明日、3月5日は流星の貴公子テンポイントの命日です。
あれから41年が経ちました。
日経新春杯で骨折し、何とか命を助けようと35名の
大獣医師団で手術に挑みました。
闘病中は、全国のファンからは5万羽の千羽鶴や回復を
祈る手紙1,500通が厩舎に届けられ、各新聞も連日
テンポイントの病状を掲載していました。
当時、私も毎日スポーツ紙を購入してずっと見守って
いました。
担当の山田厩務員が連日徹夜の看病や添い寝している状況も
放映され、多くのファンが回復を祈ると共に涙しました。
しかし、ファンの願いは届かず、彼は天に召されて行きました。
テンポイントの死は衝撃的なニュースとして全世界に打電され、
一般ニニュース枠でも報道されました。
新聞各紙は彼の死を悼み、「天国で走れ! テンポイント」
「流星堕つ」等、トップで報じました。
テンポイントは、数奇な運命に翻弄された名馬でもありました。
クモワカ事件で有名な祖母のクモワカは伝貧と診断され、
殺処分されるはずでしたが、伝貧では無いと判断した牧場が
クモワカをかくまって殺処分をしませんでした。
その後、クモワカは子供を生んでも認可されませんでしたが
裁判で争うことで、ついに勝利を勝ち取りました。
その結果、伝貧と診断されてから12年後にようやく登録を
許可されました。
その子ワカクモは、桜花賞に勝利し、母クモワカの無念を
見事に晴らしました。
当時、幽霊の子が桜花賞に勝ったと話題になったそうです。その幽霊の子ワカクモの子がテンポイントです。
栗東トレセンで葬儀が行われ、全国の多くのファンが彼の
早すぎる死を悼みました。
その後テンポイントの亡骸は母ワカクモの待つ北海道の
吉田牧場に輸送されました。
私は牧場めぐりで吉田牧場を訪ねた際、当時ご存命だった
吉田牧場の上品で本当に優しくて素敵なおばあさまから
当時の様子を聞くことが出来ました。
テンポイントの死は、牧場でも深い悲しみに包まれ、雪が
降りしきり、多くの人が見守る中、テンポイントの亡骸は
埋葬されたそうです。
その時、母ワワカクモは息子の死が判ったかのように天高く
嘶いたと仰っていました。
祖母クモワカと母ワカクモは共に11勝でレースを終え、
テンポイントの弟キングスポイントも11勝の後、レース中の
骨折により、この世を去っています。
これは偶然なのでしょうか。
私にはとても偶然とは思えません。
吉田牧場の丘の上にあるテンポイントのお墓は、今でも
多くのファンが訪れ、今でも供花が絶えたことが無い
そうです。
二度とテンポイントのような悲劇が起こらないことを
いつも祈っています。