今週、中京競馬場ではGⅠレース高松宮記念が行われます。

昭和期は、宝塚記念の後に行われる重賞レースで、1995年

までは高松宮杯として行われていました。

当時は前半戦を飾る重賞レースであったため、ハイセイコーを

はじめ、トウショウボーイやナリタブライアン等、競馬史上に残る

名馬達が参戦していましたし、数々のドラマや出来事があり

ました。

昭和48年の高松宮杯は、私が競馬史上最強の世代と思って

いる花の昭和47年組のハマノパレードが宝塚記念に優勝した後

参戦し、最後の直線に入って他馬を突き放し、このまま圧勝と

思ったゴール手前の200mで前脚からもんどりうって崩れ落ち、

そのまま競走を中止してしまいました。

競馬を見始めてから初めてリアルタイム映像で馬の骨折を

目の当たりして本当にショックを受け、呆然としました。

ハマノパレードの容体を心配していましたが、やはり安楽死

(実際は違っていたようで、後に物議を醸すことになりました)

との報道に涙が止まりませんでした。

とても悲しい出来事でしたし、もう二度とこのような場面を見たく

ないと思っていましたが、その後も悲しいことにキシュウローレル、

テンポイント、サクラスターオー、ライスシャワー、ホクトベガ、

サイレンススズカ等の名馬達の悲劇を見ることになってしまう

ことになるのですが。

昭和49年の高松宮杯は、やはり宝塚記念を圧勝して汚名返上

した怪物ハイセイコーが参戦。

かつてのクラシックの有力馬で関西の英雄ヨドヒーローが

逃げる中、早々と捉え、61キロの重量をものともせずに怪物

らしい圧勝劇を演じました。

中京競馬場には怪物ハイセイコーを一目見ようと多くの観客が

詰めかけてハイセイコーに大声援をおくり、そして圧勝劇に

対しては、大歓声と共に大きな拍手がわき起こりました。

私は中京競馬場でのレースで、あれ程の大歓声や拍手を

その後に聞いたことがありません。

中京競馬場の観客からは、怪物ハイセイコーに対し、また

来いよ等の暖かい声援が飛び、本当に感動しました。

昭和50年の高松宮杯もドラマがありました。

昭和50年優勝馬イットーは、デビューからの2連勝が高く評価

されて最優秀3歳牝馬に選ばれ、クラシックの最有力候補でし

たが、直前で故障が発覚し、桜花賞やオークスを断念しました。

満を持して秋に復活し、当時の牝馬クラシックの最後のレース、

ビクトリアカップを目指して出走したオープン戦を圧勝した後、

当時の京都牝馬特別に参戦し、快速馬キシュウローレルとの

対決が注目されましたが最終コーナーの手前でキシュウローレル

が骨折して転倒したため、直後にいたイットーがもろにあおりを

受けて大怪我をしてしまいました。

そのため牝馬最後のクラシックレースであるビクトリアカップにも

再度の不運によって出走することは出来ませんでした。

その後レースに出走するものの、惜敗が続いていましたが、

高松宮杯で見事に復活優勝を飾ることができました。

その高松宮杯での吉村アナの「まだイットーが逃げている、まだ

イットーが逃げている、悲運の名馬と言われたこの馬がはたして

中京競馬場で蘇るかどうか」や「イットーが勝ったぁ、蘇った」との

実況に感動し、今でも耳に残っています。

1996年からJRAによる短距離競走体系の見直しや整備により、

高松宮杯から高松宮記念と名称も変更になり、距離も1,200mと

短縮され、春のスプリンター決定戦との位置づけなりました。

春を飾るGⅠシリーズ第一弾高松宮記念、新しいスプリンターが

誕生するのか、それとも経験豊富な馬達が立ちはだかるのか

注目です。

そしてハマノパレードのような事故が起きないよう、全馬の無事とレースの無事を祈っています。