭での壮観で迫力ある場面が見られなくなったのは残念
ですが、騎手と馬の安全のためには、仕方がないことです。
また、今では死語となっているのかも知れませんが、ダービーでは
必ずテレビ馬という馬がいて、毎年ダービーではテレビ画面に
少しでも長く映るように玉砕覚悟で先行する馬がいました。
ダービーでは、牧場をはじめとする関係者の皆さんが自分達の
馬の名前が呼ばれることを楽しみにして見ているため、
実況アナも必ず全馬の名前を言うように意識して実況を行って
いるそうです。
但し、時代の流れか、頭数が絞られたせいか、最近では昭和期
のようなテレビ馬は、見かけなくなりました。
更に当時の28頭フルゲートのダービーでは、第4コーナーで
先頭から10番以内にいないと勝てないと言われていました。
そのためか、昭和48年のダービーでは圧倒的な人気を背負って
いたハイセイコーは、ニューサント、ホワイトファンテン、ユウシオ、
ボージェスト、チェッカーフラッグ等、名立たる快速馬達が先行
するのを追いかけ、特に弥生賞で苦しめられたニューサントを
どうしても捕まえに行かなければならないレースをしてしまい、
更に過酷なローテーションによる疲労も重なったのか、直線で
スタミナがなくなり、タケホープの3着に沈みました。
他の先行した馬達が下位に惨敗している状況から、いかに過酷な
ペースだったのかを物語っています。
それでも3着になったハイセイコーは、今でも負けてなお強かった
と思っています。
今年のダービーの主役は、文句なく休み明けで皐月賞を圧勝した
コントレイルです。
もし逆転できるとしたら、やはり休み明けでコントレイルと直線で
渡り合ったサリオスでしょうか。
今年は、この2頭がずば抜けていて、もし負けるとするならば
これも既に死語かも知れませんが、2走ボケでしょうか。
あとは2,400mの距離延長を歓迎する馬ということになりますが、
青葉賞の勝馬オーソリティーは、故障で戦線離脱。
その他では、ワーケアとダービージョッキーの武騎手が乗る
サトノフラッグぐらいでしょうか。
しかし、競馬に絶対はなく、何が起こるか判りません。
私が今まで見てきたダービーでは、1番人気タカツバキは
スタート直後に落馬。
圧倒的1番人気だったハイセイコー、キタノカチドキ、トウショウ
ボーイも大観衆の悲鳴と共には敗れ去りました。
7、262頭の頂点に立つのはどの馬か。
無観客ではありますが、今年も多くの人の夢と希望を乗せて
行われる東京優駿競走(日本ダービー)を全馬の無事を
祈りながら見ます。