明日は、令和初の競馬の祭典、日本ダービーです。

日本ダービーは、実力と運が無ければ勝てないレースと

言われています。

私は、昭和44年まだ小学生低学年のの時、ふとテレビで

日本ダービーを見たのですが、その日本ダービーで、

スタート直後に1番人気のタカツバキが落馬し、場内が騒然

となる中、最後の直線でのミノルとダイシンボルガードとの

一騎打ちに感動し、それ以来競馬の大ファンになり、今日に

至るまで、競馬を見続けています。

当時は、28頭のフルゲートだったので大迫力でした。

しかし、騎手にとっては危険との隣り合わせであったため、

今日では18頭がフルゲートとなっています。

名手保田騎手が引退を延ばしてまでミノルで挑んだ第36回

日本ダービーをはじめ、日本ダービーでは数々の思い出の

レースや名馬が存在します。

昭和45年のタニノムーティエとアローエクスプレスのライバル

対決、昭和46年疾風の追込みと言われたヒカルイマイ、私が

競馬史上最強の世代と考える昭和47年のロングエース、

そして大ファンであったハイセイコーが初めて敗れた昭和48年

の日本ダービーは特に印象深いです。

前走のNHK杯で一生に一度の脚を使って勝利してしまった

ハイセイコー、やはりその不安は的中しました。

昭和48年の日本ダービーは、ボージェスト、ユウシオ、

ニューサント、チェッカーフラッグ、ホワイトフォンテン、サンポウ

スピードリッチなど、稀にみる快速馬が揃い、スタート直後から

ハイペースの展開となりました。

28頭のフルゲートだった当時のダービーでは、4コーナーで

10頭以内にいないと勝てないとのジンクスもあって人気を

背負ったハイセイコーは終始、先頭集団についていくしかなく、

また弥生賞で苦しめられたニューサントをマークせざるを得なく

なり、ハイペース地獄に巻き込まれて行ってしまいました。

直線で先頭にたち、頑張ったもののハイペースとNHK杯での

影響からか、最後の200Mで後のライバル馬タケホープに

かわされ、3着と沈んで初めて敗れてしまいました。

しかし、先頭集団にいた馬達は全て惨敗しており、その集団の

中で3着になったハイセイコーは、あの過酷なローテーション

とハイペースのレースの中で、本当に頑張った思います。

タラレバを言えるならば、もしNHK杯かスプリングSに出走

していなかったら、もしニューサントや他の快速馬達を追い

かけていかなかったら、と今でもいろいろ思ってしまいます。

やはり、頑張ったとは言え、怪物ハイセイコーが敗れたことは

本当にショックで、私は、呆然となり涙が溢れてきました。

これが競馬なんだと改めて思い知らされたレースでもありました。

最近のある記事で、敗れたハイセイコーは厩舎に戻ったものの

今まで大騒ぎをしていた記者達も取材来ず、大場厩務員が

手入れをしていた時にJRAの女性職員2人が心配して駆け

付けた時に大場厩務員が「ハイセイコーよく頑張ったよね」と

言ったそうで、それを聞いた女性2人は、その場で泣き崩れた

そうです。

その記事を読むと涙が出て、あの時の悔しさが蘇ってきます。

しかし、昭和54年ハイセイコーの無念を息子カツラノハイセイコ

が晴らしてくれました。

直線でカツラノハイセイコとリンドプルバンの一騎打ちになった時

実況アナがハイセイコ先頭、と言ったように私には聞こえました。

競馬は、まさにドラマです。

令和初の日本ダービー、果たしてどんなドラマが展開されるのか

楽しみです。

全馬とレースの無事を祈りながら、今年も日本ダービーを見ます。