今週、東京競馬場では共同通信杯が行われます。
昭和期は当時の馬齢から東京4歳ステークスと呼ばれ、
また、トキノミノル記念という名称でも親しまれていました。
トキノミノルは1951年に皐月賞とダービーに優勝し、三冠馬
確実と言われていましたが、ダービー出走後に破傷風に倒れ
10戦10勝の無敗のままで、突然この世をさりました。
病名からダービーの出走時は既に病に侵されており、体調が
悪い中、自分の命と引き換えにダービーに優勝し、まさに
日本ダービーに勝つため生まれてきた幻の名馬として今日に
伝えられています。
当時は、トキノミノル記念の他、シンザン記念、クモハタ記念、
カブトヤマ記念、セイユウ記念があり、現在、中央競馬では、
シンザン記念とこの副称のトキノミノル記念だけになってしまい
ましたが、今年から弥生賞に副称としてディープインパクト記念
とすることが発表されました。
名馬の功績を称え、後世に伝えて行くためにも名馬達の名称の
レースを多く作って欲しいと私は願っています。
共同通信杯トキノミノル記念は、クラシックレースに向けた登竜門
であり、昔から重要なレースとして位置づけられていました。
この後、通常は弥生賞またはスプリングステークスを経て、
皐月賞、日本ダービーというローテーションになるのですが、
明け4歳馬(現3歳馬)にダービーまでに1度は東京競馬場を
経験させるためには、このレースを使うことがうってつけであり、
クラシック有力の関西馬で出走可能な馬は、このレースから
関東のレースに参戦してきました。
このレースに出走できない場合、ぶっつけ本番でダービーに
向かうか、当時トライアルレースであったNHK杯を使わざるを
得ない状況でした。
昭和49年にぶっつけ本番でダービーに挑んだキタノカチドキは
やはり初めての東京競馬場で悪癖が出て斜行して3着に
敗れました。
また、昭和48年地方から中央に移籍したハイセイコーは
弥生賞からの参戦であったため、どうしてもダービー前に
東京競馬場を経験させるためにNHK杯に参戦し、絶体絶命の
位置から、一世一代の差し足を使ってしまい、優勝はしたものの、
その影響(疲労)が日本ダービーで出てしまい、日本中の
ファンの悲鳴の中、3着に沈みました。
近年、レースの使い方も調教師によって変わってきています。
今年は、このレースからクラシック候補が生まれるか注目して
レースを観ます。