今週は、中山競馬場で伝統の中山記念が行われますが、

 新型コロナウイルスの影響で無観客で実施されるという

前代未聞の開催になります。

世界中に蔓延している厳しい状況の中では、しょうがない

のかも知れません。

私も長年競馬を見てきましたが、天災や感冒の影響での

延期等での開催はあっても、無観客での競馬は初めてです。

果たしてどのような競馬になるのでしょうか。

馬にとっては静かな状況の方が、大歓声に驚くことがなく、

競馬ができるのかも知れませんが、レースに慣れている馬だと

歓声がないのがかえって不安で落ち着かなくなる馬もいるかも

知れません。

昭和時代、関東の古馬のオープン馬達はAJC杯から始動し、

中山記念または日経賞から春の天皇賞に向かったものですが、

最近は中距離の中山記念を使ってくる馬は、中距離路線を

目指し、GⅠに昇格した大阪杯に向かい、関東馬で春の天皇賞

を目指す馬は、長距離路線をとって日経賞または元々12月の

暮れに行われていたキーストンの悲劇で有名な阪神大賞典か

京都記念から春の天皇賞に向かいます。

中山記念での思い出の馬は昭和49年に優勝したハイセイコー

です。

ダービーで3着に敗れた後、秋になって京都新聞杯、菊花賞、

有馬記念に惜敗し、AJC杯では宿敵タケホープの後塵を拝して

9着に惨敗。

マスコミは手のひらを返したように「怪物返上」「地に落ちた英雄」

「早熟馬だった」「メッキがはがれた」等と書き立てました。

しかし復活を願うファン達はハイセイコーを信じて1番人気に押し、

その期待に応えてハイセイコーは宿敵タケホープも参戦する中、

不良馬場をものともせずに、2着に逃げ粘った逃げる精密機械

と言われたトーヨーアサヒと3着のタケホープを直線で置き

去りにし、今までのうっぷんを晴らすかのように、大差での

圧勝劇を演じてくれました。

まさに千両役者でした。

その圧勝劇にスタンドに詰めかけた観客は歓喜し、今でも

あのハイセイコーに対する大歓声は、忘れられません。
私もテレビを見ながら、嬉し涙を流しました。

次の日マスコミはまた手のひらを返し、「怪物復活」だの、

「日本の英雄が帰ってきた」等と持ち上げて報道しました。

 

後にハイセイコーは母の父である短距離血統だったカリムの血

の影響で2,200Mまでの中距離とダートや重馬場馬を得意とする

中距離の名馬だったと言われました。

しかし、ハイセイコーに関わった関係者から聞いた話によると、

大井から移籍した時点で、無理な使われ方によってハイセイコー

の脚は悪く、中央に移籍後の馬主都合(賞金)により、通常、

そのような無理な間隔では、出走しないスプリングSやNHK杯に

出走し、ダービーの時点では、ハイセイコーの脚はかなり悪化

していたとのことでした。

タラレバの世界になりますが、もしハイセイコーがきちんとした

ローテーションを組んでレースに出走していたら、いつも一生懸命

に走った馬だっただけにダービーをはじめとする重賞レースは

違った結果になっていたかも知れません。

これも競馬歴史ロマンですね。

今年の伝統の中山記念は、初の無観客レースであり、また

ウインブライトの3連覇がかかっています。

果たしてどのようになるのでしょうか。

不安と期待を抱きながら、レースを観たいと思います。