今週、東京競馬場ではダートのGⅠ重賞競走フェブラリーS
が行われます。
早いもので最初の開催から26年目を迎えました。
昭和期においては、クラシックをはじめとする重賞競走は、
芝コースで行われており、大雪などで芝コースが使えない等の
特別な場合にのみダートコースでレースが行われていました。
そのため、芝コースで優勝する馬が強い馬と称され、ダートで
いくら強い勝ち方をして優勝してもダートだからとかダート馬
だからと言われ、低くみられていました。
それでも私は生でのレースは見ていませんが、芝でもダートでも
強さを誇った歴代最強馬の1頭と言われるタケシバオーや
大井競馬で圧倒的な強さを見せ、中距離や芝の重馬場では
他馬を全く寄せつけない圧倒的な強さを見せた怪物ハイセイコー
、当時ダートで行われていた札幌記念で天馬トウショウボーイと
ダービー馬クライムカイザーをまとめて負かしたダートの王者
グレートセイカンという馬がいましたが、もしその時代に
今の時代のようにダート競走を重んじた重賞レースが多く存在
していたら、これらの馬達は、どのような強さでどれだけ優勝して
いたか等と時々競馬歴史ロマンに思いを馳せてしまいます。
そして今週のフェブラリーSでの思い出の馬は1996年の優勝馬
ホクトベガです。
牝馬のクラシックでも活躍してエリザベス女王杯に優勝し、その後
の重賞レースでも健闘するも当時のレース体系の中で苦戦し、
なかなか勝てない時期がありましたが、ダート路線に変更すると
ダートでの素質が開花し、地方交流戦を含めて7連勝を飾るなど
圧倒的な強さを見せ、あまりの強さにファンは、彼女のことを
いつしか砂の女王と呼ぶようになりました。
しかし、1997年川崎記念で圧勝後、ドバイに遠征し、一時体調
を崩していたものの、回復して挑んだドバイワールドカップレース
において、最終コーナーで転倒し、他馬とも接触して複雑骨折を
負い、現地において安楽死の処置がとられました。
遺体は検疫の関係で日本に帰ることは出来ずに、たてがみ
のみが遺髪として無言の帰宅をしました。
異国の地でホクトベガは、天に召され本当の星になってしまい
ました。
後に放映されたホクトベガ物語で、オーナー夫妻はホクトベガ
について「異国の地にわざわざ連れていき、あんな死なせて方
をさせてしまったことは、本当にかわいそうで、かわいそうで
本当に申し訳ないことをした」と涙ながらに語った。
心から悲しんでいるオーナー夫妻の姿に私は涙がとまり
ませんでした。
明日のフェブラリーS、全馬の無事を祈りながら令和の時代を
引っ張るダート王の誕生を楽しみにしています。