本日、東京は朝から少し肌寒かったですが、春は確実に

近づいているようです。

明日は、中山では、スプリングステークスが行われ、阪神では、

阪神大賞典が行われます。

両レースとも歴代の優勝馬には、名馬がずらり揃っています。

 

スプリングステークスの思い出の馬と言えば、やはり昭和48年

優勝馬のハイセイコーです。

地方競馬の大井から中央競馬に鳴り物入りで移籍し、中央

初戦の弥生賞は予想を反しての辛勝だったハイセイコーは

スプリングステークスに出走しました。

今ではそのような無謀なローテーションをとる陣営はいないと

思いますが、弥生賞のレースぶりがイマイチ?との理由で再度

出走させた説と単に賞金稼ぎのため、勝てるだけ勝つために

出走させたとの説が当時ありました。

結果は、強い勝ち方はしたものの、怪物というあまりにも大きな

期待の目があったため、どこか物足りない無い勝ち方と言われ

ました。

当時、私はもうハイセイコーの大ファンになっていたので、中央

の芝の重賞での連勝は、やっぱり凄い馬だと思っていました。

後に当時大井でハイセイコーの面倒を見ていた人の知り合い

から聞いた話によると移籍時には、ハイセイコーの脚はレース

の使い過ぎにより、かなり悪かったそうです。

このレースを使ったことでハイセイコーの疲労は、確実に蓄積

されていったことは間違いなく、今でも私は、このレースに出走

させたことが、日本ダービーでの敗戦の原因の一つだと思って

います。

 

また、昭和57年悲運の名牝イットーの仔ハギノカムイオーが

優勝したスプリングステークスも強く印象に残っています。

1番人気サルノキングが向こう正面で次元の違う脚色で一気に

上がっていったものの、直線で失速し、4着に敗れました。

でもあのような次元の違う脚は、前にも先にも私は、見たことが

ありません。 それほど凄かったです。

但し、なぜあのようなレースをしたのかについては、その後物議

を醸しました。

サルノキングは、レース後に骨折が判明し、このレースを最後に

引退を余儀なくされました。

本当に歴史に残る馬になる程の良い馬だっただけに残念です。

もしサルノキングが無事であれば、この年のクラシック路線は

どうなっていたかは判りません。

引退後、サルノキングは種牡馬になったものの、良い産駒には

恵まれず、11年後に用途変更となり、非業の死を遂げた

そうです。

人間達に翻弄された馬の一頭であり、本当に残念です。

 

阪神大賞典は、昔は12月に開催されており、暮れの大一番

という印象が強いレースです。

今は3月に行われており、長距離のレースでもあることから

春の天皇賞の前哨戦という感じでしょうか。

阪神大賞典と言えば、私は残念ながら生で観る事はできません

でしたが、やはり悲運の名馬キーストンです。

本や雑誌やテレビ番組や名馬物語ビデオを購入して見ましたが、

涙無くして見る事はできません。

今でもキーストンを思い出すだけで、涙が出てきます。

今、キーストンは妙光院で静かに眠っています。

今年は、ぜひお参りに行きたいと思っています。

どのレースもそうですが、両レースとも人馬無事であることを

祈っています。